滋賀-1. 瀬田川 平成30年1月27日(土)晴れ時々雪

介護中の母の入院、死去、葬儀と出かけることが出来なかった遡行を手続きがほぼ終わったので再開することにした。因幡は数年ぶりの寒波到来で遡行出来ないので、途中まで歩いた淀川の最後の区間である「瀬田川」に向かう。平成27年11月に竹馬の友と宇治川上流部を下って以来の淀川である。おまっとーさんでした。
朝6時5分発の姫路行きに乗り東へ。今日も氷点下4度と厳しい寒さで車内も暖房が利かず寒い。相生で赤穂からの新快速に乗り石山まで乗車。兵庫の川歩きに良く利用したパターンである。3時間40分かかって石山駅に着く。駅前のバス乗り場に向かうと直ぐに「大石」行きの大型京阪バスが駐車スペースから1番乗り場にやって来て乗車。2番は「近江鉄道バス」。3番は「帝産湖南バス」の乗り場に分かれている。帝産バスと言えば犬が走っている姿の絵が描かれた観光バスを想い出す。京阪は大津市市内、近江鉄道は湖東地方、帝産は湖南を主なエリアとするバス会社である。
「鹿跳(ししとび)橋」バス停で下車し、国道422号の名前通りの橋を診ることから開始する。前回の最上流部の橋とこの橋との間にはもう一つの橋「南大津大橋」が有るが、橋近くに向かうバスが少なく、バス停も無いので時間を大きく喰う橋は省略して鹿から始める。鹿をししと読むのはなぜだろう?橋上から南を見ると、左(東)から流れてきた「信楽川」が合流し、本川は信楽川の流れに合わせて大きく右に舵を切って西に流れて行く。

01.鹿跳橋から遡行開始

02.北からの流れは橋の南で直角に西に変わる

橋も国道422号も道幅が狭く歩道も無い。交通量も多くあいにくの雪で視界も悪いので歩道のない区間は直ぐの石山駅行きバスで輪行することにする。橋を越えた次のバス停に来ると直ぐにバスがやって来て発車オーライ。来た道を戻ると途中の「立木観音」への参拝車が多く駐車場に溢れている。
「新浜」バス停で下車しバス停前のコンビニで寒さ凌ぎにコンビニ珈琲を飲む。暫し休憩し川上側で建設中の橋に向かう。橋梁建設業者の事務所前の解説板を見、丁度職員が居たのであれこれ新橋の話をする。線形の悪い国道422号のバイパスとこの橋を建設しこの地点で擦り付けるようだ。橋はバスケットハンドル形のニールセンローゼ橋で耐候性鋼材を使用した無塗装橋である。最近の無塗装橋は錆色では無く普通の塗装色に近い色をしているので退廃感は小さい。

03.狭く曲がった国道422号をバイパス化するための橋を建設中

04.瀬田川を一跨ぎのニールセンローゼ橋だ

国道の歩道から右岸側の土手路を進むと名高い「南郷の洗堰」が現れる。琵琶湖から淀川(瀬田川)に流れる水量と琵琶湖の水位を調節する、下流の大阪市にとっては大事な堰である。「洗堰を制する者は大阪を制する」のだ。堰の上流側と下流側とは2mほどの高低差が有る。堰の名前に洗が付くのは何故なのか気にかかる。堰の上の橋は県道108号で交通量も多い。
琵琶湖から瀬田川の両岸には遊歩道が出来、堰が遊歩道の南端になっている。堰の歩道を歩き左岸側の県の施設に入る。暖房がしてあるのでしばし暖を取る。琵琶湖の生物が展示され、水槽には近江名物の「鮒ずし」の材料となる「二ゴロ鮒」が泳いでいる。普通の鮒よりはスリムな体型である。

05.琵琶湖の水位を調節する南郷洗堰

06.堰の上流は両岸に遊歩道が完備

07.これが鮒ずしの元になるニゴロ鮒だ

温まった所で遡行を再開する。遊歩道を北に進むと明治時代に建設された昔の堰の一部が残されている。水量調節は縦溝に角材を人力で落としたり、引き上げたりしていたとある。冬の寒い時に川に入って重い角材を上に挙げるのは大変だっただろう。当然土木遺産に認定されている。大阪市民はこの堰の存在を知っておくべきだ。

08.明治に建設された古い堰の一部を残している

09.これは当然土木遺産に認定だ

更に進むと「琵琶湖河川事務所」の大きく立派な船と専用桟橋が有る。川面の上下に追随できる桟橋で、本四公団が所有していた海の船よりも大きく立派だ。

10.琵琶湖河川事務所専用の船と桟橋は立派!

