徳島-4. 那賀川(その1)平成25年11月12日(火)晴れ時々曇り

 

今朝も4時起きで徳島に向かう。次は徳島県内一長い川「那賀川」である。普通の地図では吉野川が一番長いように見えるが、実は那賀川が延長125km、吉野川の徳島県内長さが109kmと那賀川の勝。吉野川がほぼ真っ直ぐ流れているのに対し、那賀川は中流から上流部は曲がりに曲がりくねっているので、詳しく流れを辿れば地図の見かけ長さよりはるかに長くなっている。これでは8日ぐらいかかりそうである。

岡山、高松、徳島と乗り継ぎ徳島から阿南行に乗車する。単行気動車は満員の状態で車掌さんも乗り込み、駅に着くとホームに降り立ち下車客からの乗車券受け取り、定期券拝見をやっている。JR四国はどの列車でもキチンとメリハリの利いた業務をやっている。JR西は車掌は車内に居たままでこれをやっていない。尤も四国の車輛はどこからでも車掌が車外に出れる扉構造になっており、駅出口に近い車輛ドアから車掌は車外に出れる。このため車掌は無人駅ごとに車両内の移動、ホームでの小走りの移動と運動量が多く、年寄りの車掌では体が持たない。9時04分阿波中島駅で下車。駅舎を見ればお馴染みの三角屋根のJR四国標準形である。

 

 01.単行列車にも拘わらず車掌が乗務

 02.阿波中島駅舎も三角屋根

 

駅から2kmほど先の河口に最も近い国道55号バイパスの那賀川大橋に向かう。今日は冷え込みが予想されたので準冬スタイルに変更して出かけた。直ぐになんともロマンチックな姿をした家が現れる。ここは徳島の無名の地なのに。

 

 

 03.女の子が憧れるような家が

 

やって来た那賀川大橋は頭上はるか上を通過しており、橋に登るのには北に暫し歩き道路が地上に降りてきた所からとなる。取り付け高架橋を登って行くと大橋の袂には風速表示装置が有る。川は東西に流れ、橋は河口部の高い位置にあり冬の季節風が吹く時は相当の風速になるのであろう。瀬戸大橋での対応が思い出される。河口は広々としており、大関クラスの風情である。紀伊水道の遥か彼方には紀州の山々が見える。園瀬川、勝浦川は徳島に集まっていたが、この那賀川は一極集中を避け素直に真っ直ぐ東に流れ紀伊水道に注いでいる。

 

 04.那賀川大橋には風速表示装置が有った

 05.大橋の上から河口を見ると紀州が見える

 

橋を南に進むと南から流れてきた桑野川が異常接近し首の皮一枚の間隔で東に流れている。両河の水面が一緒になることは無いが、公式にはこの桑野川は那賀川水系に組み込まれている。かつてこの地点から分流していた派川那賀川に桑野川が合流していたからなのだろうか。分流点には水門が有る。淀川の分流神崎川と猪名川の関係と似ている。那賀川大橋を渡り終えると直ぐに桑野川大橋が続き、800mもの長い橋の連続となる。

 

 

 06.那賀川(手前)と桑野川(右)は首の皮1枚に接近

 07.直ぐに桑野川大橋が続く

 

長い下り坂を降り桑野川の二番目の橋「住吉橋」に向かう。異常接近している川なのでついでに桑野川の橋も見ておく。南側から住吉橋に登り親柱を見ると、あの青石に向日葵が彫られている。帰宅して調べると阿南市の市の花が向日葵であった。

 

 08.桑野川に架かる住吉橋の親柱は青石に向日葵

 

渡り終えてそのまま北の那賀川に向かう。右岸の堤防の上の道路に上がり川の全貌を掴む。右側には今横断してきた国道バイパスの橋が、左側には牟岐線の鉄橋が見える。水量も豊富でさすが徳島一の川で一級河川である。

 

 

 09.左岸から見た那賀川大橋

 10.こちらはJR牟岐線の鉄橋

 

