兵庫―1.千種川(その1) 平成23年9月29日(木)晴れ時々曇り
昨年1月の伊里川遡行以来の赤穂線に乗車し、播州赤穂駅に久しぶりに降り立つ。太田川の上流部の遡行には、往復の時間と距離を考えれば2泊3日が必要で、3日連続の晴天は来週まで期待できそうもない。繋ぎとして兵庫県の最も西寄りの川、「千種川」の歩きをすることにした。
千種川は「播磨5川(加古川、市川、夢前川、揖保川、千種川)」の一つで、延長68km、流域面積730km2の岡山県の吉井川の支流群と背中合わせに南北に流れる西播の大河である。
幸い赤穂駅前から河口近くに行く神姫バスが10分後に出るのでこれに乗る。市民病院前で多くの年寄と一緒に降り、川に向かう。
川幅は300m強で3役級の小結クラスの川と睨む。横綱は1,000m、大関で700m、関脇で500mと考えている。未だ横綱にはお目に掛かっていない。河口の川幅は、流域の降水量やダムの有無、田圃の広さ、川の勾配や堤防の高さなどにより差はあるだろうが、基本的には流域面積に比例すると考えられる。不足する大河には放水路が建設され、北上川、信濃川、利根川、荒川、淀川、太田川など近年になって整備された。

image1  01.千種川河口部

河口に最も近い「千種川水管橋」には橋の概要が紹介されている銘板がある。水管橋にこういう銘板があるのは珍しい。直ぐ隣の「赤穂海浜橋」の中央部の歩道が広くなったベランダには千種川周辺の青銅製の地図がある。

image2 02.水管橋には珍しい橋の説明板

image3 03.橋のベランダにあった青銅製地図

左岸の堤防上の市道、県道、そして国道250号と歩き、坂越地区に来ると道路脇に高瀬舟の船着き場跡の碑と説明板がある。ここ坂越では川の東側のわずか70m先が坂越湾の海で、首の皮一枚の陸地である。この坂越が天然の良港で、江戸時代に赤穂で作られた塩と上流の天領の米などの産品が高瀬舟でこの地点まで運ばれ、首の皮一枚の陸地を駄馬で運び、坂越港から大型船で各地に運ばれたとのことである。川向こうに形の良い優美な山容の尼子山が川を見守っている。

image4 04.高瀬舟船着き場跡碑

image5 05.優美な尼子山(H=259m)

狭い人道橋を渡り右岸の県道に移ると、まもなく歩道が無くなり路肩も無い車道をひたすら歩く。赤穂線、山陽道と過ぎ「高雄橋」を渡り再度左岸に戻る。
長い山陽新幹線の橋は絶好の写真撮影場所で、鉄道写真家なら随喜の涙を流しそうなロケーションである。のぞみが通過したのでカシャ。

image6  06.千種川橋梁を通過する「のぞみ」

狭い1車線の道が廃線跡の雰囲気を漂わせる。やがてこれがかつて山陽本線「有年(うね)駅」と赤穂を結ぶ赤穂鉄道の線路跡であることが分かる。昭和26年の赤穂線の開業により廃止された鉄道跡で、ここからこの道を通り有年に向かう。川幅が狭まった所から道の両側には木が茂り、木のトンネルの中を歩く。車の通らない薄暗い狭い道は幻想的で、直ぐ傍の川も見えない。途中の駅跡には記念碑がある。

image7 07.廃線跡の道路は木のトンネルへ

image8 08.赤穂鉄道富原駅跡

5kmに及ぶ長い廃線跡から国道2号線に出会うと静から動と180度違う状況に夢を見ていたような感覚になる。国道を少し東に歩き有年駅に到着。アーバンネットワークの西の端の相生から上郡間はローカル線の雰囲気が漂い、自動改札機も無い。この間は神戸支社管内であるが、日中の電車は岡山支社の電車が走っている。

image9  09.山陽本線有年駅

今日の歩行距離:16.0km。調査した橋の数:11。
累計歩行郷里:510.4km。累計調査橋数:710。
使用した1/25,000地形図:「播州赤穂」(姫路8号-4、12号-2)、「相生」(姫路12号-1)

