広島10-2. 帝釈川(その2)平成25年9月17日(火)快晴
JR岡山支社管内フリー乗車券の秋バージョンが利用できるようになったので、再び東城に向かう。井原鉄道、岡電も利用可能となったが100円アップの1,900円となった。あっしには関係ござんせんので余計にお金がかかるじゃござんせんか!
新見駅に降りたった時に手元のミニ温度計を見れば13度。寒い!台風18号が夏の暑さを吹き払ってくれたようだ。5時の天気予報では岡山県北の千屋の最低気温はなんと8度。新見からの芸備線に外国人の若い女性3名が乗ってくる。いつも数名のワンマンカーに似つかわしくない姿で発車。途中の八神で2名、野馳で1名が下車。多分中学校の英語授業の補助教員なのであろう。我々の時代の中学にこんな若い女性外人英語教師が居たらもっと英語に取り組んでいたのに・・。
東城駅8時10分発の中国バスに貸切状態で乗り神龍湖手前のバス停で下車。顔見知りになった運転手と言葉を交わし遡行開始。湖は快晴の空を写し静寂な空気に包まれている。直ぐに最初の橋、紅葉橋を渡る。
image1  01.静寂な神龍湖からスタート
image2 02.神龍湖に架かる県道25号の紅葉橋
帝釈川の前回Uターンした岡田橋からこの橋までの8kmの区間の渓谷には道は無く、やむなく下帝釈区間は非遡行区間とする。橋の袂には湖上遊覧船の発着場と観光案内看板が有る。
image3  03.帝釈峡観光案内図

県道と別れ湖岸の遊歩道に入る。やがて遡行スタート地点から見えていた旧紅葉橋の袂に着く。昭和5年完成時は日本一の長さを誇っていた旧紅葉橋である。橋の幅が狭いため県道拡幅に伴い新橋が昭和60年に完成し、旧橋はここに移設されたと解説板に記載されている。橋の袂には有形文化財と土木学会土木遺産の指定の証しの銘板が埋め込まれている。

image4  04.戦前に架設された当時日本最長の橋が遊歩道として移設

image5 05.旧:紅葉橋の解説板
 image6  06.橋の袂の有形文化財と土木遺産の証し

遡行を再開すべく歩き出すと、眼前にこの先渓谷沿いの遊歩道は通行止めの道標が建っている。止む無く標高差150mのつづら折れの階段状の細い道に入る。現地に来てから通行止めの表示を知るが、観光協会はインターネットで知らせるべきである。山道で涼しさは吹っ飛び汗をかきかき、心臓はパクパクと悲鳴を上げている。台地の上に上がりしばし雑木林と人家を見ながら北に向かう。再び坂道を下り渓谷に降りて行く。この道まで入って来る人は無く県北最大の観光地が泣く状態で、本気になって遊歩道の復旧をしてほしい。

image7  07.なんと渓谷の遊歩道は通行不可

image8 08.山道を歩き再び渓谷に戻る

湖も尽きた渓谷の遊歩道を上流に向かう。さすがに帝釈峡には紅葉などの落葉樹が多く植えられ、見た目にも優しい景観である。絵葉書的な景色が続き、これがあと2か月後なら紅葉の中の渓谷歩きになるのであるが。

image9  09.落葉樹などの木々が優しい景観をを作る

image10 10.これが晩秋なら紅葉になっているのだが

何度か川に架かる遊歩道の橋を越え進むと天然記念物の雄橋が現れる。30年ほど前に訪れたことがあるが、何時誰とどのようにやって来たのかの記憶は無い。ここまで来ると観光客も多く見られるが、全員ここでUターンし上流の駐車場に帰って行く。せっかくの観光資源が無駄になっている。雄橋は単なる川が石灰岩を穿っただけでなく、頂上部は今も道として残り橋の役目も持っている。洞窟では無く橋ですゾ。