牟岐線の鉄橋まで来ると単線の鉄道部の両側には自歩道が有るではないか。バイパス橋が完成するまではこの橋が最河口の橋なので自歩道も付けたのであろう。これぞ鉄道道路併設橋である。丁度遠くから列車の音が聞こえてきたので暫し待ちカシャ。

 11.この鉄橋の両側には自歩道が併設

JRの鉄橋を横断し土手のうえの道を西に進むと有りました河川キロポストが!淀川には那賀ったキロポストが那賀川には有るでない!表示は2/8とあり多分2キロ800mだと思われる。更に進むと河口より3.0キロと表示したポストがあり、先ほどのは2.8キロである。帰宅して地形図に2.8キロ地点からゼロキロを求めると、右岸側の海と川とのまさに境界の地点となる。多分ゼロキロポストも設置されているのであろう。

 

 01.有った!キロポストが

 02.ここが3.0キロの地点

 

やや強い北西の風が吹き準冬装束をしてきて良かった。1.5車線幅の堤防の上の道路は県道141号で車の往来もある。地形図で見ると右岸側の大半は阿南市であるが、所々で今は阿南市に編入された那賀川町も入り込んでいる。かつての川の蛇行の名残であろう。お馴染みの国交省の河川看板には市の花の向日葵が挿入されている。

大河のため橋の間隔は長く、3kmほども空き、県道27号の大京原橋そして国道55号の那賀川橋と、近くに見えるが遠い橋を目指す。古い那賀川橋を越えると直ぐに水位情報表示板が土手に建ち、彼方の橋脚に書かれた表示と両方を見ればよく分かる。

 

 03.お馴染みの国交省の看板にも向日葵が

 04.ここの水位情報表示板は分かりやすい

 

南の方の山裾には多くの建物が立ち並んでいる。道路地図を見ると一世を風靡したあの「日亜化学工業」の本社と工場である。青色発光ダイオードを製品化し、その後発明の特許料の取り分で発明者と会社で揉めたあの会社がここに有ったのだ。

 

 05.これが一世を風靡した日亜化学工業の本社

 

更に西に進むと土手の上にコンクリート橋の桁端が行く手を遮るように聳えている。新直轄になった四国横断自動車道の完成した橋のようだ。それにしても土手の同じ高さに橋げたは河川管理に支障有りとして普通は考えられないが、建設費節約のため同じ国交省内なので河川管理者もOKしたのだろうか?反対側に廻り橋を見れば排水管の処理が不味く、なんとも不細工な姿をしている。こんな所に高規格道路橋の建設に慣れていないところが現われている。

 

 06.四国横断道の橋だけが完成

 07.なんとも不細工な排水管の姿

 

単調な土手の上をひたすら進むと今度は「ガマン堰」なるかつては有った堰の解説板が建っている。堰を越えて洪水が起こる度に農民がガマン、ガマンと言って耐えてきたとある。当方もガマン、ガマンと言う。近くに小さな東屋が有ったのでお昼を摂る。

 08.ガマン堰の解説板

 

10分ほどの休憩で歩きを再開する。やがて10キロポストも現れる。それにしてもこの川は200mおきにポストが必ず有り、単調な土手歩きにやる気を起こさせてくれる。

西から山が迫り川が屈曲を始める手前の持井橋を対岸に渡る。橋の上から上流を見やれば大河の風情が漂っている。

 

 09.10キロポスト近くに山が迫る

 10.さすが徳島一の大河だ

 

今度は左岸側の県道28号を南西方向に進む。山が迫り堤防は無くなる。楠根地区から川を見れば広い河川敷に川は思いのままあちこちに流れを広げている。まるで雪解け水が流れ出した西域のタリム川のように見える。県道沿いに香川県の東讃の湊川で見た皇帝ダリヤが高く咲いている。直ぐ隣では大きく一塊になった朝顔が未だに咲いている。霜が降りるまで咲いているのだろうか。夏の季語を返上しなさい!

