高知-8.国分川(その3)平成29年2月2日(木)晴

今日も天気は上々、足がうなる。国分川最後の区間の遡行に出かける。上流部は道が登りになるので今日は逆遡行とする。上流部最寄駅の土讃線「新改」駅で下車することにし、いつもの南風1号では阿波池田駅で1時間以上も待つことになり、2時間後の次の南風3号では間に合わないのでウルトラCを使う。1号の50分後に出る快速で坂出まで乗車。高松からの「しまんと5号」を捕まえ阿波池田に向かう手である。これなら冬の早朝の貴重な時間が無駄にならない。吉野川本流と支流の歩きに何度も乗車した池田発高知行き鈍行は今日も貸切で出発進行!

image1   01.3年ぶりの阿波池田からの鈍行は今日も貸切だ

単行ワンマンカーは乗降客の無い駅に停まってはドアの開閉、乗車案内を繰り返す。大歩危駅ホームにはアジア系の観光客が数名上り特急を待っている。いよいよユーが僻地までやって来るようになった。8つ目の大田口駅でやっとお客が乗ってきた。その後新改までで数名の乗車が続く。

吉野川と支流の穴内川を遡行して来た土讃線は、「繁藤」駅を出て直ぐの太平洋と瀬戸内海の分水嶺になるトンネルを潜り一気に山裾をうねうねと曲がりながら急勾配を下る。その急勾配途中に新改駅が設けられ、今や少なくなったスイッチバック駅である。標高347mの繁藤駅から標高43mの土佐山田駅まで25‰の勾配が続く。土讃線には阿讃山脈を貫く「猪の鼻トンネル」の南側にもう一つのスイッチバック駅「坪尻」駅がある。かつての蒸気機関車は勾配に弱く、急勾配途中に駅を設ければ危険なのでそれを解消するためにスイッチバック構造が取り入れられた。

減速して駅に近づいた列車は、本線から水平に線路が引かれた待避線に入る。運転手が反対側の運転席にやって来て今度は反対側に進み、本線を横切り水平に引かれた駅進入線に入る。駅停車後再度運転手は元の席に戻り駅進入線から本線に向かう。普段ホームに降りるのは鉄ちゃん(撮り鉄)と一部の地元の人だけなので当方が切符を渡すと、「降りるんですか?」と不思議がられる。

image2  02.本線から左の待避線に入る

image3 03.逆進行で本線を横切り左の駅進入線に

image4  04.本線を右に見て駅に向かう

image5 05.土讃線新改駅に初めて降り立つ

駅からこの辺りでは「新改川」とも呼ばれる国分川の谷底に向かう。途中の分かれ道に「伝 武田勝頼 墓」と書かれた小さなお寺への案内板が立っている。おや、確か仁淀川遡行時の大崎にも勝頼墓所と書かれた大きな看板が有ったぞ!どっちがホンマなんや。どっちもでっち上げか?

道の両側には綺麗に枝打ちされた杉の木が密集し、久しぶりの木立の中の歩きである。

image6  06.ここにも武田勝頼の名が

image7 07.久しぶりの杉林の中を歩く

やがて視界が開けダム湖と橋が見える。ダム湖の北側には穴内川から分水嶺のトンネルを越えて送られてきた水を発電する平山発電所が有る。高知の水は阿波にはやらんぞ!川の大きさの割に水量豊かに流れていた訳が分かった。この橋から逆遡行と橋の調査を開始する。

image8 08.100mほど下るとダム湖が現れる

ダム湖畔の交差点から川沿いの県道254号を南に向かう。左岸側を進むと直ぐに四電の休場ダムを通過する。ダムの高さは高く無く、平山発電所で発電した水を再度下流側の新改発電所に送るための貯水地である。ダムの上の柵に囲まれた通路は開いており対岸に行けるようだ。上流側を振り返ると分水嶺の山波が東西に連なり、山頂には風力発電の風車が2基廻っている。

