広島―1.芦田川(その6)平成23年7月23日(土)晴れ 

8時33分福塩線河佐駅に降り立つ。福山で3分、府中で5分と絶妙の接続時間で2時間8分で到着した。府中からの軽快気動車「キハ120」は谷間の落石、がけ崩れ警戒区間で時速30から15キロの超低速徐行運転を繰り返す。JR西の地方閑散線では、落石危険個所はお金のかかる防災工事をせず、発見した時にすぐに停止できる超低速走行を行っている。因美線、姫新線、芸備線、三江線・・・・。大規模災害が生じ不通になった時は、国県と地元の負担で復旧させるつもりのようで、民営化により大都市部への集中投資と閑散線への投資忌避がひどくなっている。民営化にあたり閑散線への一定の投資を義務付ける法令にするべきであった。長期債務の棚上げとおいしい所だけを残した民営化で、多くの子会社を造り、発注の大部分は子会社に出すシステムを構築している。
今日歩く河佐~備後三川間は八田原ダム建設に伴い大きく線路を付け替えた区間で、川の東側の山を6,123mの長いトンネルで迂回している。ダム建設に伴い線路が大きく付け替えられたのは、佐久間ダムの飯田線、九頭竜ダムの越美北線、田子倉ダムの只見線などがあり、今話題の「コンクリートから人へ」のシンボルとされてしまった八ツ場ダムも建設に伴い吾妻線が付け替えられているのだが。
河佐駅から次の廃止された八田原駅までの区間は河佐峡として有名で、渓谷の入口には大きな看板がある。福塩線は渓谷の入口付近で線路を北に向け八田原トンネルに入っていく。

image1 01.河佐峡入口

image2 02.ダム建設で線路は付け替えられトンネルに
渓谷内にはいろいろな施設があり、廃線路跡は遊歩道として整備され、立派なパークゴルフ場があり、今日は多くのかつての若者がプレーを楽しんでいた。線路がそのまま残っている先にゴルフ場があり、珍妙な景色となっている。遊歩道には福塩線の全駅名板と駅近隣の名所、旧跡が書いてある板が並んでいる。旧線跡を歩くのは、高梁川の伯備線の複線化に伴う線路付け替え、吉井川の片上鉄道跡以来である。線路跡ウオッチャーにとってはたまらない所であろう。

image3 03.線路跡の遊歩道

image4 04.パークゴルフ場に変身

image5 05.線路が残る遊歩道

image6 06.線路の先にゴルフ場

旧線の橋を渡り、小山を過ぎると突然大きなダムが姿を現し、いきなりの姿にびっくりする。前回この付近を通った時にはダムは無く、渓谷沿いを曲がりくねりながら鉄道は通っていた。渓谷の案内板にダム見学者用のエレベータが有るのを見つけていたのでダムの底部に向かう。

image7  07.目の前に迫る八田原ダム
ダムの基部から頂上まで本体の中に一般用のエレベータが設置されているのは珍しく、初めての経験である。ダムに入ると温度は18度と10度以上も涼しくホットする。無人のエレベータで60m上の頂上に着く。

image8  08.ダム見学用エレベータ入口

image9 09.エレベータ利用注意

ダムからは満々と水を貯えた湖面が広がり、彼方には斜張橋が羽を広げている。綾川の府中湖いらいの景観である。

image10  10.ダム湖に斜張橋

image11 11.芦田湖

旧甲山町(現:世羅町)に入り、湖岸の複雑に屈曲する道路を車も人とも出会わずに黙々と歩く。暑さが少しぶり返してきたようで、タオルとペットボトルを交互に使用する。やがて湖面から普通の川に変わり、周りの山も低くなる。下津屋の神社の前に浩宮殿下が参拝された記念の碑があり、学生時代の中世の交通史を研究されていた時にフィールドスタディで訪れられたのではないかと推測する。
image12 12.浩宮殿下の記念碑

やがて今日の終着点「備後三川駅」に到着する。駅前に八田原ダム周辺の案内図が有り、今日の工程と範囲が一致するのでカシャ。駅舎は一見立派に見えるが、中は鳥の糞と水たまりがあり、椅子も糞で汚れ座る場所もない。こんなに汚い駅は初めてで、JRもであるが地元の町、地元民の不注意はひどい。これではいずれ線路が廃止されてもだれも外部は応援してくれないだろう。

image13  13.備後三川駅舎

image14  14.八田原ダム周辺案内図

今日の歩行距離:13.1km。調査した橋の数:12。
累計歩行距離:258.2km。累計調査橋数:261。
使用した1/25,000地形図:「木野山」(岡山及丸亀13号-1)、「本郷」(岡山及丸亀13号-3)
広島―1.芦田川(その7) 平成23年7月26日(火)晴れ一時曇り 