川沿いの遊歩道と水面がめっちゃ近く、普通の川と景色が違う。堰で水面高さがコントロールされているので高さの変動が小さく、これ以上の高さにはなりえないので水面が高い。
対岸の遊歩道を高校生らしき一団がグループになって次から次に下流に歩いている。川面にはこれまで見たことのない水鳥が泳ぎ、水草を食んでいる。黒い身体に白い嘴の鴨に似た鳥である。ここは水鳥には天国のような場所である。両岸は水位が一定で浅く水草は繁り、捕食し易い水深である。

11.川沿いの遊歩道は普通の川とは違うぞ

12.川は黒い体に白い嘴の水鳥の楽園

ときどき雪の舞う遊歩道を進むと小さな漁船の船溜まりに着く。海なし県であるが小型の漁船にも海の漁船と同じ県ナンバーが付いている。SIGAなので「SG」である。岡山はOKだぞー。
進むと対岸に滋賀大学の専用桟橋と船が舫っている。琵琶湖の生物を研究しているのかな?地形図を見ると桟橋の奥の丘の上に大学の教育学部が記載されている。

13.海無し県でもSG入りの漁船が有るのだ

14.右岸には滋賀大学の船と桟橋が

やがて国道1号の京滋バイパスが彼方に見え、遊歩道の右上の道路にはバイパスの案内標識が頭上に見える。名神開通時には無かった「瀬田東JCT」から分岐し名神高速のバイパスとして大山崎JCTまで開通している。新名神の全線開通が真近になり名神間は2本の高速になっている。瀬田川に架かる橋は4車線の本線と南側に1車線と歩道の側道が併設された見た目がいかつい感じのPC橋である。
遊歩道の脇に数羽の鴨らしき水鳥がよちよちと歩いている。近づいても逃げようとはせず居心地が良さそうだ。

15.京滋バイパスは瀬田東で名神から分かれる

16.いかつい感じの京滋バイパス橋

17.遊歩道横の鴨は人が近寄っても逃げ

18.バイパス橋の左側はオフランプ

川名の元になった瀬田地区を北に進む。相変わらず遊歩道と水面は近く、普通は堤防の上か高水敷を歩いているのでおかしな感覚になる。遡行で直ぐそこに川があるのは初めてである。川と道は緩やかに左に曲がり対岸(西)にあの有名な「石山寺」が見える。山門だけが川沿いに見えるが伽藍と岩は木々に隠れて見えない。

19.川面は遊歩道の直ぐ近く

20.対岸には石山寺の山門が

右側から丘が迫り遊歩道は一段上の道路の歩道に上がる。直ぐの三叉路の東側に瀟洒な建物が丘沿いに建ち喫茶レストランのようなので立ち寄る。鉄道の枕木を転用した階段を上り中に入る。遡行でこんなにオシャレな店で昼を摂るのは初めてである。野菜カレーとエスプレッソをオーダーし、しばしゴージャスな昼を摂る。

21.野菜カレーで遡行一の豪華昼食

22.エスプレッソも飲んだ

40分ほど休憩し遡行を再開する。川と道は再び北に緩やかに方向を変え、遊歩道は再度水面沿いの道となる。名神高速道の橋の下を潜る。大学時代には何度も通過した橋である。鋼桁の間は鳥害を防ぐためカバーで覆われ、遮音壁と相まって巨大な壁状で川を越えている。床板のコンクリートのエッジの一部が鉄筋の錆膨張で欠落している。名神完成から50年以上も経っているのだなー。

23.時代を感じさせる名神高速の橋

24.コンクリートのエッジが欠落している

名神の直ぐ北側には東海道新幹線が川を越え、新しい高速の道路と鉄道が仲良く並んだ珍しい川と橋である。地形と住宅地の分布を考え、極力トンネルを避けるならばこの地点を通過することになる。右岸側の橋の直ぐ下には京大の艇庫が建っている。琵琶湖周航の歌を想い出す。

