大阪-01. 神崎川(その1)平成25年4月7日(日)曇り、強風

垂水駅と塩屋駅の間で新快速が停車。車内放送もまともに出来ない女性車掌が強風のため停車とアナウンスする。駅員も含めて異常時の対応のまずさが最近際立つ。今日は爆弾低気圧が各地に大型爆弾をまき散らしており、西風でまさかの須磨付近で20m以上の風が吹くとは信じられない。風速計の保守は大丈夫なのかな。明石海峡大橋は通行していたのを見たのでなおさらである。
30分ほど遅れて三宮で下車。勝手知った地下から阪神三宮駅に向かうが駅は大幅に変わり、暗く狭い地下駅が見違えるように広く、綺麗におしゃれになっている。かつては南側にあった行き止まりの折返し線が西行本線となり、東行き本線との間に近鉄奈良行きの快速急行が発車する線が設置されている。ホームの幅も広くなりホームが全体に東に20mほど移動し、東側にも改札口が完成している。
尼崎駅で近鉄電車の各停に乗り換え、出来島駅で下車する。初めて降り立つ駅である。高校の同窓生には何人か西淀川区からの生徒がいたが、西淀川区とは縁が無い所であった。駅付近にはいくらかの商店と住宅が見られるが、少し歩くと工場群の中に入る。今日は金券ショップで購入した18切符を使用して神崎川を目指す。かつての西淀川のイメージとは異なる煙も臭いも無い普通の道を西に進む。下水処理場、西淀高を過ぎ、運河のような西島川を越え神崎川の最河口の橋を目指す。最初の橋は対岸の中島3丁目に向かう高架橋で、頭上高く越えて行く。かつては川を多くの船が工場に原材料を運んでいただろうが、今はその姿は無く、やけに高い位置に架かる橋が可哀そうである。

 01.河口部の橋は頭上高く横断

道の突き当りには防潮堤が高く聳え、堤の上には行けないようになっており、全く水面は見えず川無しの遡行を開始する。最初の普通の橋の所でやっと川面を見ることが出来るが直ぐに塀の下の歩きとなる。神崎川はかつては独立した川であったが、(新)淀川改築に伴い淀川の分流となってしまった。川は国管理では無く大阪府管理となっている。

 02.高さ8mの防潮堤が聳える

 03.神崎川は大阪府が管理

巣鴨拘置所の塀の中を歩いているような、無味乾燥の道を進むとコンクリート塀に、川を地元住民も美化清掃作業に参加しているとのシールが貼ってある。ここでもやってまっせー。

 04.大阪でもやってまっせ住民参加の活動を

第二阪神国道が川を渡る出来島大橋付近で神崎川から中島川が分流する。どちらが本家か分からないぐらい中島川は広い川幅である。更に上流で分流した左門殿川が途中で中島川に合流する。淀川とその分流は複雑怪奇な形で分流、合流を繰り返す日本一複雑な川の集団である。これが大阪の発展の原動力であったのだ。出来島大橋の上には市営バスのバス停が設けられ、さすが川と橋の町大阪である。

 05.ここで中島川(奥)が分岐

 06.橋の上にバス停が有る出来島大橋

阪神難波線の出来島駅付近からは「なにわ自転車道」が地図入りで紹介されている。見れば、神崎川の左岸(南側)を淀川からの分流点まで延々と自歩道が続いている。これは大助かりである。
直ぐの阪神難波線のトラス橋は架け替えて余りたっていないのに、阪神高速三号線の真下部に塗装の剝がれが際立つ。施工不良か雨水があたらないせいかだろう。1kmも行かないうちに今度は阪神本線を潜る。おりしも赤胴車が通過したのでカシャ。阪神では長い間、優等車用の6両編成が赤色と肌色の二色に塗り分けられ、普通車は4両の青と肌色に塗られた車両が使用されていたのでそれぞれ、赤胴車、青胴車と言われていた。最近はこれが壊れ、阪神の敵方のオレンジ色の電車が混じっている。このため最近の阪神は巨人に歯が立たなくなってしまった。

 07.神崎川左岸には自歩道が有る!

 08.阪神難波線の橋はここだけに 剝がれが集中

 09.阪神本線を行く赤胴車

川は緩く湾曲して流れているのだが、高い塀に阻まれその姿は全く見えない。国道2号に架かる神崎大橋は以前のままの橋なので、その後完成した防潮堤よりも2mほど路面が低く。防潮堤にぽっかりと穴が空いたようになり、非常時には防潮扉が道路を遮断するようになっている。このためこの橋を側面から見ることはあたわず、橋の形式、状況は全く見ることができない。今まで数千の橋を見てきたが、姿を全く見れないのは初めてである。
川は大きく湾曲し、大阪市が大きく突き出た突端部で西淀川区から淀川区に入り、JR東海道線と東西線の3複線の橋を潜る。この橋がここまで見て来た橋で最も状態は良くない。そろそろ塗替えの時期が来ている。直ぐに田辺三菱製薬の工場が現れ、工場というよりは倉庫のような建物である。大阪は道修町に代表される薬の製造、販売でも大きくなってきた。銀行、保険会社と一緒で会社名に一緒になった社名が連なる世の中になってきた。

 10.田辺三菱製薬の工場は倉庫のよう

やっと塀も低くなり、自歩道も土手の内側の河川敷内の道となり、普通の川歩きとなる。自転車とジョギングの人とは出会うが、歩行者とは出会わない。こんな無味乾燥の道を歩く人は少ないのだろう。
大きく東に向きを変えると山陽新幹線の長―い橋が視野一杯に広がる。猪名川との合流部で川幅は500m以上はありそうである。

 11.山陽新幹線は猪名川との合流部を横断

猪名川遡行時に渡った毛斯倫大橋を越え、阪神高速池田線と府道10号線が一体になって造られた珍しい大豊橋を越える。対岸は尼崎市から豊中市に変わり、対岸に今度は塩野義製薬の工場が見える。こちらも工場らしくない建物で、製薬は製造よりも研究開発の方にコストがかかるのであろう。

 12.今度は塩野義製薬の工場が

やがて阪急神崎川駅が近づき、朝の遅れもありここを潮時と川と同名の駅から帰路につく。梅田に出て直ぐに新快速に乗り込む。未だ風は止まないがなんとか平常ダイヤで走っているようだ。

本日の歩行距離:10.0km。調査した橋の数:20。
総歩行距離:5,799.3km。調査橋数:9,343。
使用した1/25,000地形図:「大阪西北部」(京都及大阪12号-2)