京都1-1. 木津川(その3)平成30年2月9日(土)晴れ

再び木津川に向かう。前回の最後の橋の次の橋「玉水橋」最寄りのJR片町線の「JR三山木」駅を目指す。庭瀬駅の自動切符販売機で駅名のJを「し“え」と打ち込むと、JR○○なる駅が数多く出てくる。その内の三山木を選択して切符を買う。国鉄がJRとなり大都市近辺で多くの新設駅ができ、近くの私鉄駅と同じ駅名を採用した場合、及びそれまでの駅名を改称しやはり私鉄駅と同じになる場合は頭にJRを付け区別している。前者は「大阪東線」に多く、後者はこの三山木で元は「上田辺」駅であった。後者の代表は元「湊町」の「JR難波」である。由緒正しい関西本線の起点駅に遠く離れた難波をもってくるのは詐欺じゃんか。南海も近鉄も市営地下鉄もビックリだ。隣の京田辺駅もそれまでの田辺に京を付けた。和歌山県の「紀伊田辺」との区別を明確にするために市が付けた名前に合わせたのだ。それにしても京都田辺、若しくは山城田辺と言わず「京」を付けるのは誇大広告だぞ。「京丹波市」も同罪だ。
高架の三山木駅の階段を降りて来ると駅前広場に京田辺市の地図が有ったのでカシャ。完成した「京奈和自動車」が太い青線で描かれ目立つ。駅前なのだから高速道路よりも鉄道の方を目立つようにするべきだと思うのだが。駅前広場の反対側には正統派の近鉄「三山木」駅がこれも高架駅で、トイレも無いJR駅よりもこちらの方が立派である。近鉄京都線と片町線(今は学園都市線とも言う)は京田辺駅(近鉄は新田辺駅)から南に近鉄「木津川台」駅付近まで約9kmの間付いて離れず近接して線路が続いている。片や特急も走る複線、此方通勤車両のみの単線でその差は大きい。広場には京阪バスと奈良交通バスが混じって駐車している。いよいよ大和が近い。

01.京奈和自動車道が目立つ京田辺市の絵地図

02.鹿が跳ねる奈良交通バス

近鉄のガード下を越え川に向かう道に出ると今やコーヒーが有名な京都のチェーン喫茶店が顔を出す。尼崎駅のコンビニでサンドを買っていたが今が流行りの店を覗いてみる。卵焼きが一杯入ったサンドが付いたランチを注文する。値段とボリューム、コーヒーの味流行るのもむべなるかな。橋に向かう道のマンホールは市の花「ヒラドツツジ」である。

03.気になっていたコーヒー店に立ち寄る

04.京田辺市は市の花ヒラドツツジ

府道65号を1kmほど歩いて最初の橋「玉水橋」に着く。先日は寒風吹きすさぶ土手であったが今日は風も無く歩きやすい。先日と同じように左岸側の自歩道を南に向かう。今日はランナーにぶつかる心配が無いので安心して歩ける。対岸は「綴喜郡、井出町」でこちらは「相楽郡」である。南山城は大和北部、甲府盆地と同じく小さな市町村が数多く密集している。平地で生産性が高い地域は昔から多くの人が住んでいたからだろう。かつての渡し場を伝える石碑が土手横に建っている。

05.府道65号の「玉水橋」から開始

06.渡し場の石碑が土手の上に

直ぐに京田辺市から「相楽郡 精華町」に入る。何とも典雅な名前の地名である。自歩道なので市町村境を示す標識は無いが欲しい物である。
自歩道は所々で土手の中段や河川管理道の横に設置され、この道は本来河川管理用道なのが分かる。分離区間では自転車の通行は禁止されているが時折管理専用道を走る者がいる。ルールを守らないのは自動車と同じだ。土手下の高水敷きは相変わらず茶畑と竹林が交互に並んでいる。普通大きな川の河川敷は公園と体育施設が有るのだがここはお茶畑に占用されている。河川法が出来る前からお茶は有るんじゃ!
3km以上歩いて2番目の橋府道71号の「開橋」に着く。対岸は元「山城町」の木津川市である。同じような道を歩いていると距離感が無くなるので橋を渡り右岸側に向かう。それにしても木津川の川幅は広い。本流の宇治川よりも広いぞ。

