愛媛8-1.銅山川(その4)平成25年5月24日(金)快晴

朝5時。部屋の窓からは北側に東西に連なる1,600m級の山々が朝陽を浴びて圧倒する。左のピークはエビラ山、右側の双瘤は二ツ岳である。法皇山脈の最高峰の東赤石山は林に隠れて見えない。岡山遡行の最後に蒜山のホテルの窓から見た早朝の上蒜山を想い出す。

 01.部屋から見える1600m級の山

軽い仏式の朝食を食べ、下山は足を使うことにして、森林公園の鬱蒼と繁った森の中の道を渓谷の底に降りて行く。途中で部屋からは見えなかった東赤石山(H=1,706m)の橄欖岩が酸化した赤い岩肌を見せて輝いている。

 02.法皇山脈の主峰、東赤石山(左)

3km余りの道を下り銅山川に架かる天皇橋を渡り遡行を開始する。それにしても恐れ多い橋名で、天王橋は有ったが天皇橋は初めてである。

03.恐れ多い名前の橋

直ぐに急な坂道が延々と続く。保土野地区にあると言われたふるさと館は未だ開いておらず、昼の食べ物は役場のある弟地で仕入れることにして坂道を歩く。遡行時に何度か見かけた伊予三島と別子山を結ぶ別子山地域バスが停車している。このバスで三島から平野橋まで乗りたかったのであるが、三島から別子橋までの四国中央市域は乗降が不可の扱いで利用できなかった恨めしいバスである。沢に架かる床鍋橋の際に公民館がひっそりと建ち、入口の横にベンチが有ったのでしばし休憩し、坂道の乱れた息を整える。

 04.伊予三島と別子山を繋ぐバス

渓谷はますます狭く急流となる。この県道6号が銅山川から離れ土佐に向かう橋の手前の左岸側に、これが発電所とはとても思えないミニミニ発電所が現れる。沢の反対側には東赤石山に向かう登山道の入口とトイレが有る。整備が良くされた立派な登山道である。

05.狭くなった渓谷

06.このミニ小屋は発電所ですぞ

07.赤石山への登山口

橋の際に大きく見慣れない色の大きな岩がドンと展示されている。解説によるとこの岩は地中深い20~70kmの高温高圧下に有った変成岩が地殻変動で地表に現れた物で榴輝岩ともいわれる希少な岩である。日本では赤石山付近にのみ産するとのことである。岩石マニアにはたまらない岩なのであろう。比較的新しい橋の直ぐ上流の下方には旧いコンクリートアーチ橋がまだ使えるのにと言って佇んでいる。橋そのものはOKなのであるが道路が大型車の通行に答えられずに廃道、廃橋となってしまった。

08.この珍妙な色の岩はエクロジャイトと言うのじゃ

09.まだまだ使えるコンクリアーチ橋

次の筏津でも登山道の入口が現れる。結構メジャーな山のようだ。北側の道路の脇に湧水が集められコップも置いてある。久しぶりの路傍の天然水を味わい、首に巻いている放熱マフラーを水に浸す。反対側の渓谷の右岸の岩が見事な七色の褶曲を見せてくれている。自然が造りだした芸術作品である。

10.県道脇の湧水

11.見事な褶曲模様の岩

別子山村の中心である弟地の東の入口に面白い掲示板を見つける。「道中御定め書き」なる交通安全のお達しである。最後まで読み思わず「ハハー」と唸ってしまう。

12.「道中御定め書き」にハハー

2車線道路が続いていた県道が47号に変わると、四国らしい狭い道に変わり別子山の中心である弟地に入る。集落部は道路の拡幅が不可能なので道は一層狭くなる。村の目抜き通りには郵便局、派出所、元役場の支所が固まっているが、店屋、JA、診療所は見当たらない。県道よりも一段高い位置にある郵便局は模型にしたくなるような可愛い建物である。