前回と同じ列車の組み合わせで8時43分に備後三川駅に着く。福塩線はここから芦田川本流と袂を分かち支流の「矢多田川」に沿って北の方向に進路を変える。瀬戸内海と日本海との大分水嶺のある旧:上下町を通り江の川水域に向かう。この旧上下町は両水域に跨る町で文字は体を表す。低い山に囲まれた広い盆地状の田畑の広がる川の土手の上を気分よく歩く。もう土手は道路ではなく、草が刈られた足に優しい道である。台風6号の通過後、上旬の厳しい暑さは無くなり、ごく普通の夏の暑さとなった。遡行を始めてから初めての明確なコンクリートのアルカリ骨材反応が生じた橋台を発見する。かつて問題になったもので、ある種の骨材を使用するとセメントと反応して亀甲模様のヒビが生じるもので、海砂の塩分が残る砂を使用することで、鉄筋に錆が生じる問題と合わせて話題になった。

image15 01.アル骨反応の生じた橋台

やがてこの川二番目のダム、三川ダムが現れる。こちらの方が先輩格で、当初農業用水確保のためにダムが造られたが、福山に日本鋼管の製鉄所を招致するにあたり、福山市が負担し工業用水確保のためダムの嵩上をした経緯があるダムである。こちらには当然エレベータは無いので、60mの高低差のある道を上る。ダムの上に立つと、湖面は緑色の水を満々と湛えこの夏は大丈夫ダアー。湖の名前は「神農湖」、まさに農業用水の湖を表現している。

image16  02.三川ダム

image17 03.神農湖

image18 04.ダムから下流を見る

湖面を渡る風は涼しく、人も車も来ず唯我独道である。湖畔に大妻女子大学を設立した「大妻コタカ」の生家と銅像がある。ダム建設で移設された生家で、湖畔には記念公園もある。家の大きさからみて豪農の家だ。100年も前に大学に行けるのは限られた者だけで、これくらいの家の生まれでないと無理だったのだろう。

image19 05.大妻コタカ生家入口

image20 06.大妻コタカ生家(移築)

やがて湖も尽き標高320mの盆地の中を進む。車に邪魔されずマイペースで快調に歩く。前面に高い盛土の高速道路が壁のように立ちはだかっている。尾道時代には相当先になるだろうと思っていた中国横断道路、尾道・松江線の尾道道が完成していたのである。手元の地形図は15年も前のものなので、現地と比べると国道、県道も整備が進んだのが良く分かる。一部開通区間の尾道~世羅間は無料区間となっていた。有料と無料、曜日別割引と高速道路の通行料は無茶苦茶な時代になっている。そんな財源があるのなら全国の高速道路の料金を一律料率を下げるべきで、不公平なやり方である。

image21  07.川の向こうに高速道路の大堰堤が

盆地はますます広くなり、下水処理場がある所からいままでなかったマンホールに久しぶりに出会う。旧甲山町の絵柄にはこの地方の名産である世羅梨が入っている。この甲山町と旧世羅町、世羅西町が合併して新世羅町となった。

image22 08.旧甲山町マンホール

旧甲山町と旧世羅町の市街地は背中合わせに繋がっており、境界は見た目には分からず、それぞれの町役場は50m程しか離れておらず、日本一近接した役場であったと思われる。合併に伴い、新町名は世羅に、役場は甲山に決まり、旧世羅町民は新役場が旧役場の直ぐ近くなので、実質一番儲けた町民であろう。
予定よりも一時間以上早く甲山バスセンターに12時25分に着き、14時40分に乗るつもりの尾道行きの1本前の12時35分のバスに乗り込む。30年ぶりの道を車内でおにぎりを食しながら懐かしく思い出す。1時間以上の乗車で尾道駅に着く。まさか遡行で川とは縁のない尾道に来るとは思っていなかった。甲山で買い求めたパスピーを使用する。1130円の料金が1020円と一割引きになる。これからの広島でのバス乗車には有り難い存在である。

image23  9.中国バス甲山行き(尾道駅前)

image24 10.パスピーカード(他に岡山のはれカカードとイコカカード)

今日の遡行距離:13.8km。調査した橋の数:24。
累計歩行距離:272.0km。累計調査橋数:285。
使用した1/25,000地形図:「本郷」(岡山及丸亀13号-3)、「甲山」(岡山及丸亀13号-4)