兵庫8-2.羽束川(その2)平成25年1月8日(火)晴一時曇り

平成24年最初の遡行に出かける。カレンダーも手帳も西暦表示が主流になり、年号がますます軽んじられてくるのには困ったものだ。
今日は20km余り歩くので時間節約の為、往復とも姫路まで新幹線利用とする。遡行位置が遠くなり交通費、宿泊費がかさむので今年はペースダウンせざるをえないようだ。尼崎、三田と乗り変え、先日の折返し点の小柿バス停に着いたのは10時49分。ここから羽束川の最上流部の大阪府能勢町天王まで16kmほど遡り、天王でUターンし、篠山市後川(しつかわ)篭坊まで下り、篭坊から神姫グリーンバスでこの小柿に下ってくるコースで、いささか忙しい歩きになる。ここが標高220mで天王が500mと標高差は280mである。
細長く広い谷間の北端の小柿から県道37号を北に向かう。直ぐに蔵の小僧がこちらを見つめている。「おや!誰か来たようだ」。

 01.おや!誰か来たようだ

渓谷の入口に架かる最初の橋から川を見れば、川面が石で仕切られ川の全てが釣り堀になっている。天下の公物である川の水面を釣り堀に占有させることは出来るのだろうか?何かおかしい。直ぐ上流には関電のミニ発電所が有り、県道からの入口には歓迎の看板が建っている。多くの発電所の前を通過してきたが、このような看板はお初である。大正6年完成、出力450KWの古い水路式ミニ発電所である。

 02.川の中の全てが釣り堀に

 03.発電所の歓迎看板は初めて

薄暗く冬枯れの渓谷の県道を通る車は少なく、平凡な景観の谷間の橋の無い道をひたすら黙々と歩く。人家、田畑は全く無く、こんな谷間に神姫グリーンバスが1日に4往復も走っているのが信じられない。道は北向きから曲がりくねりながら少しずつ東に向きを変えていく。川の右岸から左岸に変わる橋の際には「羽束川を美しく」との啓蒙碑が建っている。神戸市の水道水の元なので綺麗にしなくっちゃー。人口、田畑の少ないこの川に神戸市が眼を付けたのが分かってきた。他人の褌をあてにしていると言われるのを嫌ったのか、この川が武庫川に合流する地点のダム付近は神戸市北区道場町として、不自然な形に迫り出している。

 04.神戸市水道の元なので綺麗にしなくっちゃー

平凡な渓谷の景色に飽きた頃に三田市から篠山市に入る。カーブを曲がるとそれまでの狭い渓谷から別の景色が広がる。川は東からの流れとなり、広い谷間に民家と田畑が続いている。篠山市後川(しつかわ)地区である。篠山市の中心部からは東西に連なる山波に隔てられ、三田からも狭い谷間に隔てられた別世界である。バス便が多いのが理解できた。ガッテン、ガッテン。

 05.渓谷の終わりからは篠山市

この付近は多くの川の源流域となっており、猪名川の源流部をこの武庫川の支流である羽束川が北側を取り囲むように流れ、更に北側を加古川水系の篠山川の支流である籾井川が取り囲んでいる。兵庫県、大阪府、京都府が踵を接し、地形と合致しない不自然な府県境になっている。能勢町が兵庫と京都の間に進入した形である。丹波と摂津を無理やり二つに分けた結果で、明治初期に薩摩の田舎侍がこんな形の県境にしてしまった。
広くなった県道を東に進み、地域の中心である後川上まで来ると篠山市の大型コミバスがやって来る。市の中心部と後川を繋ぐバスで、大勢の小学生が降車し、直ぐに小柿からやって来た神姫バスに乗り込んでいく。この谷間の交通事情は良好である。

