大阪1-4-1. 第二寝屋川(その1平成30年9月28日(金)快晴

寝屋川の次は熟慮の末「第二寝屋川」とした。第二とは可哀そうな名前にしたものだ。河内平野はかつては大和川が流れ多くの池と湿地が広がる地域で、大和川付け替え後は小さな川をくっつけたり、離したり、開削したり、拡幅を繰り返して今の姿となった。北側を寝屋川で南側は複雑な経過をたどって第二寝屋川が代表して水を流すことにした。この経緯だけで1冊の本が書けるぐらいの歴史がある。

JR東西線「大阪城北詰」駅に初めて降り立ち、地下から地上に出る。「北新地」、「大阪天満宮」、「大阪城北詰」、いずれもカッコをつけ過ぎた駅名である。自分なら「曽根崎」、「南森町もしくは南天満」、「新片町」である。片町線の起点駅名が無くなってしまったのは可哀そうだ。1番出口から出るとそこは寝屋川遡行時に調べた橋のすぐ際である。今日はこの秋一番の快晴で橋の上からは大阪城がくっきりと青空に浮き上がって見える。

01.東西線「大阪城北詰」駅に初めて下車

02.寝屋川の橋を渡り第二の合流点へ向かう

ビジネスパークのはずれを南に進むと最初の橋となる「新鴫野橋」に出会う。橋際には第二寝屋川の役割が簡単に書かれた河川名標識が立っている。橋の高欄には大阪の橋には珍しい擬宝珠が付いている。地形図で見るとこの橋が天守閣に最も近い所に有るなー。

03.第二寝屋川は河内平野の治水対策として整備された

04.「新鴫野橋」は擬宝珠付き

右岸側の整備された遊歩道を東に向かう。満々と水を湛えた川は大河川のように見える。大阪城の第三の堀のようにも感じる。寝屋川との合流点から生野区、東成区を北上してきた「平野川」が第二に合流する地点までは平野川を拡幅した区間で、第一よりも川幅が広い。

05.大阪城の外堀のような第二寝屋川

久しぶりの遊歩道を進むとすぐに「大阪城新橋」が現れる。この橋はごく普通の桁橋であるが、桁下高さを高くするため桁をアーチ状にしている。幅の広い路面はすべて歩道で、すぐ近くの「大阪城ホール」から一度に出てくる観客で混雑しないようになっている。橋から見えるホールは屋根だけで本体は地下構造になっているようだ。

06.大阪城新橋は城とホールへの道の橋

07.橋の上は広―い歩道になっている

橋を過ぎるとすぐに船の接岸設備が2バース整備されている。水上バスが運行されているのかな。地形図にも渡し舟のマークが挿入され、他を探すと天満橋、淀屋橋の橋際、毛馬橋の手前にも書かれている。帰宅してネットで調べると1時間おきに観光船が4か所の乗船場に立ち寄るクルーズ船を京阪電鉄が運行している。琵琶湖でノウハウを積んではるからな。隅田川には負けられまへん!大阪城港は毎時0分発なのだが今は10時40分、当日はダイヤが分からないのでパスして東に進む。

08.水上バスも来るのかな?

遊歩道では今日も数名のサラリーマンが煙草を吸いながら雑談をしている。すぐ前には読売テレビの大きな建物が建っている。なるほどなー。

大阪市道とJR環状線が隣り合って川を越えている。環状線の桁の塗装履歴を見ると、川名が「平野川」になっている。橋の台帳では昔の名前で出ていーまーすー。

09.第二寝屋川の元の名は「平野川」だっせ!

市道と環状線の下を苦労して潜ると川はフォーマルな姿から普段着の姿に一変する。小型の川清掃船が先頭に作業員が2名乗り川を注視しながらやって来た。川舟を初めて見た。

10.川を掃除する舟が通過

南側の広いエリアの右側には大阪環状線の電車の母港の「森ノ宮電車区」が、左には大阪メトロの検車区が広がる。市中心部近くによくぞこれだけの広い土地が残ったものだ。さらに東側には清掃工場もある。

11.川向うはJR森ノ宮車庫と大阪メトロの車庫だ

右岸側を進むと主要地方道の市道が川を越える「下城見橋」に来る。橋とその前後のアプローチ部が前進を妨げてくれる。アプローチ部は補修されたようでその補修仕様が分かりやすく残されている。

12.「下城見橋」のアプローチ部の補修の仕様が良く分かるぞ

道路は横断できないようになっているが、ここを横断しないと前に進めないので車の流れを見計らって横断する。子供の時に御堂筋の信号のない所を横断して小学校に行っていたのを想いだす。

やがて本来の川である「平野川」が南からカーブしながら合流している。この川は子供の時に東成区で見たが、悪臭がすごい川であった。

13.南から元親の「平野川」が合流

平野川合流点から東は川幅が少し狭くなり、川沿いの道の川側にはコンクリート壁が並ぶようになる。まっすぐに東西に掘られた川には一定の間隔で同じ形式の橋が架かっている。橋は桁下高さを確保するため太鼓橋風に湾曲し、壁よりも低い住宅地に道が下がっている。どの橋も開削、拡幅工事と同じ時期に架けられたようであるがその管理状況は良好で、低地の続くエリアに明るい色の橋が元気をつけてくれる。さすが橋の町大阪の橋である。ここまで大阪市が管理している鋼橋で△とした橋は無く、すべて〇と◎である。