25.新幹線は桁を全面覆い騒音を低減化

26.京大ボート部の艇庫は新幹線の直ぐ下に

高速交通時代の先駆者の橋の次は古代から受け継がれてきた名橋の「瀬田の唐橋」だ。後ろから対岸を下流に向かっていた高校生の一団が追いかけて来る。カレーを食べているうちに洗堰を渡りこちらを北上して来たのだ。要所に立っている教員に「耐寒イベントですか?」と聞くと、「ええ、耐寒遠足で皇子山公園からスタートして全長25kmです」とのこと。これぞ本物の遠足だぞ。
直ぐに唐橋に着く。三大名橋は何れも淀川に架かる橋で、「宇治橋」は遡行で尊顔を拝し、「山崎橋」は今は無い橋である。唐橋は今まで数十回も架け替えられ、現橋は昭和54年に完成した鋼橋である。橋の左岸側の小広場には古代から中世にかけての橋に係わる歴史が箇条書きに解説されている。京の都に近いこの橋を押さえれば天下を取る確率が高くなる。東から大軍が上洛するにはこの橋を渡らなければならず、橋は戦略上の最重要地点であった。西は大山崎の地峡であろう。

27.三大名橋の「瀬田の唐橋」

28.外観は木橋だがスカートの下は鋼橋なんです

29.瀬田橋を制する者は天下を制する

30.唐橋は両歩道に2車線の滋賀県道16号だ

橋を越えると南から高校生の軍勢が途切れずにやって来て孤軍を追い越して行く。川沿いの公園にはチェックポイントが設けられ防寒服に包まれた先生達が生徒の組と名前を確認している。「ゼロ組の山中です」、「えっ!」。

31.耐寒遠足の高校生の一団と遭遇

32.川横の広場はチェックポイント

次は現代の東海道、国道1号線の橋である。昭和34年完成の橋は2本の箱桁の外側にI型桁を配した構造で荷重の掛かり方に合わせた合理的な構造である。道路面は国道1号ではあるが右折レーンのある2車線で、歩道は狭い。右岸側の陸上の道路幅が建物に制約されそれに合わせた橋幅なので2車線となってしまった。
吹雪の舞う川を大津市の消防艇が航行している。ここには海上保安庁の消防艇は居らんぞな、もし。

33.国道1号の橋は箱桁の外側にプレートガーダーの複合構造

34.大津市の消防艇も居るぞ

続いて東海道本線(この辺りはJR西の琵琶湖線と称する)の複々線の鉄橋が吹雪の中から現れる。下流側が昭和25年完成の古い複線の橋で、上流側は昭和42年完成の複線橋である。鋼橋(10径間)とPC橋(5径間)と時代の違いが分かる橋である。新快速が通過すると「騒音防止などクソくらえ!」とばかり轟音を響かせている。「昔から在る既得権じゃー」。

35.東海道本線の左は古い下り線、右は新しい上り線

最後に現れ出でし橋は大津市の水道橋で優雅な3連アーチ橋である。橋の見本市のような区間であった。狭い範囲に東西を繋ぐ交通の大動脈が密集している。瀬田を制する者は日本を制するだ。

36.大津市の水道橋は3連アーチ橋

休憩した県の施設で「琵琶湖と瀬田川の境界は何処で、何か分かる物が有りますか?」と尋ねた答えの境界を示す簡素な良く見かける境界看板がボートレース場の手前の小川の合流点に立っている。一つの川の河口から最上流部まで初めてやって来たぞー。尤も琵琶湖は広義の淀川ではあるが・・。こんなことが出来るのはあと天竜川(諏訪湖)ぐらいだろう。滋賀県庁には「琵琶湖環境部」なる他県には無い部署が有る。

37.ここが淀川と琵琶湖の境界だ

吹雪で琵琶湖は見えず直ぐに踵を返し石山駅に向かう。湖東地方大雪のためダイヤが乱れ新快速は遅れており駅で40分ほど待ち帰路につく。仕方なく姫路から「みずほ」に乗り時間を稼ぐ。1時間20分の便益である。瀬田川が遡行の最東端になるだろう。

本日の歩行距離:10.2km。調査した橋の数:10。
総歩行距離:9,768.7km。総調査橋数:11,828。
使用した1/25,000地形図:「朝宮」(京都及大阪3号-2)、「瀬田」(京都及大阪3号-1)