兵庫―1.千種川(その2) 平成23年10月21日(金)晴れ後曇り
千種川遡行を再開する。山陽本線有年駅に降りたのは自分一人だけ。駅前から国道2号線を西に向かい、千種川に架かる有年橋から遡行を始める。山陽本線は有年から千種川に沿って北に向かい、上郡から西の船坂峠に向きを変えるが、国道は真っ直ぐ西北西の峠を目指す。
土手の上をしばらく歩いていると、夏に歩いた広島の沼田川の遡行にタイムスリップした感覚に陥る。同じような規模の川で、右手に山陽本線が走り、2号線は鉄道とは付き合いきれないと離脱し、国道と県道の差はあるが道路を頻繁に車が走っている。橋の上から川面を見ると落ち鮎漁の網がVの字状に張られている。次の橋は狭い1車線で、途中でのすれ違いが出来るように中間部が拡幅されている。交通量が少ない所では2車線の橋を建設するよりもこの方が合理的である。

image10 01.川には落ち鮎漁の網が

image11 02.途中に待避所がある橋

土手の上の道が尽きたので左岸側の国道373号線に向かうと、ガードパイプに守られた歩道がある。ガードパイプの存在が速度を落として走る効果が有り、無い場合より20キロほど速度を落として走っているようだ。有り難や、有り難や。
やがて赤穂市から上郡町に入る。遡行のオアシス、コンビニが有ったので暫し休憩。近くのマンホールをカシャ。子供がデザインされた珍しい絵で、新しいタイプに分ける必要がある。絵のいわれは後の河野原円心駅で判明する。

image12 03.国道373号には安全な歩道が

image13 04.上郡町のマンホールはユニーク

本来の上郡は駅付近ではなく、千種川左岸の離れたところで、駅方向に新しい橋が建設されている。国道は川に沿ったり、やや離れたところを通るので暫し国道から離れ川近くの道を歩いていると、道の両側に墓がずらっと並んで迎えてくれる。もう少し待ってくれと呟きながら通過する。

image14 05.道の両側からお墓がお出迎え

孫を連れた婦人が国道を渡ろうとしていたので一緒に渡り、眼前の橋の名前を尋ねると、「金華橋で、前の山が金華山」とのこと。何処で聞いた名で、そうだ岐阜市にも同じ名前の山と橋があったのを想い出す。川(長良川)を見下ろす高い山と、ロケーションが良く似ている。
田の一角がコスモス畑にされ、今盛りと花が咲いている。道路の反対側には、赤松氏の居城「白旗城跡」への道と案内板がある。赤松氏は鎌倉時代後期に勃興した守護大名で、赤松円心の活躍で室町時代は播磨、備前、美作を領する大名であった。円心の説明板も近くの広場にあった。

image15 06.コスモス畑

image16 07.赤松氏の居城「白旗城址」への道

image17  08.赤松円心説明板

智頭急行の「河野原円心」駅が見えてきたので、限の良いここを今日の到達点として駅に向かう。駅の所在地は河野原であるが、郷土の英雄「円心」の名を加えた駅名である。智頭急行にはもう一つ人名を冠した駅が有り、こちらの方はメジャーな「宮本武蔵」駅でフルネームである。国鉄は駅名に人名を入れるのはご法度であるが、唯一例外となってしまったのが、伯備線の「方谷」駅である。山田方谷の方谷を人名ではなく、地名であるとして駅名に取り入れられたとのことである。
駅前の上郡町の観光案内板の左上にマンホールの絵の子供が二人居る。小坊主が円心を表しているようだ。駅舎でおにぎりを食べ、12時17分発の上郡行きに乗り帰路につく。久しぶりの智頭急だ。

image18 09.上郡町観光案内図

image19 10.智頭急行河野原円心駅

今日の歩行距離:14.5km。調査した橋の数:13。
累計歩行距離:616.9km。累計調査橋数:833。
使用した1/25,000地形図:「相生」(姫路12号-1)、「二木」(姫路11号-2)、「上郡」(姫路11号-4)