高知-2. 四万十川(その6) 平成25年10月12日(土)快晴
夏の空気と秋の空気の境界の寒冷前線が通過し、長かった夏がやっと過ぎ絶好の遡行日和到来。満を持して南風1号に乗車。普段はガラガラの車内は5割の乗車率。さすが3連休の初日である。久しぶりの四万十川の再開であるが、窪川からの予土線もバスも接続が悪く、窪川で2時間近くも待つのはもったいないので手前の須崎駅で途中下車する。ここ須崎は土讃線建設の起点でここから高知に向かって線路が引かれた。須崎は深い入江を持った港で資材搬入に便利なのが決め手になった。四国最初の鉄道も多度津(港)から始まった。駅前にはこれらの解説と記念品が展示されている。
次の普通列車までの時間駅前を散策する。駅近くの県道に入ると大きく「駅前食堂」と書かれた看板が目につく。メニューには須崎名物の鍋焼きラーメンも有る。喜劇映画に使えそうな店構えである。足元の久しぶりに見るマンホールの絵柄はカワセミである。港町須崎のイメージとは異なる絵柄である。帰宅して調べると須崎の市の鳥であった。
途中の伊野駅で追い越された普通列車に乗り込み再度窪川に向かう。途中、「安和」なる駅が現れ、これを「あわ」と読む。ここは阿波では無く土佐やきに!
窪川到着11時49分。これでも12時45分発のバスまで時間は十分にある。高知駅のホームで買った鯖寿司を食べ時間を過ごす。予土線は13時28分発なので高南観光バスに乗り、野地分岐バス停から前回の折返し点の土佐大正に川を下ることにした。列車、バスを良く調べた結果の苦肉の策である。高南観光バスは、これまで何回も乗った嶺北観光、北幡観光と同じ高知県交通撤退路線を引き継いだローカル観光バス会社である。バス車体の横には大きく「四万十」と書かれ、貸切観光バスが走ることで四万十川を全国にPRしている。
定刻2名乗車で土佐くろしお鉄道駅舎の前から北の川行きのマイクロバスは発車。明日歩く予定の国道381号を快調に走り「野地分岐」バス停で下車。ここは四万十川がこれ以上無いぐらい大きく屈曲する地点で、6kmに渡って折れ曲がる川の根元の幅はわずかに200m。そこを国道は150mほどのトンネルで短絡してしまう。今日はひとまずこの根元のトンネルを潜り下流の土佐大正を目指す。この屈曲部は明日に残しておく。昨日までの雨で水量豊かに川は流れている。南風からの車窓から見た吉野川の大歩危、小歩危は急流が凄まじかった。
上宮橋を過ぎると同名の沈下橋が現れる。国道から沈下橋を渡り左岸側の集落の間の道を進む。名前の元になった神社がすぐに見つかる。じょうぐうと読むのですぞ。川沿いには土佐名産の生姜畑が続く。
大きく曲がると予土線も現れ暫し線路と平行して進む。国道から分岐し南に向かう県道55号の打井川橋を渡り再び国道に戻る。JR打井川駅は川の直ぐ傍にあり、川の見晴らしは一番である。海岸に近い駅は数多く有りテレビでも良く紹介されているが、川ではここが好いよ。
歩道完備の国道を夕陽を浴びながら西に向かう。上岡の沈下橋はスパンが長く、大きな力を受けるので桁の断面は流線型をしている。数多くの沈下橋の中でももっとも格好いい橋である。上岡の集落の軒先に花のように見える葉が赤と赤と黄のぶちになった植物が夕陽を浴びている。
やがて予土線のトラス橋が川を横断している場所に来る。橋の名前はトラスの端部に書かれ、その名は「仁井田川橋梁」とある。仁井田川は窪川の北で東から流れて来て合流する川であるが、国鉄は四万十川(渡川)を無視していたのか?
やがて前回折り返した道の駅が現れ、暫し休憩し直ぐに大正駅に向かう。この道は前回折返しに往復したのでこれで三度目の道である。街中の民家の庭に今時珍しい柘榴が大きな実を付けている。これは西洋柘榴のようだ。
駅で暫し待ち窪川行きに乗り今宵の宿に向かう。車窓には今日歩いた道と川が見える。
本日の歩行距離:13.5km。調査した橋の数:6。
総歩行距離:6,372.6km。総調査橋数:10,127。
使用した1/25,000地形図:「土佐川口」(窪川13号-4)、「田野々」(宇和島1号-2)