広島-5. 太田川(その2) 平成23年9月22日(木)快晴

今日も初電に乗り、糸崎、広島と電車を乗り継ぎ可部線「安芸長束」駅の狭いホームに降りる。呉線から乗り入れている下り電車ではあるが4両編成の電車は良く乗っている。この可部線は福塩線と同じく元は私鉄であったので、駅間距離が短く横川~可部間14.0キロ間に駅が12もある。本来は横川から太田川の上流部の三段峡までの長い路線であったが、数年前に可部から先は廃止されてしまった。廃止区間は非電化区間で本数も少なかった。30年以上前に乗車しており、太田川の蛇行に忠実に沿った線であった。
広島駅近郊と岡山駅近郊は良く似た点があり、どちらも山陽本線を中心線として、核駅の手前(広島では海田市と横川、岡山では東岡山と倉敷)で支線が分かれ、支線から核駅に電車が乗り入れ、更に先の本線と支線に乗り入れている。本線から支線への別れが海田市西方と倉敷駅東方を除き平面交差のため、ダイヤ上のネックになっている。
長束駅から川までの古い狭い道は車が溢れ、人口急増地帯を実感する。爽やかに晴れ渡った川の土手に達し、ホットする。右岸は土手の上に人用と自転車用の道があり、河川敷内にも歩道が有り目移りするが、眺めの良い土手の上を歩く。国道54号の祇園新橋は歩道と3車線の車道がそれぞれ両側にあり、真ん中に新交通のアストラムラインの橋がある。形は違うが大阪の新御堂筋の淀川の橋に似ている。

image1  01.祇園新橋の真ん中を走るアストラムライン
このアストラムラインとは浅からぬ因縁がある。1991年3月、建設途中の橋桁が下の道路に落下し、15人が死亡する重大事故が発生した。この事故の原因と今後の事故防止策を調査検討するための技術委員会が道路協会に設けられ、この会の幹事として会の運営に携わったことがある。既に20年も経ち遥か彼方の出来事となってしまったが、事故の教訓が今後の工事に反映されることを祈念する。
橋の調査のため左岸側に廻り、交通量の多い県道の歩道を歩く。河川敷にはゴルフ場が広がり、涼しくなった秋空の元絶好のゴルフ日和である。プレーヤーは少なく、かつてのブームは何処かへ吹っ飛んでしまったようだ。
image2  02.今日は絶好のゴルフ日和
県道のバス停の案内を見ると、この路線はなんと広島市をエリアとするバス会社が全て参入している。「広電バス」、「広島バス」、「広島交通」そして「中国JRバス」と揃い踏みである。広島のバスは名前が似通っているのと路線が輻輳しているためよそ者には分かりにくい。
image3  03.広島のバス会社3社が揃ったバス停
次の安芸大橋で再び右岸に戻り、次の安佐大橋まで長い区間を日傘もタオルも持たずに気分ルンルンで歩く。やがて遊歩道が無くなり土手の上の狭い道をすれ違う車に冷や冷やしながら歩く。極端に変わるのには参った参った。
山陽道とすぐ隣の県道「安佐大橋」が並んでいる。車道の下流側には歩道橋が追加され、トラス部では車道部にピッタリと歩道用トラスが継ぎ足されている。

image4  04.歩道用トラスが継ぎ足された安佐大橋(右は山陽道)

安佐大橋から上流では土手の車道が1車線となり、片方は広い歩道になっており、車は所々にある待避所ですれ違っている。ここで江戸のかたきが獲れた。
image5  05.ここでは車道が1車線で歩道も互角

広島市と島嶼部の水道水を引き込むための「高瀬堰」と高瀬橋の袂には河川事務所の支所と説明看板があり、しばし看板を見、休憩する。

image6  06.高瀬堰と高瀬大橋

image7 07.高瀬堰の解説看板

右岸堤を更に進むと左岸側では芸備線の気動車が見え、川を挟んで二つのJR線が並んでいる。最初の大きな支流「三篠川」が東側から合流している。芸備線はこの川沿いに三次を目指している。やがて可部線の長い鉄橋が見え、可部が近くなる。橋の上を幼稚園の送迎車のような色取りの2両編成の電車が通過する(カシャ)。直ぐ隣には国道54号線の「太田川橋」と「新太田川橋」が並んでいる。旧橋は珍しい形式の橋で、トラス桁を前後のトラス桁が吊り下げる物で戦後間もなくの苦心作である。

image8  08.長い可部線鉄橋を幼稚園電車が通過

image9  09.珍しい形式の太田川橋(国道42号)

可部駅近くで広島風お好み焼き(これは鉄板野菜蒸し)で贅沢な昼食を摂り、1時過ぎの幼稚園電車に乗車。広島駅で乗り換え時間を利用して駅ビル地下のスーパーで惣菜を買い長い帰路につく。
 今日の歩行距離:14.0km。調査した橋の数:8。
累計歩行距離:458.2km。累計調査橋数:673。
使用した1/25,000地形図:「祇園」(広島10号-1)、「中深川」(広島6号-3)、「可部」(広島5号-4)