愛媛-1.肱 川(その2)平成241012日(金)快晴

ビジネスホテルの隣のローソンで朝食材料を買い、早めに食べてホテルの前のバス停から宇和島交通のバスに乗り町の中心の本町に向かう。愛媛県は細長い県で、大きく東予、中予、西予の三つの地域に区分される。言葉も気質もそれぞれ異なり、バス事業者もそれぞれ瀬戸内バス、伊予鉄バス、宇和島交通とすみわけが出来ている。宇和島交通に乗るのは初めてである。市役所が目の前にある旧市街地の中心の本町で下車し、前回の観光で訪れた街中を歩き出す。昨夜は見られなかった大洲らしいマンホールが観光客の多い中心部では早速現れカシャ。大洲名物の鮎と鵜飼が載っている。

image1 01.大洲市は肱川の鵜飼

大洲は、大学時代にNHKの朝の連続ドラマで有名になった「おはなはん」の舞台で樫山文江はこれで一躍スターになった。古い町並みの残るおはなはん通りを通り、大洲神社の参道の前に来ると、長―い階段と高―い燈籠が目に入る。

image2  02.朝のテレビドラマ「おはなはん」の舞台が此処

image3 03.大洲神社の高―い燈籠と長―い階段

前回訪れた臥龍山荘は今回はパスし、山荘の見える場所から山荘を見やる。日本の建築、庭園などを狭いスペースに凝縮した素晴らしい所である。こんな所で眼前の肱川を見ながらぼさーっとしているのは最高の贅沢であろう。少し進むと右岸側の広い河原も見え、ここで芋だきをするのだろう。

image4  04.日本の全てを凝縮した臥龍山荘

image5 05.この広い河原で芋だきをするのだろう

国道56号の大洲道路の橋の下を潜り県道44号を遡行する。松山道は大洲の手前で一旦切れ、国道56号バイパスの大洲道路を経由して再び松山道となる。大洲市街地の渋滞を避けるために早くにバイパスが建設され、その後建設された高速道路をこの道路に繋いだ結果の変則高速道路となった。

県道脇に鬱蒼と茂った森の端に「少彦名(すくな)神社」の入口がある。社は坂を登った先の方に有るようだが、地形図で見ると大洲には神社が数多くある。

image6 06.少彦名神社参道入り口

左岸側の県道から橋を渡り右岸側の市道に入ると、採石場、生コン工場、砕石の選別場、生アスプラントとお馴染みの川沿いによくある施設が続く。先日の鮎喰川では産業廃棄物の保管、処理施設が多く有ったが、川沿いには嫌われ物の施設が集まっている。

大きく川が曲がる所を過ぎると果樹園などが続く。先ず栗園が現れ大きなイガがたわわに実り、足元にはイガが数個落ち、大きな実が顔を出している。続いて少し色づいてきた柿の木が続き、次には大きな青い実の柑橘が鈴なりで多分伊予名物の伊予柑と推測する。

image7  07.今年は栗の実入りがよさそう

image8 08.柿も色づいてきた

image9 09.これは多分伊予柑だろう

更に進むと平地が広がり畑となり、大豆、芋などが耕作されている。その中に電気柵に守られた3mほどの背丈の穀物が並んでいる。これは何かナ?イチョウの樹を見上げれば銀杏の見も熟れそろそろ収穫の時期である。

image10  10.この穀物は何ぞなもし?

image11 11.ぎんなんも熟れごろ

逆なげ橋まで来るとこの川でよく見かける川を横断して設けられた柵が見える。柵の間に網を入れて魚を取るのだろう。他の川でよく見かける堰がこの川では見えず、勾配が緩い川であること、田圃が少ないこと、鮎などの魚の遡上を助けるために堰が少ないのだと推測する。

image12  12.肱川にはこの川中の柵がいたるところに

今度は見慣れない野菜が現れる。ダチョウが固まったように見えるこれは何かと近寄り考える。そうだ!あの「ウー不味い!もう一杯」のコマシャルの青汁の元になるケールであろう。

image13  13.今度はケールが、ウー不味い、もう一杯

やがて国道197号に合流し、右岸側の国道の歩道を歩く。この国道は高知県の洲崎から四国の南西部を横断し大洲、八幡浜から佐田岬半島の三崎までの国道で、かつて八幡浜からの半島の道は険しく曲がりくねった道で、「この道はいくな」と言われていた国道ではあるが、今は半島の尾根の上をすいすいと通れる道になった。根元にある伊方原発のお蔭か道が格段に良くなった。

