高知-9. 物部川(その5)平成29年3月10日(金)晴

天候、身体の調子、母親の介護施設での宿泊依頼が整い久しぶりの1泊2日の遡行に出かける。2年2か月ぶりの泊付き遡行である。物部川本流の最終区間に向かうが、大栃からのコミバスの時刻に合わせて今日の「南風」号は3号利用となり、朝ゆっくりと出かける。1号と比べ車内は岡山発車時点でほぼ満員となる。四国に何度も出かけているが最近は乗客数が増えているように感じる。
土佐山田からのJR四国バスの車窓から駅前商店街のパン屋をカシャ。アンパンマンの横は本筋の食パンマンである。
12時17分、終点「大栃駅」に着くと香美市営のコミバスが2台並んで待っている。どちらも12時25分発で、左側は最大支流である「上韮生川」上流の「影」行き、右側がこれから向かう本流上流部の「別府(べふ)」に向かうバスである。この便(第2便)と夕方の第3便を上手く利用する手を考えた。柚子色の背の高いバスは珍しく、確か伊予の「中山川」の最上流部から乗車した伊予鉄バスと同じ車種だろう。あちらは伊予名産の蜜柑色であった。

01.パン屋の前には当然これでしょう

02.物部村の奥に向かう2台が並ぶ

20kmほど国道195号を東に進み12時42分「別府」に到着、一部工事区間を除き完全2車線の国道をスイスイと進む。コミバス路線らしくないぞー。終点の別府は阿佐国境の四つ足峠の西のベースで、標高510mのここから660mのトンネル坑口まで国道は急坂を登って行く。峠の向こうは阿波の那賀川遡行時にたどり着いた東のベースの木頭北川である。川の上流部は別府渓谷が続き、紅葉の名所である。また北東部には標高1,708mの「石立山」が県境に聳えているが、この位置からは前山が立ちはだかり山の頂上付近だけが見える。那賀川からは独立した大きな山容が良く見えたのだが・・。
川の源流部は無地名地域で道路地図を見ると「国有林」としか書かれていない。香美市(旧物部村)の徳島県境部は全て国有林と記入されており、古来人間の住んでいないエリアで地名が必要ないのであろう。

03.四つ足峠の向こうには那賀川が

04.別府から上流は別府峡だ

05.奥の山が石立山(H=1,708m)

06.那賀川から見ればバッチリ分かる石立山

バスで上って来た国道を南東に向かう。県境を越える車は少なく地元の軽がときどき通る道で2車線が勿体ない。大きく回り込むと対岸の「野地」地区に向かう狭い簡易式吊橋が現れる。錆びに任せたままの橋際には野地バス停も有る。
進むと川と道との間にミニ小山が現れ、テッペンには神社も有る。川向うには今夜泊まる「べふ峡温泉」の建物群が散在している。山あいの貴重な平地を占用しているぞ。

07.専用の吊橋とバス停が

08.今日は対岸のべふ峡温泉に泊まる

最初の堰が現れる。ここで取水した水は長いトンネルで今日の逆遡行の終点予定の川口の発電所に送られる。この堰と発電所は高知県営では無く住友共同電力の所有で、物部川とその支流の最上流部に多くの発電所を稼働させている。伊予のみならず何で土佐の東側まで手を伸ばすのだ。四電は何処に有りや!
落合まで来るとここにも吊橋とバス停が有り、崩れかかったバス停小屋もある。対岸から物の怪が現れそうな雰囲気である。

09.最上流の堰からトンネルで川口発電所へ

10.ここにも専用吊橋とバス停と+α

渓谷に重機が岩を引っ掛ける大きな音が響き渡っている。岩が転がる河床では複数の重機とダンプが災害復旧工事の岩取り除き工事をしている。1km以上先まで響き渡る音である。
反対側の道端には岩肌を3本の細い滝の流れが見える。真ん中が親で右が子、左が孫に見える。こりゃ三瓶山ならぬ三瓶滝だ。名前は「三条の滝」としておく。あれ!尾瀬に同名の大きな滝が有ったなー。