2、3百メートルおきに現れる橋をこまめに見ていくと、やがて南と北から水路が川に合流する川の交差点に差し掛かる。これじゃ最早川ではなく水路、運河である。

14.新規に開削された川に架かる橋はみんな同じ構造である

15.川と水路が平面交差してはるー

交差点を過ぎると大東市でよく見かけた3階建ての民家が現れる。こちらの方は最新バージョンで1階が高く、生活空間としても使用されているようだ。目の前の壁の高さがちゃうもんなー。

16.ここにも3階建ての文化住宅が

交差点の東側の橋の桁の中央に灯火設備が付いているぞ。瀬戸大橋などに付けた航路中心灯かと思って進み、次の橋から見ると緑色の信号機の灯火が点灯されている。そうか!水路の交差点の手前に取り付けられた信号機なのだ。車は急には止まれない、舟は全く止まれないのだ。それにしては見かけた舟はあの清掃舟だけだ。

17.おや!橋の桁に信号機らしき物が有るぞ

18.そうか!この先は水路の交差点だったのだ

国道479号の橋でも苦労して横断し、次の橋に来ると広い路面は車は通行できないようにして、歩道部とは別の超ワイドな歩道橋になっている。橋の北東部には放出駅が有るのでショートカットする車を排除するための処置かもしれない。

尼崎駅の乗り換え通路に有ったうどん屋で早めの昼を摂ったが、小腹が空いたのでコンビニの看板が目に付いたので立ち寄り、パンとコンビニアイスコーヒーで小休止を取る。

19.「放出」駅に向かうこの橋から車は放出され人だけOK

川沿いの道が無くなり川沿いに高層住宅が建っているので仕方なく駅方向に向かう。放出と言えば中古車センターが連想されるが、そんなもんはなんちゃ無いで。

20.放出駅付近に中古車センターは見当たらないぞ

駅の南口前に来て川に来ると対岸に「長瀬川」が狭い幅で合流している。何を隠そう、この川はかつての大和川の流れを踏襲している由緒正しき川なのだ。今は肩身の狭い思いだ。

21.右から合流するこの川「長瀬川」が本来の大和川の流れだった

「放出駅東橋」なる超リアルな名前の橋を渡り初めて左岸側を歩く。家々が立て込んだ川沿いの南側の道を進みJRおおさか東線の巨大な無塗装のトラス橋を見ると、その先は行き止まりとなり来た道を少し戻り、住宅地の中を迂回して川に戻る。放出を過ぎると川は南東からの流れ?となり、おおさか東線は南から、片町線は北東からの流れに変わり、ここで全員別れ!カーブしているおおさか東線の踏切を越え、次に車庫に向かう線路の下を潜るカルバートを通過して川に再会する。

おおさか東線は城東貨物線を複線電化し、現在は放出~久宝寺間を開業しているが来春には新大阪まで延伸開業される予定である。建設は大阪府、市、沿線市、JR西などが出資した三セク「大阪外環状鉄道」が行い、JRが運営する上下分離方式である。大阪はJR東西線、なにわ筋線建設でもこの方式で鉄路を広げている。阪神なんば線、京阪中之島線でも三セク方式で建設され上下分離方式である。地方の鉄道はいずれ廃止か上下分離方式で生き残るかかの選択をすることになるだろう。道路、空港は国や自治体が保有、管理し、利用者はガソリン税や空港利用料、着陸料などを支払うことでOKだが、鉄道は鉄道保有者イコール運営者が管理、運行とすべてを行っているが、いずれは道路などと同じ形態になるだろう。

川と車庫に向かう引き上げ線の間の道を南東に向かうと車庫の入り口の門に看板が掲げられている。その名前の長―いこと!所属長はそれぞれ兵隊の位で言えば、中佐、少佐、大尉というところか?

調査会時代に関空連絡橋の塗装塗り替え計画検討業務を行うため、橋の調査に先立ちJR阪和線の「鳳電車区」で線路敷地内作業責任者研修を受けたことが有る。

22.百済貨物駅に向かう線路を複線電化しておおさか東線にした

23.片町線の電車はここが母港だが、名前が長―い

どぶ川を想いだす臭いがしてきたが道沿いに可憐な花が咲いている。鼻に蓋をして目で花を見て頂戴と言っている。

24.まったく色違いの花が一緒になっている

「楠根小学校」の通学路に架かる橋の名は「新楠根大橋」。この規模の橋でも大橋と言うてはる。

25.この幅でも大橋と言うてまんねん!

やがて予定していた藤戸小学校までやって来て校門前のバス停に13時55分に到着。5分後に少し遅れて近鉄の小型バスがやって来て徳庵駅に向かう。2分前に到着とはJR以上でんな。

狭い道をくねくねと曲がり、徳庵駅からだいぶん離れた駅前に着く。バス停名を駅口にしてくれよ。調査した橋の数はなんと45も有る。新記録かも。快晴の空の下気持ちよく歩いたなー。

26.13時55分「藤戸小学校前」バス停に到着

27.すぐに近鉄の小型バスがやって来た

本日の歩行距離:8.5km。調査した橋の数:45。

総歩行距離:10,085.3km。総調査橋数:12,481。

使用した1/25,000地形図:「大阪東北部」京都及大阪8号-4)