広島5-0. 旧太田川(本川)平成23年10月23日(日)前半 曇り時々晴れ

太田川は放水路から遡行を始めたが、本来の川(本川)を歩かない訳にはいかないので今日は市街地の本川を歩くことにした。広島駅前から左岸の河口近くに行く広島バスの吉島営業所行きに乗る。広く分かりやすいバス乗り場の3番ブースから紅葉をイメージした広島6番目のバス「広島バス」で発車。広電の電車には県庁などに行くのに良く乗ったが、バスは初めてである。日曜日で車は少なくスムースに走行し、広電の軌道が有る交差点では右折車が軌道部に立ち入らずに整然と並んでいる。これが広島に市電が残った大きな要因である。岡山も見習う必要がある。
image1  01.広島の右折車は軌道敷地外で待つ
25分ほどの乗車で終点に着き、川の土手に向かう。土手の上から南方向を見ると、対岸に三菱重工の江波工場が見える。かつては何度かこの工場で南備讃の主塔の組み立て検査などで訪れたことがある。3年ほど前に亡くなった三菱の橋梁営業をされていた佃氏(広島商業のエースで、甲子園で江川に投げ勝ち、翌年優勝した)との会話を想い出す。
image2  02.河口部の先に三菱重工江波工場が
土手にはキロポストが見当たらず、ここは見かけ上は川であるが法令上は海(川は最下流部の橋までで、その先は海)なので最初の吉島橋までは無く、工事中の堤防の看板には港湾事務所の名前が入っていたので納得。広島高速道路の3号線の延伸工事が進む本川橋では桁の架設工事中で、長い架設桁が途中まで架かっている。この仮設桁の後ろに本桁を繋ぎ、仮設桁をジャッキなどで先行した形で引出し、本桁を橋脚上まで引き出す工法で、新尾道大橋の側径間でも採用した。
image3  03.広島高速3号線の桁架設中
最初の橋を過ぎてもキロポストは無く、土手の上を良く見ると鋲に距離番号が記入されており、放水路の河口部と同じである。旧広島市内の川を上流部を右側に、下流部を左側にした案合図がある。
河川事務所管轄区間からは立派な遊歩道が現れる。日曜日なので多くの人が利用している。さすが大都市中心部の川である。

image4  04.広島の川の案内図(右が北方向)

image5 05.本川には立派な遊歩道が整備
遊歩道を進むと高い塀と監視所のある刑務所が忽然と現れる。こんな街中に刑務所が有るのに驚く。
image6  06.こんな所に刑務所がある
住吉橋近くまで来ると原爆ドームと宮島を結ぶ遊覧船が通りかかる。二つの世界遺産を巡るユニークな舟であるが、船が小さく海では風の強い時が心配である。
 image7 07.世界遺産を結ぶ遊覧船と住吉橋
オレンジ色とアーチ型が遠くから目につく「住吉橋」に来ると、左岸の橋の袂には大きな石造りの燈籠がある。この燈籠の由来を説明した板もあり、長年橋が造れなく困っていた住民が、橋が完成した喜びからこの燈籠を設けたとのことで、橋の存在が大きいことを実感する。隣には住吉神社もあり、ここが舟の発着点であったのだろう。大阪も尾道も住吉神社は船着き場の近くにある。

image8  08.復活された住吉橋記念燈

image9 09.記念燈の由来説明板
国道2号線の新住吉橋を渡り右岸を進むと平和大通りの西平和大橋が近づく。橋を渡り再度左岸に立つと、広々とした平和大通りと平和記念公園が広がる。都心部でこんなに広い視野の広場は日本では珍しい。皇居前か新宿御苑に匹敵する。公園に入ると、原爆慰霊碑の前には人がイッパイで、今日は日曜日で各地からのバスが周りに駐車している。
 image10 10.原爆慰霊碑には人がイッパイ
公園の中を進み、広島を代表する橋である相生橋に着く。この橋の真下で本川から支流の元安川が分かれ、ドームは元安川の左岸側にある。橋はT型をしており、本来は横線部なのであるが、橋の真ん中から平和記念公園に行く縦線部が繋がっている。橋の上の真ん中は広電の軌道があり、旧大阪市電がやって来たのでカシャ。橋の下に潜り込み桁の数を数えると、なんと桁が26桁もある。両側の広い歩道にそれぞれ3車線と複線の軌道のある広い幅の橋である。

image11  11.世界遺産「原爆ドーム」

image12 12.相生橋上の旧大阪市電と原爆ドーム
image13   13.相生橋はT字型の橋
更に左岸を進むと中央公園の土手際に第二次大戦時の軍施設の配置図があった。広島は一時広島城内に大本営が置かれ、国会も開催されたことのある軍都で、中央公園はその跡地である。軍都が不幸にも原爆投下の原因の一つになったようだ。
image14  14.大戦時の軍施設の配置図
右岸側では支流の天満川がこの辺りから別れている。北の方には新幹線と山陽本線の橋が二階建てのように接近して架かっている。鉄道橋を過ぎたあたりにやっと本来のキロポストがあった。5.0キロポストで、この先6.8キロまでしか無い。

image15  15.新幹線と山陽本線の橋は接近

image16 16.やっと現れたキロポストは5.0キロ
本川の最初の支流「京橋川」が左岸側から別れて行く。京橋川の最初の橋は国道54号の「新こうへい橋」と記されているが、こうへいとは?と思っていたが、直ぐ東側にその答えがあった。由来板が有り、それによると、かつて大本営のあった所からこの京橋川を渡る橋を陸軍の工兵隊が架設したことからの名前である。今回の震災でも自衛隊が仮設橋を早急に架設しているのをTVで見たが、さすがである。直ぐ隣にはこんな大都市の都心部にはお目に掛かれない山の吊橋がある。エツ!という感じである。これが旧工兵橋である。橋の下では本格的な装備で蜆採りをしている。広島は恵まれた環境にある、田舎と都会が混然としている不思議な街である。

image17  17.なんと市中心部に山の吊橋が

image18 18.工兵橋の下では蜆漁をしていた
遡行はここまでとし広島駅に向かう。あと2kmほどで、便利な駅行きのバスも無いので歩きとする。昼も過ぎたので白島地区で開店早々の讃岐うどんの店に飛び込み、釜揚げとおでんを食べる。お好み焼きの町に讃岐うどんは珍しい。開店日なので200円引きとうれしいお釣りをもらい、ルンルンで広島駅に向かう。これで太田川は終わり。
 今日の歩行距離:10.5km。調査した橋の数:14。
累計歩行距離:612.9km。累計調査橋数:834。
使用した1/25,000地形図:「広島」(広島10号-2)、「祇園」(広島10号-1)