愛媛-1.肱 川(その4)平成24年10月25日(木)晴一時曇り
今日は丸一日遡行に時間が取れるが、野村から卯之町迄歩く時間と野村へのバスの便を考えると、11時前に卯之町駅からバスに乗れば十分である。それまで一仕事?をすることにし、ホテルから卯之町駅に向かう。かつて1度だけ国鉄乗りつぶしで訪れた八幡浜と宇和島に再度降り立ち、マンホール探訪をすることにした。国道を走る宇和島自動車の松山行空港行きバスは、シックな落ち着いた配色のバスで好感が持てる。
卯之町駅舎は屋根瓦の乗った和風の駅で、古い町並みの残る卯之町の玄関らしい駅である。卯之町駅7時47分発の列車はあのずらっとベンチシートが並ぶお馴染みの気動車で、八幡浜方面の高校生が着席し全員が参考書などを見て勉強を始める。3年半の遡行で初めてお目に掛かった光景である。どこぞの県の高校生とは大違いである。もっとも列車が空いていないとこの光景は無理であるが・・・、今や珍しい光景で、愛媛県は将来楽しみである。
高校生と一緒に八幡浜駅に降り、周りを物色していると直ぐに獲物を見つける。南予名産のズバリ蜜柑である。直球で勝負してきたな。
予讃線は大洲からストレートに卯之町に向かわず、大回りしてこの八幡浜に立ち寄るルートになっている。国道56号(松山~高知)は遠回りになる八幡浜を避け、大洲から真っ直ぐ卯之町にルートをとっている。最新の松山道も私も同じ道を選びましたと言っている。その代り八幡浜は大分県との海上交通の起点として発展し、県の出先局やデパート、NHKFM放送局もある南予の北の中心都市となっている。駅舎も大洲、卯之町よりも一回り大きく立派である。
折返し直ぐに宇和島行きに乗り込むと、今度は元特急用に国鉄末期に配備されたキハ185が待っている。振り子気動車と特急電車が配備されるまでの間、四国の代表選手として走った気動車であるが、高松~伊予間電化と振り子新型気動車の配備で特急から大半が退き、一部は徳島線、高徳線の特急に残り、一部はJR九州の赤い特急に生まれ変わった。それでも余剰となった車が普通列車に転用され、今日乗ることになった。
2両の贅沢な列車は数名の乗客を乗せて発車。海抜0m近くの八幡浜から卯之町のある230mの宇和盆地に向かって急こう配をゆっくりと登って行く。特急ならばもっと早く力強く登っていけるのだが、旧型車でのダイヤなので楽々と走って行く。卯之町の次の上宇和駅から直ぐに長い法華津トンネルで法華津峠を越え、法華津湾が見渡せる絶好の車窓が広がる。みかん畑の間の急こう配を下り伊予吉田に着く。ここからも奥の深い宇和島湾の一部が見え、南予の複雑なリアス式海岸の一部が現れる。
再び低い峠を越え宇和島駅に到着する。四国には、高松、宿毛、甲浦そしてここ宇和島と4つの線路の終点があり、宇和島と宿毛間は計画は有ったが結ばれることは叶わなかった。宇和島駅は駅舎の上にJR四国のホテルが建ち、徳島駅を小振りにした南欧風の駅である。
早速こちらも物色すると直ぐに見つける。今度は井上靖の名作「闘牛」の元となった名物の闘牛が図柄になっている。この闘牛か郷土のお祭りの「牛鬼」のどちらかだろうと予想していたが、ピンポーンである。昼前の一仕事は成果大である。駅前には立派な闘牛の横綱が誇らしげに立ち、南予は格闘技がお好きなようだ。駅のホームの片隅には牛鬼の頭の部分が飾られ、短時間で宇和島を感じ卯之町に戻る列車に乗る。
乗った単行ワンマンカーは4名の乗客で発車。朝夕と昼間の段差が極端にあるローカル線である。
10時51分発の野村方面行きのバスに乗り込むが今日も乗客は我一人。バスの停留場案内が空しく何度も聞こえるが、乗降客は無い。貸切状態で昨日の終着点の野村ダムバス停で下車する。国道から奥まった所にあるダムに向けて下り坂を降りるとダムの立派な管理事務所が現れる。多くのダムを見て来たが、国のダムの管理事務所は規模が大きく、県などとは比べ物にならないぐらい大きい。こんなに大きな事務室が必要だとはとても思えない。ダムの大きさ、貯水量などを比較しても大きすぎる。
再びバス停に戻り国道441号を歩き出す。湖岸沿いの道は閉鎖され、歩道の無い道を久しぶりに歩くことになる。ダムから上流の国道とそれに繋がる県道29号は、ダム建設に伴い付替えられたようであるが、歩道が無い!愛媛県と国の姿勢の差が現れている。行き交う車の轟音が鳴り響くトンネルを3つ潜り、路肩を冷や冷やしながら歩く。右岸沿いの道が延々と続き、対岸の桜並木が紅葉を始めている。
湖面の水は青色では無く緑色をしている。これは上流からの富栄養水がダムのお蔭で滞留し、藻が異常繁茂しているせいと思われ、これだけひどいのにお目に掛かるのは初めてである。他のダム湖では湖面に撹拌装置などを設置した対策がなされているが、ここはやっているのだろうか?
