未完成ながら成羽川の調査を一応終えたので今までの遡行で最大の難関、帝釈川に取り掛かる。福山駅から何度か乗車した東回り東城行き中国バスに乗車。小田川遡行時に下車した下井関バス停を過ぎ、未乗車区間に入る。再び山波に登りスカイラインを快調に走る。油木の営業所で暫し時間調整し東城に向かう。再び山波から低地に降りてくると帝釈川に出会う。帝釈川と成羽川との合流点の先日東城に向かって乗車した小城橋バス停で今度は下車する。バスが通る国道182.号を戻るように南に向かう。先日昼を摂った中電新帝釈発電所を対岸から見ると、予想していたよりも小さな建物の発電所である。右端のミニ小屋は今も稼働中の帝釈川発電所である。帝釈ダムの改築、設備改造により新発電所が設けられた。出力は11千KWである。川は昨日までの大雨で水嵩が増しごうごうと大きな音を発しながら流れている。この雨で炎暑は吹っ飛んでしまい、今日は涼しく天国のような天候である。
国道は大きく蛇行する川を3回橋で通過し、大渡橋で川とは縁を切り神石台地に駆け上がっていく。当方も国道とは縁を切り、川沿いの渓谷の細い町道に入って行く。直ぐの橋の橋名板は盗難にあったのか無い。バスを降りて直ぐの国道の小城橋も盗難にあったのか橋名板が無かった。岡山の西部の橋はことごとく盗難にあっていたが、その盗賊団がここにもやって来たのだろうか?すぐ際に先代の橋の親柱が残されていたが漢字ではなく「たかおせはし」と読める。高尾瀬橋と読んでおく。新しい橋の親柱は大きな石造りで、右側には川の風景と、「右 出雲街道」と書かれ、左側にはこの地域の状況が説明され、「左 永野路」と書かれている。この橋から上流は旧神石町大字永野である。右はマクロ、左はミクロの世界である。橋から東を見ると国道とその上を跨ぐ橋と同時に完成した出雲街道が新道で完成している。平成11年修正の地形図には記載されていないゾー。
谷底が狭いため田畑が少なく、民家も数えるほどしか無い。行き交う車も無い大雨で散乱した落石を脇にどけながら進むと福桝川が南から合流する永野和宗に到着する。帝釈川はここで西からの流れとなり、更に狭隘な渓谷となる。
川に架かる岡田橋は昭和初期に架けられたような形式で痛みが激しい。橋の袂には環境庁が設置した道標が建ち、西は下帝釈峡と書かれているが実際に川沿いには道が無く、山の上に上がり山波沿いの道となる。直ぐ西側に数軒の民家があるがそこから先は人を寄せ付けない急峻な渓谷が待ち構えている。川は上流の帝釈ダムの放流量が少ないためか支流の福桝川には負けている。
ここで遡行をあきらめ元の道に戻ることにする。地図上で分かってはいたが現地に来て遡行断念を納得する。想定の範囲内である。
バスまで30分ほど有るので油木の街中を散策する。古い酒造会社のお屋敷の立派な門の前には有りました!小田川の下井関に見かけた伊能忠敬測量調査時の宿泊所の解説板がここにも有りました。この屋敷は多分当時はこの油木市場地区一のお屋敷であったのだろう。足元の久しぶりに見るマンホールは漫画的な図柄で牛がもう時間だよと言い、直ぐにバス営業所に向かい福山に向かう。
本日の歩行距離:6.8km。調査した橋の数:7。
総歩行距離:6,247.7km。総調査橋数:9,944。
使用した1/25,000地形図:「油木」(高梁12号-3)