愛媛1-2. 小田川(その1平成25年2月27日(水)曇り後晴

 

30数年ぶりに内子駅に降りたつ。内子は今では予讃線の新しい高架駅になっているが、当時は大洲の一つ手前の五郎から内子までの盲腸線の地平駅であった。全国鉄道乗りつぶしで長男を連れての四国一周の旅の途中での訪問であった。駅に降り立ち直ぐに折返しの列車に慌ただしく乗った記憶がある。

松山で乗り換えた特急は昭和61年に完成した伊予中山経由の山線を高速でぶっ飛ばす。高いホームから下に下り、改札口の横の観光案内所に行くと、室内の電灯は点いているが鍵が掛かっている。係員が何処かに出かけたようなので暫し待つ。30分ほど待つと車が現れ係りの女性が降りたつ。電動機付き自転車を2日間借りたいと言うと、「それはやっていません」とのたまう。ホームページに載っているよと言いパソコンを開いて確認をしてもらう。なんとか納得したようで大分遅れて出発する。内子駅周辺の半日利用が多いため、まさか2日利用する者が現れるとは思ってもいないようだ。ホームページの中身も知らない観光案内所も困ったものだ。

 

 01.高架下の内子駅舎と観光案内所

 

今日は愛媛最大の川「肱川」の最長の支流である「小田川」を自転車を利用して遡行する。歩きでは延べ3日かかるが自転車を利用すると1日短縮することが分かった。篠山川以来の自転車利用で、観光地である内子ならではである。駅前にマンホールが有ったのでカシャ。旧内子町の町花のつつじが描かれている。

 

 02.内子町は町花のつつじ

 

一旦川を下り南の10km先の本流との合流点を目指す。朝方までの雨が止み、西条あたりから天候は最上に向かい気温がぐんぐん上がってくる。最初の橋でUターンし、遡行を開始する。合流点付近は谷間が狭くなっているが、やがて広いのびやかな谷間に変わる。坂道になる所ではモーターのスイッチを入れ快調に北の内子を目指す。五十崎町、小田町と合併した内子町の新しい役場の前を通る。かつての内子と五十崎の町役場は2km弱しか離れていない距離に有り、合併は当然のように思われる。新役場は五十崎地区に設けられた。

川が東からの流れに変わり、支流の中山川が合流する地点に道の駅「内子フレッシュパークからり」で一休みしお昼とする。なんとも長い名前の駅名である。道の駅の突端にある吊橋を見る。自転車で下流側から近づくと途中から自転車乗り入れ禁止で止む無くUターンした橋である。

 

 03.道の駅から公園に通じる歩道は吊橋

 

内子は3つの川が集まり、広い谷間もあることから船運で栄えた町のようである。うどんを食して国道379号を東に向かう。国道も更に先の県道も広い歩道が併設され安心して自転車乗り入れOKの歩道を進む。この国道は四国88か所のお遍路道になっており、お遍路さんのことも考えた歩道のようである。

この地域特産の青石の砕石を使用した道路の路面は青色が入り目に優しい。

 

 04.青石を使った舗装は路面が青色

 

特段の特徴は無いが緩やかな山に囲まれた狭くは無い谷間の道を進む。集落が切れ目なく現れこれまでの谷間の状況とは異なる。これだけの集落が有るのに路線バスは撤退し、町営バスが内子と小田の間を走っている。国道は改良が進み所々に旧道部が残っている。新道は味気無いので旧道が有る区間では旧道に入って進む。

大瀬の成屋に来ると集落が広がり、橋の袂に立派な四阿が建っている。直ぐ北にある三島神社の御旅所と解説がある。川を見やる絶好のロケーションでお遍路もきっとここで休憩して行くのだろう。旧道の直ぐ北側には三島神社の階段が有る。神社本体よりも御旅所の方の印象が大きい。この辺りで三島神社と言えば、しまなみ海道の大三島の大山祇神社を指す。

 

 05.三島神社の御旅所は絶好の休憩所

 06.御旅所の裏に神社が鎮座

 

旧道の家並みを進むと直ぐに二つ目の四阿が現れる。こちらも周りに小石が敷かれ石のベンチもある。心惹かれる建物が続く。二階建ての家が続く街並みも素敵で映画のロケに使えそうである。

 

 07.二番目の御旅所もイイナー

 08.成屋集落の家並みもイイナー

 

更に旧道を進むと川を見下ろす所にお遍路の休憩所がある。屋根と木製のベンチ、水道と揃っている。四国はお遍路の為の休憩所やお接待など心に傷や悩みを持った旅人に優しい所で古い日本の良さが残っている。

 

 09.43番札所から44番迄は長いので遍路休憩所が

 

国道の平成になってから作られた橋は全て無塗装橋で、同じタイプの錆色の橋が次から次と現れる。橋の上の歩道と車道の間には防護柵が設置され、歩行者の安全が確保されており愛媛県はエエナー。

突合で国道379号は先日歩いた砥部に向かうため北に向かい、道路は国道380号と変わるが道路の状況は変わらない。川の合流部に突合とは奇抜な地名である。多くの国道の橋を渡ってくると観音橋と言う名前の橋に来る。親柱には素朴な観音さんの線描画が埋め込んである。さすが遍路道である。

