愛媛-10.岩松川 前半 平成26年2月21日(金)晴れ

 

今日も快晴だ。9時前に通過するあいなんバスを待ち、昨日の雪辱を晴らすべく大僧都までバスに乗り、川の状況を調べる。予定時間よりも早くバスが現れ100円を前払いして乗車する。温泉に入るのか1名の老人が下車する。渓谷は上流に向かうほど広がり人家も増えてくる。これが1日に4本もバスがある理由と分かる。県道の整備が進み、2車線化され集落の有る所ではバイパス化され新しい橋がいくつも架かっている。15分ほどで大僧都に着き、そのまま乗車し城辺まで下って行くことにして再度100円を払う。数名のお婆さんが乗り込み発車。

 01.愛南町のマークはaとiの合成語

 

昨日歩いた道と未知の道を下流に下り、左岸側の旧城辺町の中心部に向かう。病院で数名が降り、町役場に寄り宇和島バスの営業所のある城辺で全員が下車する。バス営業所は広く立派な建物で、ローカル線の鉄道駅よりも立派!旧国道脇には「城辺」と書かれ南予ではここは駅なのだ。複雑な半島の端に向かうバスがここから出ていく。

 02.鉄道の無い南予ではバス営業所を駅と言う

 

宇和島行きバスまで時間があるので近くを物色する。直ぐに万屋が有り弁当を売っていたのでおにぎり弁当を買い込む。10時09分時刻通りに宇和島行きの大型バスがやってきて岩松に向かう。この路線は正確な時刻で運行されている。まさに鉄道の替わりである。

昨日はやや霞んでいた南予の海が良く見える。国道56号は御荘湾から内海の広い海に出る。沖合には小さな島が三つ、団子三兄弟のように並んでいる。バスは完全2車線の道を60km以上の速度で走り、沖合の風景を撮るのに苦労する。細長く複雑な地形の由良半島の根元の鳥越トンネルを越えると再び湾が現れる。大小、種々雑多な半島の根元をトンネルで国道は横断し、トンネルの前後はジェットコースターのように上り下りの坂道となる。これでは鉄道は莫大な工費がかかる。宇和海は真珠貝、鯛、ブリはまちなどの魚介類の一大養殖所になっている。水産物の安定供給に寄与し、生きた魚が活魚運搬車で築地などに運ばれている。

 03.三つの島が連なる

 04.南予の海は養殖が盛ん

 

この宇和海沿いに走る国道56号は景色の良い道10選に選んでも良い。川の遡行が一段落したらこの道を宇和島まで歩いてみたくなる。

更にアップダウンを繰り返し旧津島町(現:宇和島市)に入る。北浦湾の湾奥が津島町岩松で、岩松川が湾に注いでいる。河口の橋である津島大橋バス停で下車する。直ぐ目の前には四国の道の石標が立ち、観自在寺への指さしが彫られている。

 05.岩松川河口にも四国の道の石標が

 

川は北から流れ河口部で首を急に西に変えている。川の右岸沿いの国道の西側には中学、病院、バスターミナル、元役場の支所、公民館などが立ち並んでいる。古い家並みは川の東側に細長く続いている。支所まで来ると目指す岩松川の上流に向かうコミバスが止っている。ドライバーに聞くと間もなく発車とのことで、本来ならば帰りに乗る予定であるが、山奥でバスを待つよりも歩き降りてきてここで待つ方が良いので急遽設計変更してバスに乗り込む。ここは200円也で発車。一旦宇和島バス営業所に立ち寄り8名程度乗車して、岩松川の上流に向かう。

 06.旧津島町のコミバスで上流に向かう

 

北からの流れが東からとなりバスも国道を離れ県道4号に入る。宿毛から自転車で松田川をダムまで辿ったあの県道4号である。3kmほどで川は南からとなり広い渓谷に入る。谷間が狭まると再び東からの流れとなり、県道はつづら折れで高度を上げる。坂道を歩かなくて良かった。か細い流れとなった「道ノ川」バス停で下車。ここから来た道を下っていくことにする。

急峻な地形で1.5車線の曲がりくねった横吹渓谷に入る。川ははるか下の流れとなり、音はするが姿は見えない。県道脇にはブナの林が続き、こんな南国にもブナが繁っているのに驚く。杉と桧を見慣れた遡行には新鮮な景色である。

 07.元宇和島バスのバス停が残っている

 08.横吹渓谷にはブナの樹がビッシリと

 

