高知-2.四万十川(その8)平成25年11月26日(火)晴れ
四万十川遡行を再開する。乗り慣れた南風1号に乗車。今日の乗車率は上々で、車掌さんに2号車の自由席と指定席との比率を乗客変動に合わせて変更することを提言しておく。3両編成に1.7両分の指定席は多すぎる。自宅近くのスーパーでお握りを買ってあったが高知駅で駅弁を買い、車内で早い昼を摂る。おにぎりは明日の朝食に回すことにする。10時55分窪川着。前回調べた橋の次の橋は町の北側に有るので街中の道を北に向かう。道の右側のごく普通の店屋を良く見るとなんとキリスト教会である。世の中には色々な物が有る物だ。
小高い丘を越え四万十川に再会する。最初の橋の五社大橋の袂にはこの地区の案内板が建っている。橋の向こうには5つの社が有り、代表が高岡神社である。この辺りは高岡郡なので、郡一の神社なのであろう。
橋の上から上流側を見れば、広い盆地を四万十川は悠々と流れている。全長196kmの川のこの地点は河口から120km余りで川の長さからすると上流域に入るのであるが、地形、川幅、流れの速さはまだまだ中流である。四万十川は下流と上流が短く、中流が全盛である。まさに日本の縮図である。
橋を渡り道を進んだ突き当りに高岡神社が有る。境内、社殿とも極普通の神社であるが、解説や周りの雰囲気はタダものでは無い。角を曲がり県道322号を北に向かうと、五社の社のいくつかが鎮座している。窪川の街中には無かったマンホールも現れ、この地区だけは別格である。清流と称している四万十川であるが、流域最大の町である窪川に公共下水道が整備されずに清流と言うのは止めてくれと思っていたが、この地区は違う。
圃場整備と県道改良が行われている道を川も見えずに進む。それにしても窪川あたりの盆地は広く、田圃も広い。四国一の吉野川は急峻な狭い渓谷の連続であるが、四万十川は曲がりくねってはいるが、渓谷は広く周りの山も低い。この平地が広く、人口、田畑が多いことが長良川と同様にダムが建設されず、清流の名がついた原因であろう。ダムの有無だけで清流かそうでないかは疑問である。徳島県の多くの清流を見て来るとこの感じが強まる。ダムのお蔭で安定した生活が出来る下流の都会の人間は勝手なことを言うものだ。
4km余り北上し道が大きく西に曲がると直ぐに四国の道の碑が建ち、この地には五社の一の鳥居が有ったとある。上流部からの参拝者はここから神社に向かったのだろう。
川はこの辺りでは全体的には北からの流れとなり、川の両側の田圃は少しずつ狭くなっていく。次に現れた神社の鳥居の横には橙がたわわに実り、鳥居に花を持たせている。
松葉川橋を渡り今度は左岸側の県道19号を北に向かう。さすが二けた県道は歩道付きの2車線の道である。県道沿いには瀟洒な民宿も有る。
東側の山が川に迫る箇所では県道拡幅工事が行われ、急斜面の上にパワーショベルがへばりついている。重心が低くキャタピラが有るから出来ることではあるが、下から見ると転がり落ちそうに見える。直ぐに大きな堰が現れる。堰は山が川に迫った所が適所のようで、下流に広がる田圃に水を供給している。
川向こうの西側には緩やかな山波が続き、やはり吉野川とは山の形も異なる。川も山も優しい姿をしている。地形図で見ると「枝折山(H=806m)」とある。道沿いの民家の庭先には冬を知らせる小むらさきの実が鮮やかな紫色を見せてくれる。竜胆では無いが、こむらさきと言うと先ほど亡くなった島倉千代子さんを想い出す。
米の川地区に来ると最初の沈下橋である「清水ケ瀬沈下橋」が現れる。直ぐ上流に永久橋の「源流大橋」が出来たので車は通れない。源流大橋から上流側を見れば大きな堰と次の沈下橋が見える。こちらも車は通行禁止となっている
右岸側に橋を渡り「一斗俵沈下橋」に向かう。橋の近くには解説板と有形文化財のレリーフが有る。この橋は昭和10年完成の四万十川流域に数多く有る沈下橋で最古参の橋とあり、文化財に認定されている。中央部の橋脚1基はかつて流されてしまったので、ここだけは2径間分の長さがある。左岸側にも立派な解説板があり、ここの沈下橋は架けられ甲斐がある。
左岸側の県道19号に戻り快調に北に進む。滝本地区に来ると県道の直ぐ左下にミニ発電所の小屋が見え、右側には導水管も見える。四万十川本流には珍しい発電所である。河川勾配が緩く、流域人口が多いためダム式発電所は適地が無く、上流部の堰から延々と水路を設けてここまで引っ張ってきたのである。
「栗の木大橋」を右岸側に渡り、本流から別れ今宵の宿の松葉川温泉に通じる「日野地川」を西に向かう。橋際の郵便局に立ち寄り年賀状の高知版を所望するが、既に売り切れたと言われる。図柄が四万十川なのでピッタリなのであるが・・。秋の夕べはつるべ落としのたとえ通り陽は早くも傾きかけ、傾斜がきつく成った道を進む。道際のお地蔵さんを良く見れば「巣鴨とげぬき地蔵」とある。ここでお婆さんの原宿と出会うのはビックリである。道沿いのあちこちにはこの辺りの昔話や地域の解説が書かれた立札が続き、疲れた身体に元気を付けてくれる。
最後の坂道を登ると今宵の宿の松葉川温泉の建物が見えてくる。辺鄙な所に立派な建物が続いている。江戸時代からある温泉と解説板に書いてあった。本流から別れて4kmほど脇に入ってきたのもこの温泉に惹かれたからである。ホテル層に入るとここでも当方の名前が歓迎版に書かれ気恥ずかしい。見晴らしの良い露天風呂に入り、夕陽を眺めながら歩きの疲れを休めてやる。
本日の歩行距離:18.3km。調査した橋の数:8。
総歩行距離:6,516.1km。総調査橋数:10,250。
使用した1/25,000地形図:「窪川」(窪川13号-2)、「土佐川口」(窪川13号-4)、「米の川」(窪川13号-3)