広島-5. 太田川(その1)平成23年9月19日(月)曇り
5時25分発の初電に乗り8時17分、広島から3駅先の新井口(しんいのくち)駅に降り立つ。子供のころに覚えた国鉄駅名のリストには無い比較的新しい駅である。駅の東側には大規模商業施設が並び、広島で最も変化した地域であろう。道路上の長いデッキには空港や阪急梅田にあるような動く歩道もある。
広島県の最重要河川「太田川」の遡行を始めることとした。右に草津漁港、左に市場施設を見やりながら右岸側の河口に30分余りで着く。正面に漁港施設管理者の県と河川管理者の国の境界標識がある。
昭和の7年から42年までの長い期間を要して完成した放水路を歩くことにした。荒川(隅田川)、淀川(大川―堂島川、土佐堀川)、北上川、利根川、信濃川などの重要河川の放水路建設は明治以来の国の基本的な施策としてなされてきたが、広島も遅らせながら完成した。右岸の堤防の上を歩き始める。南側の広島湾の右彼方には宮島の高い山が見える。キロ程はポストではなく鋲に記載され、先ずマイナス3.2キロから始まっていた。川の対岸の彼方は三菱重工の観音工場が目につき、堤防と工場の間にあるはずの広島西飛行場は見えない。 03.河口から南を見る(右遠方は宮島)
最初の橋「庚午橋」を反対側の左岸に渡ると、南側の彼方に空港が有るのが分かる。かつてはここが広島の正空港であり、市の中心部近くにあって便利であったが、手狭で拡張が出来ないため新空港が遥か東の山の上に建設された。こちら側には普通のキロポストがあった。水道橋のアーチの天端には鵜が一列になって休んでいる。
やがて国道2号線が放水路を渡る地点に達し、橋の手前でゼロキロポストに出会う。多分水路が完成してから右岸側の埋め立てが進み、川も長くなっていったのだろう。2号線の橋「旭橋」は二階建てのトラス橋とローゼアーチが並び、車線は合計9車線もある。異なった種類の道路や鉄道などとの二階建ては多くあるが、一般国道だけの二階建ては珍しい。陸側の用地取得が難しかったのだろう。
堤防の内側が広い水面だけであった川もやがて河川敷が有るようになり、狭い道路から河川敷内を歩くことにする。新己斐橋の中央を宮島口から広島駅に向かう広電の連接車「グリーンムーバー」と出会う。道路の真ん中を堂々と進んで行く。己斐と言う地名は広島らしいのであるが、JRは己斐駅をつまらない西広島駅と駅名を変えてしまった。広電はさっすが己斐を残している。さすが鯉の野球の町の地元会社である。
新幹線、山陽本線、可部線と続けて鉄道橋が放水路を渡る。この川には橋の見本市のように色々の種類の橋が架かっている。橋のフィールドスタディにはもってこいである。今日は雨を覚悟していたが、曇り空で、北からは風も吹き暑さは何処かへ行ってしまったようで、河川敷には彼岸花も咲き始め秋を実感する。 12.多径間連続斜張橋の広島西大橋
国道54号の祇園大橋を過ぎると可動堰が現れ、やがて本流との分岐部に到着する。分岐の先端部には河川事務所の出張所が一等地にあり、3方向の川が見渡せる。脇には放水路の説明看板もある。
本川には立派な遊歩道も整備され多くの人が歩いている。本川のキロ程は6.2kとあり、放水路の方は5.8kとなっている。マイナス3.2kを足して9.0キロが放水路の長さとなる。上流の左岸側の彼方には広島の新交通システム、アストラムラインの近鉄特急と同じ配色の列車が見える。次回はここから可部までの歩きになるだろう。
累計歩行距離:444.2km。累計調査橋数:665。
使用した1/25,000地形図:「広島」(広島10号-2)、「祇園」(広島10号-1)