大阪1-4. 寝屋川(その1)平成30年8月29日(水)晴れ

大阪の新たな川として寝屋川に向かう。寝屋川は河内平野の中北部を複雑に流れる川で、高低差の無い市街地を通過する川というよりも排水路のイメージが強い。遡行で歩く魅力が無いと思われるが、大阪を知る上でもこの川を外すわけにもいかず足を向ける。今日は立花駅ホームで安全確認を行ったとのことで新快速も一旦止まってしまう。先日に引き続いてのトラブルで尼崎の事故以来何か有ると直ぐに安全確認とかで電車は止まってしまう。極端に振り子が振られるJR西である。

大阪駅で降り地下鉄東梅田駅に向かう。東口のバスターミナルがサークル形式に変わり、民営化された市バスはシティバスと名前が変わっている。車体色は変わってへんな。

01.大阪駅東口のバス乗り場はサークル状に

子供のころ小学校から家までの帰り道の一つであった地下街は来るたびに変わっている。豪雨や洪水のときの備えは出来ているのだろうか?谷町線天満橋から京阪の駅ビルに向かい食堂街で昼を摂る。

交差点の東側の元天満橋駅には巨大なビルが建っている。大川(元の淀川)に寝屋川が合流した川と道路の間の東西300mほどに天満橋駅が有り、当時は電車の乗り場と降り場が別々になっており、降車口は京阪東口と言い、市電も市バスも乗り場が有った。当時の電車は編成が4両ぐらいで短く、乗降を別々に出来たのだ。近鉄の上六駅、阿倍野橋も乗降が別々になっていた。東口の名前は交差点名に残っていた。残った、残った!

02.地下鉄谷町線、天満橋駅内の案内地図

03.かつては此処に京阪天満橋駅が有った

04.降車口の有った京阪東口の名が残っている

かつての京阪のコマーシャルソングは「天―満橋から三条へー、・・京阪―特急―、京阪―特急―」であった。川沿いの駅から川沿いの三条駅までの路線はここだけである。いずれも地平駅から地下駅に変わってしまった。

直ぐの府道168号「寝屋川橋」は京阪の複雑な複々線の鉄橋のすぐ横で間近に電車が見える。手前は淀屋橋に向かう本線で、向こう側は中之島に向かう新線である。この中之島線は舞洲まで延長されるかも知れず、近鉄が難波に阪神も難波に、JRが片町から尼崎に、そして梅田貨物駅から浪速筋下を通る新線も予定され、市内は櫛の目のように鉄道が網羅されている。市内中心部はほぼ1kmピッチに東西、南北に地下鉄道が交差することになる。

橋際には日本経済新聞とテレビ大阪のビルが並んでいる。

05.川名の府道168号寝屋川橋

06.川を越えると線路は地下駅へと

橋を渡ると旧東区から都島区に入る。東に進むと直ぐに府道と寝屋川を一気に越える大規模な歩道が空を横断している。橋の名は「大坂橋」。大坂城に向かう橋である。その直ぐ下には「京橋」が架かっている。JR、京阪の「京橋駅」の元になっている由緒正しき橋である。橋際にはここが京街道の起点であり、また川魚の市場も有ったとの案内板が有る。親柱は城の巨大な石垣に敬意を払って石垣風になっている。京橋は江戸にも備前岡山にも有るぞ。

07.大規模な歩道橋の先に大阪城が

08.京橋には魚市場が有ったのだ

09.京街道の起点に有った京橋

10.京橋の親柱は城に合わせた石垣風

右岸側の遊歩道を進むと正面に「おおさかビジネスパーク」の高層ビル群が現れる。右からは「第二寝屋川」が同じ川幅で合流している。こちらは河内平野の中南部を流れ、かつての大和川の流域である。規模は小さいが上海を想い出す光景である。

11.この景色は東京には無いだろう

片町線のターミナルであった片町駅は影も形も無くなり直ぐ東から地下に潜り北に方向を変えた所に「大阪城北詰」なる駅に変わってしまった。片町駅は南海高野線の「汐見橋」駅、阪神西大阪線の「千鳥橋」と三壁を成す侘しいターミナル駅であった。その駅横の片町橋を渡り左岸側の遊歩道に変える。昼休み時間で多くのサラリーマンが遊歩道でたばこを吸っている。ビルの中は禁煙なのか数人が固まって吸っている。かつての不良高校生がグループでたばこを回し飲みしている姿と重なる。

子供の時に城東線の窓から見えた陸軍工廠の広く徹底的に破壊された惨憺たる光景が嘘のような景色に変わっている。京橋駅の西側からは二つの人道橋がこちらに延びている。一つは屋根付きの大規模な立派な人道橋でこれまで見てきた橋では最高品である。

12.戦災で放置されていた陸軍工廠後がこのように大変身

13.京橋駅からビジネスパークへは二つの歩道橋で

ビジネスパークの東端に大きな読売テレビのビルが建っている。川沿いに二つのテレビ局が覇を競っている。毎週木曜日の9時からは読売(西日本)が「秘密の県民ショー」、大阪(せちうち)が「和風総本家」を流し、片方をビデオに撮っているが談合してくれー。

14.天満に有った読売テレビがここに引っ越している

環状線のすぐ横の橋を見て京橋駅に向かうと、片町線側の駅入口の手前の環状線のガード横の一角にお釈迦様と慰霊碑が有る。由来には終戦前日の空襲で工廠への爆撃の弾の一部が片町線ホームに落ち、ホームに避難していた多くの市民が亡くなり、これを目撃した人達が犠牲者を弔うために建立されたとある。ここにはあの工廠の歴史が残っている。

手元の気温計を見ると35度を超えている。ここまでは樹が続く遊歩道であったが、この先はまさに排水路の川なので次の駅近くまで歩くのは気が乗らないので今日はここまでとして駅に入る。

歩いた距離はたったの2.3km。遡行最短記録である。

15.片町線京橋駅の片隅に慰霊碑が

16.終戦前日にB29の爆弾が片町線ホームに落下

本日の歩行距離:2.3km。調査した橋の数:10。

総歩行距離:10,050.5km。総調査橋数:12,325。

使用した1/25,000地形図:「大阪東北部」(京都及大阪8号-4)