11.川は思いのままに流れている

 12.久しぶりに見る皇帝ダリヤ

 13.隣りでは朝顔がダリヤに負けじと

 

川は大きく蛇行するが県道は蛇行の根元を真っ直ぐに進み、途中に橋は無いので県道をそのまま進む。道路際になんともすっとぼけたお不動さんが立っている。剣が無ければ漫画の主人公のような姿である。直ぐ南には立派な石碑とまともな姿の観音像が鎮座している。石碑文にはかつてこの地に有った3本の老松がこの楠根集落から出征する兵士を見送り、帰らぬ兵を悲しんだのを忘れないよう有志がこの観音像と石碑と三本松をここに設けたとある。奇特な人達が居るようだ。

 01.これでもお不動さんでっせ

 02.近くには観音さんと石碑が

 03.ここに有った三本の松が出征兵士を見送っていた・・・

 

地形図での県道は大きく川沿いに曲がっているが、直ぐ前には真っ新なトンネルが口を開けている。トンネル内の広い歩道と車道の間には防護柵が設置され、大手を振って歩ける。連日の新しいトンネルである。

 

 04.早くも真っ新なトンネルに遭遇

 05.珍しく歩車道境の柵が有る

 

トンネルの出口が交差点で直ぐ先には「加茂谷橋」も架かっている。トンネル出口の際には橋の竣工記念碑が建っている。橋の建設の由来、工事概要、関係者名などが彫られ、橋に対する長年の思いが込められている。1kmほど上流の中央橋は潜水橋で、大雨の後はこの楠根町から対岸の吉井町に向かうには持井橋まで大回りを余儀なくされていたようだ。それにしても石碑の好きな地区ではある。

 06.トンネルの出口には直ぐの橋の竣工記念碑が

 

加茂谷橋を渡り再び右岸側の土手を西に向かう。直ぐに15キロポストが現れ、相変わらずキロポストは続いている。対岸には石灰岩が露頭したミニ絶壁が青緑色の川に突き出ている。

 

 07.15キロポストからトンネルと加茂谷橋を見る

08.石灰岩の大岩が川に迫り出す

 

今日の折返し点となる中央橋に県道から下って行く。那賀川最初の潜水橋である。橋の途中から右岸側の絶壁を見れば水位表示ポストが絶景の中に立っている。12mまで数値が書かれ、2m弱の潜水橋から12mを見れば見上げる高さとなる。12mもの増水であれば深潜水橋となる。

 

 09.中央橋は潜水橋

 10.水位表示は頭上遥か上まで表示

 

再び県道のバス停に戻ると10分ほどで阿南駅に向かう徳島阿南バスがやって来る。初めて乗るバスである。徳バスの子会社なので徳バスの回数券が使える。25分の乗車で阿南駅の西側に到着する。駅の西側なのにバス停名はなぜか阿南駅北とある。駅舎はモダンな造りで、かつてここは阿波富岡と称していたが、富岡と南隣の橘町が合併し阿南市となって駅名を変えた。直ぐマンホールが見つかり、図柄は市の花の向日葵と市の木の梅が描かれている。両町合併時に無難な木と花にしたのであろうが、もう少しまともな絵柄が選べなかったのかいなー。

 

 11.阿南駅舎はモダン

 12.市の木「梅」と花「向日葵」が

 

30分ほど待ってやって来た単行の徳島行きはこれも良く乗っている。一つ手前の「見能林」駅近くには阿南高専がありそれらしき学生(生徒)が乗っている。本四にも阿南高専からやって来た者が数人いたのを想い出す。なんとか席に有り着き帰路につく。

前回まで履いて来た靴が相当すり減ったので全く同じ靴を買ったが、足慣れした新品の靴で長い距離を歩いたが疲れは少ない。

本日の歩行距離:17.0km。調査した橋の数:10。

総歩行距離:6,483.8km。総調査橋数:10,238。

使用した1/25,000地形図:「阿波富岡」(剣山5号-1)、「立江」(剣山5号-3)