成見橋を見ると、橋脚の天端に洪水の名残の草木のごみが残っている。川では釣りと投網をしている人が二人、木柵の前で漁をしている。

image14  14.橋脚天端に洪水の名残が

image15 15.釣りと投網をする人が

東から流れていた川が南東方向からに変わり、通学路でもなく、渓谷で条件が悪いのにもかかわらず歩道が整備されている。どこかの県とは大違いである。大川橋を渡ると大洲市から旧肱川町(現:大洲市肱川町)に入る。直ぐに5差路とバス停が交差点の中に有る。交差点の中にバス停とは珍しい。これまでの歩きで座る場所が無く昼を摂るのを遅らしていたが、丁度バス停に壊れかかったベンチが有ったので、遅い昼を摂る。

image16 16.旧肱川町に入り、5差路のバス停前で昼を摂る

この直ぐ北側の川が大きく小山を廻りこむ曲がり角に、第一の支流「小田川」が合流しているはずである。ここの地名が「鳥首」。川の形と小山の位置関係が鳥の首に似ていることから謂われているようで、ベンチから見て納得する。ガッテンガッテン。15分ほどの休憩で出発進行。歩道が最近まで無かった区間にも真っ新な歩道が完成し、温かく迎えてくれる。

image17  17.国道197号は歩道が完備、だれだ行くなと言ったのは

赤岩橋を過ぎると「曹洞宗 陽春院 」の石柱が見え、一面苔むした石段が続いている。院が付いているので尼僧がいらっしゃるのかナ。禅寺に尼僧は聞いたことが無いが。苔毛氈がひかれた石段を登るのは躊躇されるほどの見事な苔である。直ぐに大洲高校肱川分校がこじんまりとした姿で建っている。先日の鮎喰川でも城西高校神山分校を見てきたが、川沿いには分校が似合う。

image18  18.曹洞宗陽春院への階段は苔むしている

image19 19.ここにも高校の分校が(大洲高肱川分校)

分校を過ぎると川は南東方向から南に方向を変えてくる。「道の駅清流の里ひじかわ」と長ったらしい名前の道の駅に一時立ち寄り、施設のレイアウトを見ておく。帰りのバスをここで待ち、乗車する予定とし、取りあえず今日の折返し点の鹿野川大橋まで歩くことにして遡行を続ける。大洲から肱川沿いに進む宇和島交通のバスは1日4往復で、実際に利用可能なのは1本だけで、これが今回の旅のキーポイントとなっている。

遠く上流側にある鹿野川ダムが見える橋でUターンし道の駅に戻る。バスはこの橋を渡り峠を越え、支流の方に行ってしまう。橋から先、鹿野川湖のほとりの10kmほどは区間はバスが無く、ここで一旦打ち切って戻ることにする。

道の駅は一般の道の駅の施設以外にミニスーパーや食堂、衣料品店が入り、町民のデパートといった所である。バスまで1時間近くあり、レストランでコーヒーとケーキを頼み時間を過ごす。

image20  20.道の駅清流の里ひじかわは町民のデパート

15時58分定刻にバスは現れ乗車する。途中で高校生1名が下車し、後は大洲駅まで貸切で走る。これでは地方のバス会社はやって行けない。帰宅すると岡山県西部を走る「井笠鉄道バス」が倒産し、バスを廃止するニュースが出た。岡山の遡行で何度かお世話になったバスで、寂しいかぎりである。

大洲駅から松山行き特急「宇和海」に乗り帰路につく。この特急は16往復も有る県内だけ走る特急である。JR四国には県内特急が他にも、土讃線あしずり(高知~中村)、徳島線剣山(徳島~阿波池田)、牟岐線むろと(徳島~牟岐)と数多くあり、特急と言うよりは有料快速列車である。終点松山駅では1番線の同じホームの先に岡山、高松行き8両編成の電車特急「しおかぜ」が停車している。駅での乗降に階段を使わなくて済む改札口前の1番線を使用し、少ないホームの乗り換えを楽にするための苦肉の策で、特急同士を同じホームの同じ番線で乗り継ぐのは今では珍しい。

image21  21.大洲駅からは二つのルートがある

image22 22.松山駅1番線は異なる特急が前後に並ぶ

 

今日の歩行距離:21.0km。調査した橋の数:12。

総歩行距離:5,137.2km。総調査橋数:8,496。

使用した1/25,000地形図:「大洲」(松山7号-4)、「東多田」(松山8号-3)、「鹿野川」(松山8号-1)