西に向かっていた道が北から東に変わり、つづら折れを下ると眼下にこれから歩く道と川が見える。

 09.渓谷を抜けてつづら折れの道を下る

 

里まで降りて川沿いの県道を北に進む。川と県道との間の一角にビニールハウスの団地が有る。居合わせた人に尋ねると、野菜の苗を育てているとのことである。須崎に続いてのハウス栽培である。

県道から離れた市道に橋が在るのでそちらに向かうと、比較的新しい橋の袂に大きな石柱が立っている。碑文にはこの橋の建設にあたり200万円の寄付をしてくれた人の名前が彫られている。神社の周りで良く見かける石柱と同じである。この人は故郷に錦を飾ったことになる。

 10.二百万円寄付すると大きな石碑が建つよ

 

更に進むと東から本流よりも長い支流が合流する。現地に来るまでどちらが本流なのか不明であったが、上流の最初の橋に書かれた川名が岩松川と有り、今の川が本流と分かりほっとして歩いている。県道は川に沿ったバイパスとなっているが、当方は街並みの続く旧道に入る。道沿いの家の窓から猫がこちらを見ている。まるで欧州の飾り窓のような雰囲気で猫が無表情な眼で外を見ている。この猫はメスなのであろう。

再び川沿いの道となり左岸側の土手の上の道を西に向かう。振り返れば特徴のある山容の山が周囲を圧している。地形図で見ると「譲が森(H=1,015m)」のようである。

 11.飾り窓の猫がこちらを招く

 12.彼方に譲が葉森(H=1,015m)が聳える

 

快調に足は回転し土手の上の道を岩松に向かう。北からの支流を合わせると南に方向を変え、旧市街地の広がる狭い路を河口に向かう。広い川の川岸には宇和島バス停に負けない高さの河川距離標識が建っている。県管理でこの大きさは特筆ものである。

 13.河口から1kmまで戻って来た

 

河口から2番目の橋を渡りバスの営業所に到着する。これで愛媛県の県内だけを流れる川は全て歩いた。残るは四万十川と仁淀川(愛媛県内では久万川と言う)の多くの本支流である。これが四国の最奥部で大変な所である。ぼちぼちやりまひょか!

30分ほど待って宇和島行きに乗車。時間があるので宇和島市街の南に有る天救園に立ち寄ることにする。日本3名園の後楽園や兼六園・偕楽園そして高松の栗林園に規模は及ばないが、伊達藩の名園として今も解放されている。4時10分に入り閉園が4時半なので急いで回遊式庭園を見廻る。狭いながらも上手くレイアウトされ、伊達の家紋に入っている梅が植えられている。入口付近には枝垂れ梅が咲き、園の北の小山の上の宇和島城も見える。城は町のど真ん中の標高70mほどの急峻な小山の上にある。天守の規模は小さく、松山城を除けば四国の城はみんなコンマイ。維新に大いに活躍した高知も宇和島も城は小さいが気概は大きい。

 14.天救園入口の枝垂れ梅

 15.枝垂れ紅梅の先に宇和島城が

 16.天救園は回遊式庭園

 

園を出て直ぐの交差点の角の屋敷の立派な門の標識を見れば「伊達家」とある。家は城と園を繋いだ線上にあり、裏手は市営の伊達博物館になっている。多分広い屋敷の有効利用を図ったのであろう。

 17.園を出ると直ぐに伊達家の門が

 

駅まで1km以上あるが歩いて向かうことにし、街の中心部の商店街に入る。広く立派なアーケイドが覆う商店街が広がる。それにしても道幅が広い。松山の大街道や今治の商店街に負けない広さである。シャッターの閉まった店が半分ほどあり、ここも市の中心部の衰退が進んでいる。何時でもどこへ行くのにも車を使い歩かなくなった姿である。国は車を極力使わない生活への転換施策をたてる必要がある。

 18.宇和島中心部の商店街は広い道

 

足元のマンホールは前回駅前で見た闘牛がカラーになっている。直ぐ隣には雨水用のマンホールもカラーで、宇和島の祭りの主役である牛鬼が描かれている。蓋の絵柄はこうでなくっちゃ!

 19.商店街ではカラーの闘牛絵が

 20.あの牛鬼もカラーで

 

今日は駅のホテルに泊まり、名物のじゃこ天で一杯やることにする。

本日の歩行距離:15.4km。調査した橋の数:17。

総歩行距離:6,888.7km。総調査橋数:10,549。

使用した1/25,000地形図:「伊予岩松」(宇和島6号-3)、「宇和島」(宇和島5号-4)