13.ここが別子山村の目抜き通り

14.模型にしたくなるような郵便局

時間に余裕があるのでミニ体育館のような支所に入り食べ物を売っている店が有るかを聞くと、「ここから先に店屋は無い」と言われる。昨日天皇橋の手前の自販機で飲み物を買った店が唯一の店屋だとのこと。人口減少が大きく商売はやっていけないとのことで、オーベルジュと何も無い村との段差が滅茶苦茶大きい。
玄関脇に平成15年に新居浜市に合併する時の閉村時の村の役職員の名前が記載されている。村長以下教育委員会を含めても総勢22名、なんとも少ない人員である。人口はたったの300名ほどで離島を除けば人口最少の村であった。別子鉱山の初期はこの別子山地区に採掘所が有り、人口も1万人以上有ったようだが採掘所が法皇山脈の北側の新居浜市側に移ってからは激減した。住友の母体である別子は本来こちらの方であり、山向こうは偽物である。新居浜市もこのような経緯から村を拾ったようである。かつては同じ郡(宇摩郡)である伊予三島に人々は目を向けていたが、今は近い新居浜に変わってきている。村と新居浜とを繋ぐバスは三島行きバスとは異なる仕様、車体のバスで、長い村の歴史の産物と理解する。支所前には1日2便のバス停もある。

15.閉村時の職員は村長以下22名

16.支所前には新居浜行きバスの停留所が

想定の範囲内なので昼食は新居浜駅についてから摂ることにして遡行を再開する。所々改良拡幅が行われた左岸側の県道の緩い坂道を西に向かって行く。
山裾に300名の人口にしては立派なお寺(南光院)が建っている。鉱山が盛んな時に抗夫達の精神的拠り所として高僧を招いて建立された寺と知る。強者どもが夢の跡の感じである。道に迫り出すように白藤が咲いている。川はますます狭く水量が減っているが、北四国独特の緑色の川が続く。今日で愛媛の川とはお別れでこの川の色もこれまでとなる。

17.南光院の白藤が満開

18.この色の川とはこれまでか

大野谷川が北から合流する地点に「旧別子銅山跡入口」の案内標識が立ち、駐車場とトイレが整備されている。10台近い車が駐車しており、ここから山に分け行って産業遺産を見るツアーをグループがやっているのだろう。これだけの車が有るのだから簡単な食事、喫茶、物品販売が出来そうに感じるのだが・・・。

19.別子銅山はここから北の山中に有った

20.駐車場には多くの車が止まり人は山に

川の4番目の最後のダムである別子ダムが有るため道は再び坂道が続く。狭く曲がりくねった道の山側には大規模な落石防止ネットが随所に張られ、道路改良工事も行われている。標高850mにある別子ダムの湖はまるで天空に浮かんでいるように見える。こちらのダムは住友共同電力が管理しており、2階建てのミニ管理所がひっそりと建っている。建物の規模が国と民間とでは差が格段にある。

21.天空に浮かぶ別子ダム湖

22.迫り出した岩に落石防止ネットが張られている

河床勾配のキツイ源流部ではダム湖も直ぐに尽き、ちょろちょろとか細い流れになる。川は西からの平家谷と北からの七番谷川が合流し、当方は北側の分水嶺のトンネルに向かう県道を歩く。予約しておいた中七番に小1時間ほどあり、どうやって山奥で待つか考えていると、信じられない光景が現れる。か細い流れに架かる橋の向こうに瀟洒な建物が建っている。住友林業は別子銅山に使用する木材の植林から始め、鉱山の公害(禿山)の克服のために大規模な植林を行ってきた。林業がこれを記念して建てた施設(フォーレスタハウス)で無料で入館できる。捨てる神あれば拾う神もあり。事情を話し館内でバスが来るまでゆっくりと休憩する。最高のバス停待合室となった。

 23.こんな山奥に瀟洒な建物が出現

予定の5分前に建物から県道に戻ると程なくバスがやってくる。バス名は花ぐるま、まるで幼稚園の送迎車のようである。400円を払って乗車。駅まで45分、貸切で出発。

 24.やって来た新居浜行きバスは貸切

標高950mにある大永山トンネルを抜けると北側に雄大な景色が広がっている。昨年の12月に歩いた国領川の上流の深い渓谷の曲がりくねった道を下って行く。この渓谷の県道も改良が進められ、鹿森ダムの直ぐ下では大規模なループ橋が設置されている。やがて前回歩いた路にさしかかり懐かしく新居浜駅に向かう。駅に着いたら飯だ!

本日の歩行距離:14.8km。調査した橋の数:5。
総歩行距離:5,971.1km。総調査橋数:9,554。
使用した1/25,000地形図:「弟地」(高知9号-2)、「別子銅山」(高知9号-4)