兵庫-9.猪名川(その1)及び兵庫9-01.藻川 平成24年12月13日(木)快晴

今日は無風快晴の絶好の遡行日和。久しぶりに山陽本線に乗り尼崎から東西線に乗り換え加島駅で下車。初めて降りる加島駅は複々線の東海道本線の真下に設けられた地下駅である。駅前の小さなローターリーの外れに瀟洒な大阪らしくない建物が目を引き近づくと、あの有名なコンビニがいつも見かける姿とは全く異なる姿で控えている。車をあてにしないコンビニが駅前に有る。

 01.瀟洒な建物にコンビニが入っている

直ぐに北に有る神崎川に向かい歩き出す。今日はこの神崎川に注ぐ猪名川の遡行の一日目である。猪名川は公式には、淀川の分流である神崎川の支流の扱いであるが、短い神崎川よりもはるかに長く、兵庫県の東端部を44kmも流れる川であるので独立した川としてここでは扱うことにした。神崎川に架かる大阪府と兵庫県境の毛斯倫(モスリン)大橋から西を見ると、神崎川に合流する地点を山陽新幹線の橋が横断している。遠くにはJR尼崎駅前のビル群と六甲山が見える。橋を渡れば尼崎市戸ノ内町で早速マンホールが現れる。図柄は川と魚とトンボと花で、かつては工場群が尼のイメージであったがこれを払しょくしたいような絵柄である。

 02.猪名川の神崎川との合流点には新幹線が

 03.これが尼のマンホール?

猪名川左岸の堤防に着き遡行を開始する。直ぐに猪名川から分流し再び合流する藻川と猪名川の合流点に着く。両河に架かる橋は全く同じ形態の橋でこれぞ瓜二つである。堤防上の道路に尼崎市営バスがやって来る。公営バスが廃止、縮小が続いているが尼や伊丹、高槻などは健在である。

 04.藻川(左)と猪名川(右)の橋は瓜二つ

 05.尼崎市営バスは健在

兵庫県が長年に亘って建設してきた山手幹線の二つの橋の間の河口部にはミニ公園が在り、二つの川に挟まれたさつま芋のような形をした中之島をぐるりと回る自歩道の案内板と戸ノ内の鯉伝説の解説板が有る。天平期に僧行基がこの地の橋が流され対岸に渡れず困っていると、多くの鯉が橋のように集まり、この鯉の背を歩き無事に対岸に渡れた。以来この地の人は近辺の鯉を捕り食することを止めたとある。

 06.猪名川と藻川の間はさつま芋のよう

 07.戸ノ内の鯉伝説の解説板

猪名川には大きな河川距離標が立ち、さすが淀川の孫河川の扱いである。猪名川に架かる阪急神戸線の橋を診てUターンし、藻川を上流に向かう。

 08.立派な河川距離版が見える

名神高速を潜り、東園田橋で一旦川を離れ近くの竹馬の友宅に向かう。暫し旧友夫婦と歓談し、直ぐに友と一緒に遡行を再開する。今度は猪名川に向かい名神を診て上流に向かう。河川敷の整備状況はいまいちで、草木が良く茂っている。川の真ん中が兵庫県と大阪府の境であるが、直ぐに府県境は川筋とは異なる複雑な線となる。境が決められた明治の初めの猪名川の流れがこの境で、その後河川改修がなされ境が不自然な形に成ってしまった。一時的にこの芋に豊中市が食い込んでいる。かつての府県境にこだわらずに川を境にすればいいのにと外野席は感じる。
この状況は大阪国際空港の広大な敷地に顕著にみられる。かつては伊丹空港と言われていたこの空港の敷地の中を府県境が走り、更に豊中と池田の市境も走っている。敷地の三分の一以上が伊丹市域であるが、細長いターミナルビルは三市に跨っており、正面玄関部は豊中市と伊丹市の境界である。空港名はここが関西空港で良かったのである。川の北東側にある空港には切れ目なく飛行機が着陸態勢で飛んで来る。

 09.大阪空港に着陸寸前のJAL機

やがて園田競馬場が現れ今日は競馬開催日で場内放送が聞こえてくる。広大な敷地を要する競馬場が造られたことから、この一帯が二つの川に挟まれた荒地だったと想定される。対岸には母校の日本史の(故)村川先生が携われた田能遺跡の看板が見える。本格的な弥生遺跡が送水場工事中に発見され、工事に追い立てられるように発掘作業が進められた遺跡である。

 10.本日開催中の園田競馬場

伊丹市に入ると二つの川は再び1本になり、遠くから目立つ斜張橋の神津橋に差しかかる。丁度河川敷にベンチが有ったのでお昼を摂ることにする。抜けるような青い空の下、無風の河原でのおにぎりと持参した蒸かし安納芋は美味い。

 11.神津大橋の下で昼食を摂る

次の幹線道路に架かる桑津橋を右岸側に渡り、今度は右岸側を下流に向かって歩き、分流点からは藻川を下って行く。再度の阪急神戸線の下を下り、園田橋から園田駅に向かい帰路につく。

本日の歩行距離:14.1km。調査した橋の数:24。
総歩行距離:5,374.0km。総調査橋数:8,778
使用した1/25,000地形図:「大阪北西部」(京都及大阪12号-2)、「伊丹」(京都及大阪12号-1)