image11  11.現れた雄橋に再会

image12 12.天然記念物「雄橋」の解説
image13  13.橋の上も人が歩けるので橋と言える

雄橋を潜り上流に向かうと今度は左岸側の沢にも同様の穴が空いた岩が現れる。こちらは「唐門」と称する岩でさすがに橋と名乗るのはおこがましいのか門と言っている。

image14  14.支流の沢にも有るぞ

image15 15.こちらは橋とは言わず門である
やがて帝釈峡の渓谷も尽きその名も帝釈と称する集落に入る。駐車場、食堂・売店、鱒釣り場と施設が在るが規模は小さい。渓谷を神龍湖まで下れず雄橋を見に来るだけの場所となった
。民家の庭に紫色の実を数多く付けた植物を見つける。通りかかった婦人にその名前を尋ねると、「ううーん、さっきまで名前を憶えていたのに出てこない」。更に別の人に聞いても同じ返事。帰宅して家人に聞くと「紫式部」とのことで、ネットで調べると「こむらさき」のようである。
image16  16.その名も紫式部が紫色で

集落には郵便局、駐在所そして古い旅館が二軒もある。虎屋と角屋で、バス停にも帝釈虎屋と有る。角屋を曲がると寺が見え、対岸の永明寺に渡る橋はコンクリート製の太鼓橋である。寺は絶壁の真下にあり、がけ崩れの恐れが有るのか立ち入り禁止となっている。ここも対入り禁止じゃー。それにしても様になった景観である。

image17  17.太鼓橋が絶壁の下の寺に向かう

image18 18.永明寺は様になっている
再び川は規模の小さな普通の渓谷となり、県道23号を北に向かう。岩屋口で県道と別れ市道に入る。対岸に渡る林道の吊橋は利用者がいないのか朽ちるのに任せている。
image19  19.朽ちるのを待つ吊橋
畑地区を過ぎると中国道の帝釈川橋が頭上高く渓谷を横断している。完成時日本一であったコンクリートアーチ橋で、高速道路は地形が平坦な台地の上を通過しているため、川のはるか上を横断している。
image20  20.中国道の帝釈川橋は頭上遥か上
image21  21.中国道は台地の上を通過
ミニ帝釈峡を進むと落合橋が架かりここにも有る。橋の直ぐ上流で二つの川が合流しており、どちらが本流なのか見ただけでは甲乙つけがたい。地形図でも判別できる川名が書かれていない。右側の川の先に橋があったので見に行くと「帝釈川」と親柱に川名が書かれている。今日は歩く距離を考え左側の川を進む予定であったので右側には行かず左側の道を進む。想定の範囲内である。本流の続きは次回に回すことにする。やがて最初の橋の柱を見ると「白石川」と書かれている。上流の地名が川名になっている。
渓谷が一旦尽きると黄金色の田圃が広がる始終地区に入る。すでに多くの田では稲刈りも終わっている。
image22  22.落合のどちらが本流だ
image23 23.黄金色の田圃が広がる
盆地の田を大きく迂回するように道があり、県道447号に突き当たると角には中国自然歩道の道標が建っている。ここまでの道は全て自然歩道の指定区間であるようだ。
image24  24.始終の中国自然歩道の道標

ミニ盆地の西端を南に向かうと、彼方に快晴の空の青、山林の緑、田の黄金色そして焦げ茶色の小学校の廃校舎が色のコントラストを見せてくれる。県道26号との交差点の橋を遡行の終わりとして始終バス停で東城駅行きのバスを待つ。本来はもう少し先の白石別まで歩く予定であったが、迂回登山道で時間と体力を取られたので限の良いここでバスに乗ることにする。10分ほどで備北交通のミニバスが到着し、貸切で駅に向かう。遡行の終わりは長―い帰路の始まりである。

image25  25.快晴の空と田と廃校

image26 26.遡行の終わりは帰路の始まり
 本日の歩行距離:11.0km。調査した橋の数:22。
総歩行距離:6,296.4km。総調査橋数:10,028。
使用した1/25,000地形図:「帝釈峡」(高梁15号-2)