兵庫6-6. 篠山川(その3) 平成24年8月21日(火)晴

先日の不名誉の負傷のリベンジを図るべくいつもの電車で出かける。新快速が尼崎駅に入る寸前に停車する。暫くして車内放送がJR京都線の千里丘駅付近で人身事故が発生し、尼崎駅に先行電車が停車しているため信号待ちと言っている。5分ほどして駅に入り、福知山線のホームに乗り変えるが、京都、神戸、宝塚、東西の全線がマヒ状態になっている。各線がここ尼崎で相互乗り入れをしているため、事故による不通が全線に波及する負の成果が生じている。影響の少ない大阪始発の丹波快速が遅れてやって来たが、福知山線内も下りの宝塚、新三田折返し電車が大阪方面が動かないためにホームに留り、進行を妨げる。新三田駅の四つのホームは電車が占拠しているのが見える。進行、停止を繰り返し30分遅れで篠山口駅に着く。

 01.新三田駅は満杯の様相

先日と同じ電動アシスト自転車を借り、横転した現場に再度向かい現場に塩を撒いて上流に向かう。右側の道を降りて来て左の道に入ろうとして砂利に急ブレーキがかかり横転してしまった所である。

 02.この曲がり角でスッテンコロリン

篠山川の両岸には桜並木が続き、心地よい風を受けて軽やかに自転車は進む。左岸側から県道に架かる「渡瀬橋」を渡り右岸側に変針する。橋の四隅の親柱には篠山名物の猪が狛犬よろしく鎮座している。ここ篠山は「松茸」、「猪」、「黒豆」、「栗」そして「デカンショ節」で有名で、ブランド物である。先ず最初に猪がお出迎えしてくれる。橋を渡れば旧:篠山町で、マンホールには篠山城跡と松、百合が描かれている。

 03.篠山の象徴「猪」が親柱に

 04.篠山町は城址と松に百合

町の中心部の南端の県道49号を東に向かい、城址の南東側に架かる「監物橋」を渡ると今度はデカンショ踊りの男と女が両側に建っている。先日はデカンショ祭りの当日であったが、事故でそれどころでは無かったがこの像で祭りの雰囲気を味わう。

 05.デカンショ節の踊りも親柱に

左岸側を暫し走り次の京口橋で再度右岸側に渡る。京口橋とは城から京へ向かう起点を示しているのだろう。坂道になると電動スイッチを入れ、快調に坂を駆け上がって行く。弁天橋は城下町の雰囲気が漂うデザインで、観光に掛ける町の活きを感じる。橋の上から下流側を見ると、河原にこんもりと茂った木々と鳥居が見える。見事な茶碗型の森である。

 06.城下町の雰囲気を橋にも

 07.河原にもっこりと茂る木々と神社

町の東側に来ると、篠山町内にもかかわらず異なるデザインのマンホールが次々と現れる。町の北側に聳える御嶽をメインに川、田が入り。必ず松と百合が入っているのは、これが町花、町木だったのであろう。異なる図柄のマンホールが有るのは、町村合併前の早くから下水道が整備されてきたのだろうと推測する。

 08.町の東側には御嶽と川と松と百合

 09.直ぐ隣の雲部地区には御嶽と田と松と百合

更に上流側に進み泉橋を今日の限界点として引き返すことにする。川に架かる県道の橋は架け換え工事中で車は通行止めであるが、自転車は仮橋があるのでこれを渡り、対岸の国道372号に向かう。
東西に延びる国道を電動アシストを駆使して快調に西に向かう。途中の八上地区でまたまた異なる図柄を見つけ、急停車してカシャ。今度は親子のイノシシと黒豆が入っている。篠山のテンコ盛りヤー。周りの田圃のあちこちには黒豆が育っている。これで松茸が見つかれば文句なしであるが、これは無理。

 10.南の八上地区は城に猪と松と百合と黒豆と盛りだくさん

 11.田の間には黒豆畑が点在する
2時間半強で25kmほどを駆け巡り13時50分に駅に着く。ダイヤの乱れは続いており、運よく遅れていた快速にすぐ乗り発車。自転車の速さのお蔭で後れを取り戻すことが出来た。
今日の歩行(自転車走行)距離:25.3km。調査した橋の数:11。
累計歩行距離:1,945.3km。累計調査橋数:2,463。
使用した1/25,000地形図:「篠山」(京都及大阪14号-2)、「福住」(京都及大阪10号-4)