11.河床で災害復旧工事が

12.三条の滝と名付けておく

川は狭い渓谷を小刻みに屈曲を繰り返し、かつての国道(当時は県道?)は川と同じく屈曲の連続であったが、昭和50年代からは2車線拡幅、線形改良、屈曲部のショートカットが進められ大幅な改良が出来ている。小刻みに屈曲を繰り返す所では川と山を串刺しにする橋とトンネルが交互に現れる。トンネルとトンネルの間に架かる「成山第二橋」の桁は錆が多く出ており、特にボルトの錆が進行している。国道橋としては限りなく×に近い△としておく。道路と川との高低差が小さく清冽な川の水が間近に見える。

13.橋、トンネル、橋、トンネルが続く

14.国道橋だが限りなく×に近い△だ

15.この川の水も清冽だ

多くのトンネルの暗く狭い排水構の蓋の上の歩きにくい歩道?部を歩く。「埼岩トンネル」に入るとそれまでの古く、点燈間隔の広い暗い照明が最新のLED照明に変わっている。少し明るくなった道を進み南側の坑門まで来ると照明用の配電盤を操作している作業員と暫し話をする。坑門工の後上に沢の水が導かれ川に向かって流れている。沢水を坑門の上にしてトンネル延長を長くするのはグー。対岸の谷間の奥に地形図で「勘定山(H=1,334m)」と記入された大きな山が朝日に照らされどっしりとした山容を見せている。かつての旅人はこの山の下で通行料を払っていたのかな。

16.坑口の上を沢水が越える

17.勘定山(H=1334m)が迫る

ここまでの11のトンネル中でも古い「津々呂第二」と「津々呂第一」は狭い間隔にLEDが設置され真昼の明るさである。電力消費量の少ないLEDは電球の寿命も長く、トンネル照明のために生まれてきたようなものだ。トンネルの覆抗コンクリートには各種のひび割れ、剥離が起こったようでその補修工事の成果が明るい照明のお蔭ではっきりと分かる。明るい坑内は維持管理にも有効である。

18.このトンネル照明はLEDで明るいー

19.補修工事がいたる所に

津々呂橋の手前からは旧道が川を挟んだ対岸に続いている。やがて屈曲した道を越えると対岸の河原に巨岩が転がっている。その左足元にはぐしゃぐしゃに押しつぶされた車の無残な姿が目に入る。この事故が新道を右岸側に造らせる契機になったのかも知れない。

20.大岩の左下に無残な車が

深い渓谷にはや夕闇が迫ってきている。大きな蒼い淵に二人の釣り人がいる。この時期の釣り人を見るのは珍しい。国道の高い位置から見ると淵の深さは5mは有りそうだ。

21.別天地で釣りをする二人を見つける

22.蒼い水に引き込まれなよー

緩い下り坂の道のお蔭で予定していた「川口」バス停まで行けそうであるが、多くのトンネルの調査も調査したせいで歩く速度を上げる。バス通過予定時刻の3分前に「土佐川口」バス停にとうちゃこ!国鉄バス時代の名残でコミバスなのにバス停名に土佐が付いている。由緒正しいバス停やきに。歩いた距離は久しぶりの10キロ越えの11.8kmである。歩いて来た国道を再度上流に向かう。この第3便利用がキーポイントである。夕闇迫るべふ峡温泉に着き、久しぶりの温泉と自分で作らない夕食に気分もほぐれる。

23.なんとかたどり着いたバス停に直ぐバスがやって来た

本日の歩行距離:11.8km。調査した橋の数:14。
総歩行距離:9,390.2km。総調査橋数:11,353。
使用した1/25,000地形図:「北川」(剣山14号-3)、「赤城尾山」(剣山14号-4)、「大栃」(高知2号-2)