 

 10.観音橋の親柱はその名の通り観音さん

 

陽も傾き始めた頃に旧小田町に入る。ここには県立小田高校も有る。分校では無く本校ですぞ。やがて小田町の中心の小田に着き、橋を渡ると二つ目の道の駅「小田の郷せせらぎ」がある。ざった見渡して直ぐ先の今宵の宿に向かう。遍路道沿いなので今も旅館が健在である。今日は40kmも走り、41もの橋を診た。

 

 11.二つ目の道の駅は「小田の郷せせらぎ」

 

本日の輪行距離:39.7km。調査した橋の数:41。

総歩行距離:5,662.0km。総調査橋数:9,138。

使用した1/25,000地形図:「鹿野川」(松山8号-1)、「内子」(松山7号-2)、「伊予小田」(松山3号-4)

 

 

 

 

愛媛1-2. 小田川(その2平成25年2月28日(木)快晴

 

遍路宿の朝は早く、6時半には朝食を摂れるとのことで同宿のお遍路さんと朝を撮る。自転車でここまで来る旅人は珍しいようで、予約した時に自転車を利用したお遍路さんと間違えられたようだ。

放射冷却で朝は寒く、昨日の春の支度から冬の支度に変身して出発する。いくらかの商店が残る町の中心を東に進み支流の大平川が合流する地点に向かう。ここから先は住民だけが利用可能な町営バスとなる。国道380号が支流に沿って北に逃げてしまう。内子町と久万高原町境の真弓峠を越え、仁淀川の支流である久万川沿いに下り国道33号に合流する。久万高原町の川は太平洋に流れて行く。東に向かう道は県道52号と変わるが歩道は健在である。小学校と中学校に向かう児童、生徒とあいさつを交わしながら急になった道を漕いで行く。県道52号が南に別れる所に境内に巨木が聳える神社が有った。樹齢千年以上の二本の枯れたケヤキと櫟樫(いちいかし)が神の使いのように厳かに立っている。どちらも県の天然記念物に指定されている。

 

 01.広瀬神社のケヤキは樹齢千年以上

 02.櫟樫も千年以上の天然記念物

 

52号線は打木川に沿って南の雨乞山(H=1,213m)の麓の峠に逃げて行く。峠には南予なのにスキー場もある。広瀬神社からは県道211号線と段々格下の道路に下がっていく。道は逆にきつい坂道となり、電動アシストを使用して登っていく。中川橋で小田川を渡った所から先は更に坂がきつく成りそうで、電池残量を考慮しここを折返し点とする。川は未だこの先4kmあまりあるがここを潮時とする。

Uターンすると今度は一漕ぎすると100mほど惰行で下ってくれ楽ちん楽ちんである。民家の庭には今が盛りの枝ぶりの良い蝋梅が咲き誇り、その横には枝垂れ紅梅が次は私の番よと待っている。

 

 03.見ごろの蝋梅とこれからの枝垂れ紅梅

 

小田の道の駅に立ち寄り昼用のパンと土産の団子を買う。奥の川沿いにはかじか亭なる名前のお食事所の建物がある。直ぐ横を清流が流れる一等地であるが、今は朝なのでお休み中である。

 

 04.道の駅の一等地にある食事店

 

昨日苦労して登って来た道を快調に下る。気温はぐんぐん登り春の陽気である。往路の半分の時間の2時間強で内子に到着し街中をぶらりぶらりと進む。内子も大洲と同じく古い町並みが残る観光地であるが、見慣れた景色なのでわざわざ立ち寄らずに駅の方に向かう。途中の脇道に入り内子の看板である内子座に立ち寄る。内子座は大正5年に歌舞伎芝居が出来る劇場として作られ、昭和60年に補修された劇場と入口に解説が有る。琴平の金丸座は春には今も金比羅歌舞伎が定例的に開催され、四国は古い物が保存、活用されている。日本はどんどん姿を変えていくが、四国には古い大衆的な良い物が数多く残っていますぞ。

 

 05.これが内子の看板の内子座

 06.内子座の解説板

 

昼過ぎに着くと当初予定していた駅に10時40分に着くと今日は案内所は空いている。くだんの女性に自転車を返す。駅前に小田行きの町営マイクロバスが止っているが普通の自家用車のように見える。部外者には分かりにくい姿をしている。

 

 07.今回は利用しなかった内子町営バスは分かりにくい

 

50分に上り特急がやってくるので急いで駅の階段を登りホームに着く。直ぐに松山行き宇和海がやって来て乗り込む。松山で同じホームの先の岡山行きしおかぜに乗り車内で道の駅で買ったパンを食べ帰路につく。次は小田川の支流の中山川で再度内子に来ることになりそうだ。

本日の輪行距離:27.5km。調査した橋の数:12。

総歩行距離:5,689.5km。総調査橋数:9,150。

使用した1/25,000地形図:「伊予小田」(松山3号-4)、「内子」(松山7号-2)