兵庫6-6. 篠山川(その4) 平成24年8月24日(金)晴

今日は事故も無く時刻通りに篠山口駅に到着。いつもの駅の貸自転車を借りるが、往復40km余り走ると言うと、「予備のバッテリーを持って行けば?」と有り難いお言葉。これで安心して出発できる。先日の折返し点まで帰路に利用した勝手知ったる道を、電動機のアシストを受けて快調に走る。途中、別の道(旧道)があったのでそちらを走り、城東地区に入る。再度旧道と国道が交差する地点に遠くから目につく枝ぶりの良い樹があるので、その下で一休みする。
この辺りまでは広い盆地を東から西に流れていた川は方向を変え、広い谷間を北から南に流れている。自転車の受付で普通の大豆(枝豆)と黒豆の外見上の違いを聞いて、黒豆は大きく、畝の間隔も広くしていると聞き、先日の写真のは普通の豆のようなので、ホンマモンを写真に撮っておく。たしかに大きく、手間暇をかけているのが分かる。

 01.国道と旧道の交差部には枝ぶりの良い樹が

 02.これが黒豆のホンマモン
川の左岸側の歩道と広い路肩のある国道173号を北に進んで行くと、またもや違うデザインのマンホールが現れる。村雲地区のも松と百合が入っている。篠山町は各地区にデザインを任せているが、町花と町木は必須だったようだ。なぜかUSAの国と州の関係に似ている。雨が降れば「雨の村雲・・・」と行きたいところだがあいにくの晴天で、村雲小を過ぎた交差点に多紀連山への案内標識が建っている。ここが多紀アルプスの東の入口のようだ。

 02.村雲地区のも松と百合が入っている

 04.多紀連山の入口はこちらから

福井地区に来ると国道脇に、あの有名な大関の工場がある。灘に有ると思っていた工場がここ篠山に有る。この辺りは丹波杜氏の本場なのか、他にもいくつかの酒造所の案内看板が目につく。

 05.メジャーな大関酒造の工場が有る

やがて北から流れて来た藤坂川と東から流れてきた本流との合流部に着き、国道を離れ県道702号に向きを変え、狭い谷間に入って行く。ここからは大芋地区で「おくも」と読む難読地名である。早速マンホールが現れ、見るとデザインが今までとは異なり、松百合の拘束が無い。

 06.大芋(おくも)地区には松、百合が無い

車の通らない広い県道の緩やかな坂道を電動車は快調に走らせてくれるが、前のタイヤの空気圧が不足し、ハンドルが重い。釣り針のような形の本流は東から南に方向を変える。脇谷橋で県道702号は東方向の京都府京丹波町を目指す。たった3kmで京都府である。これでは神戸よりも京都に眼が向くことになる。本流は沿いの道は県道303号となる。
二つの川が合流する立金地区の橋を遡行限界点とし、引き返すことにする。左手の山の向こうは京都府である。山向こうの川は由良川となり、日本海に注ぐ。

 07.左に行けば3kmで京都府京丹波町

 08.ここで打ち止めとする

緩い下り坂を下り、国道際のミニコンビニで一休みし、空気入れの所在を聞くと、近くのバイク屋に有るとのことで、道を戻りコンプレッサーで空気を入れ、バッテリーを交換し、帰りに備える。
前半は往路と同じ国道等を通り、城東地区からは昔からの街道(山陰街道)に入り、江戸時代の街道の家並みの続く道を、モーターもタイヤもOKで走る。途中に八上城址の説明板があり、直ぐ南に聳える高城山には八上城が山城として築城され、戦国時代には波多野氏が城主であった。京から山陰への道のにらみを利かせる絶好の位置に有る。信長の臣下であったあの明智光秀の兵糧攻めでこの城は落城したとある。

 09.八上城址説明板

40km余りの道と調査を4時間余りで終え、予定していたよりも30分早く駅に着き、1本早い快速で帰路につく。負傷した腕の治療のため6時半までには医院に着く必要があるため、姫路からは新幹線利用とする。在来線との時間差は歴然であるが余計な出費が腕よりも痛い。

今日の歩行(自転車走行)距離:40.0km。調査した橋の数:21。
累計歩行距離:1,985.3km。累計調査橋数:2,484。
使用した1/25,000地形図:「福住」(京都及大阪10号-4)、「細工所」(京都及大阪10号―3)