 07.二番目は府道71号「開橋」

2車線の車道だけの橋の上流側に無塗装橋の歩道の側道橋が架かっている。40年前までに架けられた橋には歩道の無い橋が多く、後年になって歩道用の側道橋が建設されている。橋を渡った交差点で国道24号を南進する。直ぐに土手路と国道に分かれるが土手路に飽きたので歩道も有るので国道に向かう。京奈和道が開通しているが有料道路なので依然として大型車はこちらを通り交通量は多い。
コンビニの前を通ると駐車場の車の横で人がシートを敷き跪いている。ハハーン回教徒がお祈りをしているのだな。それにしては北の方向に向かっているが、そちらはメッカじゃー無いぞなもし!駐車枠に合わせたのだろう。

08.そちらの方向はメッカじゃーないのだが・・

「上狛」地区に来ると新しい交番が道に面して建っている。入口横に紫色を使用したKOBANの文字と騎馬警官のマークが入っている。京都サンガと同じパープルだ。各都道府県警察もそれぞれの色とキャラクターを出せば良いのに。岡山県ならマスカット色か桃色に桃太郎警官が良いだろう。
足元のマンホールは色々な植物がテンコ盛りだ。町の花と木の菊とモミジが入っている。

09.京都府の交番には騎馬警官のマークが

10.旧山城町のマンホールは植物がテンコ盛り

車が連なる国道の両側に有名なお茶のメーカーの福寿園の工場が並んでいる。伊藤園が全国を席巻しているが、こちらは高級茶で有名である。あの河原の茶畑を見て来るとここに工場が有るのが理解できる。

11.お茶の福寿園の工場が国道沿いに

やがて国道が川を越える「泉大橋」に着く。橋は昭和26年完成のゲルバートラス橋で当時としては長大橋の部類の橋である。こちらも横に歩道の側道橋が付いている。
3回にわたって歩いた自歩道の終点が橋を渡った左岸側で、起終点を示す大きな標識が立っている。桂川の渡月橋まで45kmが大規模自転車道である。

12.国道24号の「泉大橋」は昭和26年完成のゲルバートラス橋だ

13.府の大規模自転車道はここから嵐山まで45kmもある

土手と国道を離れ土手下に降り木津駅に向かう。直ぐに旧木津町のマンホールが現れ絵柄は川船である。帰宅して調べると、ここ木津は川の上流の木材をここまで流しここで水揚げする川港(津)であった。奈良の都に必要な木材などはここまで舟で運ばれ都に運んだのだ。それで木の港(津)から木津となった。大和川では川が小さく船の航行は難しかったのだろう。

14.旧木津町も絵柄はかつての川港(津)を

立派に区画整理された木津駅前の向こうに際立った姿の駅舎が見える。京阪奈に行くのに便利な木津は近年人口増加が大きく、近隣の山城町、加茂町と一緒になり「木津川市」になった。山城市の方が全国的な名になるがそれでは最大勢力の旧木津町が納得しなかったのだろう。これで旧国名を冠した市町村名が一つ無くなった。河内市と一緒だ。

15.JR木津駅舎はカッコいいぞ

16.木津川市は旧木津、山城、加茂が合併して市に

帰りは奈良から大和路快速で大阪に出ることにする。木津を出ると直ぐに奈良県に入る。京都府と奈良県境の丘は住宅地に変わり、住宅の間を複雑に府県境が折れ曲がりながら通りややこしい。JR奈良駅の前後が高架に変わり、駅も3面5線の立派な駅に変わっている。近鉄奈良駅の連続地下化に遅れること数十年であった。快速に乗換え進むと、途中「法隆寺」、「王寺」、「久宝寺」と寺の付く駅3つに連続して停車する。さすが大和路快速だ。

本日の歩行距離:11.2km。調査した橋の数:4。
総歩行距離:9,790.7km。総調査橋数:11,836。
使用した1/25,000地形図:「田辺」(京都及大阪4号-3)、「奈良」(京都及大阪4号-4)