愛媛12-1.目黒川 平成26年4月1日(火)晴れ
今日も無風快晴の上天気。宿近くの松野町役場前でコミバスを待つ。直ぐに時刻通りに森の国バスの目黒循環線のバスが到着。貸切で昨夕通った道を目黒に向かう。途中の分水嶺を越えるトンネルの前後には丁度見ごろの年代の桜が満開で朝陽を受けて輝いている。
昨日の終了点であった浅辺橋でバスを降り、今来た県道を上流に向かう。この地区の名前が川の名前になっており、河岸段丘の平地には集落が多く川名もさもありなんと言う状況である。
バスから見えた神社にやって来て神社名を見ると「和霊神社」とある。宇和島にある牛鬼祭りで有名なあの神社の分社のようだ。宇和島藩の家老が家老を妬んだ家来の藩主への讒言が元で処刑され、後日これがねたみからの間違いと分かり藩主が家老の霊を鎮めるために祀った神社で、天神さんの南予版である。それにしても伊達一党は騒動の多い一家である。
手元の地形図に記載されていない一の瀬橋に向かい、橋から東方を見れば県境と思われるあたりに南北から山波が川に迫っており、県境らしさを実感する。反対の西側は遠くに山波が連なっている。
次の橋は四国には珍しいコンクリートアーチ橋が川を跨いでいる。川面と段丘上の平地には10mほどの高低差が有り地形に合致した形式の橋である。
目黒の三叉路交差点からは県道270号となり、目黒ふるさと館が道路沿いに有る。未だ開館前で中は見られないが、ここには宇和島藩と分藩した伊予吉田藩との境界争いの資料が保管されていると有る。10万石の藩が無理に7万と3万に別れた結果の争いで、江戸幕府が評定し裁決されたとある。何かともめる宇和島伊達藩である。
傾斜のきつくなった県道を進むと道脇に鴨が柵の中で飼われており、一家がよちよちと一段となってお散歩をしている。
やがて広かった渓谷が狭まり上流の雰囲気が強まる。道端にたった1本のミツマタが花を咲かせている。
最近調子の悪い腹の具合が悪くなってきた。予定ではこの先の愛媛では有名な滑床渓谷の入口まで昇り、Uターンし大高橋で昼過ぎの森の国バスに乗車であったが、お腹が持ちそうにないので急遽先ほど通過した目黒ふるさと館のトイレに向かうことにする。滑床はやめとこーと。せっかくの名勝地であるが背に腹は代えられぬ。
脂汗と冷や汗をかきながら来た道を気持ちは急ぎ、足はそろりそろりと下って行く。45分ほどでふるさと館に到着し、地獄に仏にたどり着いた。予定では午後と明日は二次支流の「三間川」を歩く予定であったが、もう地獄の思いはしたくないので中止し、コミバスまで1時間半ほどあるので松丸のタクシーに電話をする。郵便局前で待っていると件のタクシーが現れ松丸に向かう。直ぐに宇和島行きバスもあるので早々と帰路につく。
宇和島駅で特急に乗車すると隣りのホームに四万十トロッコが入線したのでカシャ。このトロッコで四万十川を満喫するのもいいだろう。JR四国は各種トロッコを揃え、瀬戸大橋、大歩危・小歩危、そして四万十と3種類のトロッコを用意している。
本日の歩きで遡行累計距離が7千キロを超えた。
本日の歩行距離:9.6km。調査した橋の数:8。
総歩行距離:7,003.4km。総調査橋数:10,698。
使用した1/25,000地形図:「御内」(宇和島6号-1)、「松丸」(宇和島5号-2)