 06.篠山市のコミバスは大型車

県道12号との交差点の後川上で県道37号は終わり、12号が羽束川を越える「新慶賀橋」を渡る。新年早々何ともおめでたい名前の橋に巡り会える。12号線は川西から猪名川沿いに北上し、最初の山波を越えここ羽束川に降り、更に北の山波をトンネルで越え篠山に向かう道で、先日の猪名川遡行時に歩いた路である。橋を渡ると更に東に向かう県道309号が始まりこちらに進路を変える。
角に今時珍しいドライブインが有ったので立ち寄る。昼飯は姫路駅でお握りを買っているのでパスし、店先に置いてあった名産の山の芋を見つけ購入する。2個で千円、好物である。これを擂り、団子にして芋鍋にするとまっこと美味いきに!再び渓谷に入り道も狭くなる。ここ数日は立派な入母屋の民家を見慣れ、いずれも最近改装された物であったが、数軒の集落の中に藁葺屋根の古民家が現れる。

 07.藁葺屋根の古民家が健在

やがて篭坊温泉も現れ、支流が合流する出合橋からは数軒の旅館が並んでいる。かつては賑やかであっただろう温泉は、廃業した宿の建物が残りうら寂しい景色である。本日休業の宿の入口のベンチでお昼とする。今日は厳しい工程なので10分で切り上げ遡行を再開する。旅館が過ぎた所がバスの起終点である篭坊バス停である。天王往復9kmを2時間余りで踏破する必要がある。
近くにこの温泉の由来を書いた銘板が有る。温泉は平家の落ち武者が傷の手当てに利用され、温泉名は、かつてこの近くに有ったお寺の篭り坊を温泉療養者の宿舎として利用させていたことから付いたと解説している。

 08.篭坊温泉の由来書

やがて兵庫県と大阪府の府県境の標識が現れる。兵庫県は大きな普通の板であるが、大阪府の方はえらいちいちゃいでんな。板とは反対に境を越えると狭かった県道538号から2車線の広い府道601号となる。100m置きに明確な距離表がつけられ、大阪はちがいまっせと言っているようだ。

 09.ここから大阪府能勢町だが小さいな

 10.兵庫県側は大きな標識板

道は広くなったが行き交う車はますます少なく、往復2時間強で出会った車はたったの4台。能勢町北端の天王地区の真ん中を国道173号が通り、大阪と篠山を結んでいる。この地区に降った雨の大半はこの羽束川に流れ、ほんの一部は国道沿いに篠山川の支流のまた支流の水無川に流れる。直ぐ南の山波をトンネルで潜ると、猪名川の支流の山辺川が南に流れている。この地域が大阪府であるのが不自然であるのをこの目で見て実感する。これを確認するためバスの無い道を遡って来たのである。
能勢町に入ると直ぐに後川地区には無かったマンホールが現れる。図柄は複雑な物で何が描かれているのか分からないがカシャ。ここにも兵庫と大阪の格の違いを見せつけている。

 11.これが天王集落

 12.能勢町の図画は複雑

 13.こんな盆地にも下水処理場が有る

現場を見て納得しUターンし来た道を戻る。来るときは緩い坂道で時間が掛かったが、帰路は下りでホイホイと急ぎ足で歩ける。三分の二の時間で篭坊バス停に着き、バス停横の小屋で折り返しのバスを待つ。やがて遡行時に二回出会ったバスが到着し、少し先の回転場から戻ってくる。
乗り込むと直ぐに発車し、60過ぎの運転手さんが話しかけてくる。学校を出て直ぐに神姫バスの車掌になり、ずーっと神姫バスの運転手を務め、一時は観光バスにも乗り、日本のあちこちに行ったとのことで、貸切状態の30分余りのバス旅であちこちの話が咲いた。小柿でバスを乗り変える時には、若い運転手に何かを告げ、お客にもらったというヨーグルトのおすそ分けをしてもらい、再会を約し次のバスが発車する。これぞ一期一会、一期一所である。「お元気で」と別れる。

 14.神姫バスを貸切で帰路につく

本日の歩行距離:20.0km。調査した橋の数:28。
総歩行距離:5,463.9km。総調査橋数:8,933。
使用した1/25,000地形図:「木津」(京都及大阪11号-3)、「福住」(京都及大阪10号-4)