旧宇和町に入り、明間(あかんま)地区では対岸の奥にある名水100選の「観音水」がデザインされたローカルマンホールがあった。湖が尽きる所では藻の繁茂が半端では無く、気味が悪い色の水が漂っている。上流に人口が多く、生活用水が多く流れ込む川にダムを建設するのはどうかと思う。
ダム湖が尽きる地点で国から県へ管理が移る。久しぶりの管理境界標識が県道沿いに建っている。やがて松山道が川を大きく跨ぐ地点に着く。見上げれば今流行りの少数桁(2主桁)とPCプレハブ床板の組み合わせの橋である。非常のすっきりとした姿である。この辺りで松山道と言うのはピンと来ず、南予道がふさわしい。
やがて川は西から北西方向からの細い流れとなり、時計の7時辺りにやって来る。道の傍らの家の石垣の隙間から可憐な花が顔を出していたのでカシャ。
谷間が徐々に広くなり旧宇和町の中心部が近づく。県道沿いに「どんぶり館」なる道の駅風の施設が現れ、施設に吸い込まれ暫しの館内見物と休憩を取る。生鮮食料品などが広い館内に並べられ、標高220mの盆地なのに直ぐ西7km余りに海が有る特異な地形のせいで新鮮な魚が安く売られている。今夜の夕食用に地元産のカツオのたたきとじゃこ天、じゃこ竹輪、酢の物、ちらし寿司、太刀魚の焼き竹巻きを買い求める。上手げな物のオンパレードを安く手に入れホクホク顔で歩き出す。
旧:宇和町のマンホールは町の誇りの開明学校が描かれ、ホンマモンが近くの街中に有るので立ち寄ることにする。町の北側の奥まった所にくだんの建物が有り、和魂洋才の建物が大事に守られていた。
途中の街並みは古い建物が立ち並び、大洲といい、内子といい南予には古い町並みが大切に守られている。やや交通不便ではあるがもっと観光客が訪れても良い所である。3町をセットにおいしい食べ物と合わせてPRすべきである。
学校で折り返しホテルに戻る道の途中に、ホテルの親玉である老舗旅館の前を通る。旅館に止った明治以来の著名人の名前がずらーっと門の横に書き並べてある。政治家、文士、俳人等のオンパレードである。先日のテレビでこの旅館の漬物が紹介されていたが、相当年季の入った建物のようで敷居が高そう。明日野村で行われる大相撲の一行の一部がここで宿泊されるようで、力士などの名前が大きく描かれた紙が玄関脇に張り出されていた。
ホテル近くのローソンで缶ビールとカップ酒を買い求め、ホテルの食堂で先ほど買い求めた食材で夕食とする。地産地消を地で行く食事である。
今日の歩行距離:16.3km。調査した橋の数:18。
総歩行距離:5,198.2km。総調査橋数:8,545。
使用した1/25,000地形図:「野村」(松山8号-2)、「卯之町」(松山8号-4)