image9  09.四電の休場ダムの上を歩けるぞ

image10 10.あの山波が太平洋と瀬戸内の分水嶺

緩やかな坂道を下って行くと大きな解説板が県道に立っている。「天狗岳不整合」との題名の地質説明板である。過去に陸地が2回にわたり沈降、隆起を繰り返した証しの異なる堆積岩が対岸に有るとのことであるが、当方にはまったくその存在が分からない。それにしてもよくぞ見つけたりである。

image11 11.よくぞ見つけたり!不整合地層を

薄暗い渓谷を進み右岸側に渡り谷間が少し広がると、四電の広く複雑な開閉所が現れる。阿波の橘湾の火力発電所で造られてここまで来た電気を高知平野各地に分電する施設のようで、回線名に地名が記されている。対岸には先ほどの休場ダムから送られて来た水を利用した新改発電所も見える。広い構内には数本の橋が架かっているが調査は出来ずやり過ごす。

image12  12.ここで電気を分配し各地へ送るようだ

image13 13.休場ダムから送られた水がここで発電される

谷間が広がると河岸段丘となり県道は川から離れ、橋を見るには下りと上りの繰り返しとなる。北からの流れは北東からと変わり土佐山田町新改地区に入る。ここでも駅名の元は駅から相当離れた所に有る。

今は香美市となった旧土佐山田町は市名の次に土佐山田の地名が続く。かつて福岡県中部には山田市が有ったが今は嘉麻氏となり、三重の宇治山田は伊勢市に、岩手県には山田町が有り、ここは土佐山田と言わざるを得ない。今更平成の合併で晴れて山田市と言えなかったのかな?

福岡県には今は北九州市若松区となった若松市があったため会津の若松は会津若松市と称することになった。会津若松は長州と九州若松にいじめられた。若松市が無くなるのなら迷惑千万で、福岡県は2カ所で全国に迷惑をかけている。

香長小学校の南の農道に入り市道橋に向かうと補修工事の看板が立ち、足場が組まれている。あいにく昼休みで誰も居ず補修の内容が分からない。見た目にはどこも悪い所は無さそうで、工期を見ると3月なので多分補修を終え足場のバラし作業中のようだ。

image14 14.PC橋の補修に珍しく出会う

土手沿いに進むと県道31号の「上改田橋」に出会う。上流側は4径間の古いPC桁で、下流側は2径間の新しいPC桁になっており、路面の真ん中に立方向の伸縮継手が有る。道路拡幅時に前の4径間に拘らずに広げたようだ。天晴れ、天晴れ。

image15  15.上流側は古い4径間のPC

image16 16.下流側は新しい2径間PC

先日の折返し点まで未だ2橋が残っているが、距離があり、最寄駅までも遠いのでここで逆遡行を終え県道31号を東に向かい、三叉路を南に進む。香美市営バスとすれ違っていたのでバスが有るのを知り、行ける所まで歩くことにする。

山田からの南風まで40分ほど時間が取れそうなので、山田駅近くに住んでいるかつての児島調査事務所の同僚だったOさんに電話をする。丁度在宅中で駅で落ち合うことにする。

「北組西」バス停まで来ると丁度コミバスがやって来て乗車。歩くよりも15分早く駅に着き、食べ損ねていたお握りの昼を摂っているとOさんがやって来て久しぶりの再会を果たす。30分ほど近くの喫茶店で旧交を温める。当方は道路公団からやって来て、Oさんは鉄道建設公団から児島にそのまま残った同年輩の若手2名であった。この組み合わせが瀬戸大橋の特徴を現している。

小さな駅舎にはミニコンビニが有るぞー。14時30分発の南風に乗り帰路につくが今日は4両でガラガラの状態であった。

image17  17.香美市営バスに乗り土佐山田駅に

image18 18.小さな駅舎だが何でも有りだ

 

本日の歩行距離:7.3km。調査した橋の数:9。

総歩行距離:9,339.7km。総調査橋数:11,316。

使用した1/25,000地形図:「土佐山田」(高知7号-1)