全国各地で過疎化が進んでいるが、なかでも徳島県の過疎化は凄まじい。過疎化の進む剣山北面を流れる二つの川を歩いた。
徳島1-3.穴吹川(その1)平成24年11月21日(水)晴一時曇り
朝9時5分、4度目の穴吹駅に降り立つ。吉野川の中継点で2度、曽江谷川で1度、そして今日から2日掛かりで歩く穴吹川で4度目となる。駅前の観光案内板には四国一の清流「穴吹川」の解説と地図が載っている。この穴吹川は四国で二番目(西日本でも)に高い剣山の北面から流れ出し、S字の両端を少し引っ張った形の佐渡島によく似た形状の川で、長さは42km強と長い支流である。川の最上流部のその名の通りの「川上」まで美馬市営バスが1日3便も走っている。この路線バスはコミバスでは無く、政令指定都市の市営バスとは比べようがないささやかな正真正銘の市営の路線バスである。
駅から東の川に向かうと今が盛りの皇帝ダリアの一群が、花の多さとその高さを競っているかのように咲いている。
本流に合流する地点近くの国道192号と徳島線の橋は、本流遡行時に調査済みなので3番目の橋に向かう。左岸側の高い堤防の上の道路から川を見れば、最下流部でも透明な水が流れ、さすが長年四国一の清流を守っているのが分かる。あの有名な四万十川は下流部まで来ると、長く流れることから多くの田畑、民家からの排水が入り、それほどでも無いが、この川は人口過疎地域で森林が多いことから清流が保たれているようだ。
直ぐに国道492号が川に近づき、国道を南に向かって歩く。狭く長い渓谷に道はこれ一本である。わずかな穴吹の街並みが続く平地が終わり、穴吹川の渓谷に入って行く。直ぐに川の中を縦断するような長―い堰が現れる。横断にしないで縦断にしている理由が良く分からないが、川の落下長さが長いことで勢いが削がれ川魚の遡行がし易いのだろうか。
道路右側の電光掲示板には、工事に伴う交通規制の警告が表示されている。更に進むと交通規制時間の看板が有り、50分サイクルで40分通行止め、10分可能と表示されている。工事個所の地名などは表示されているが、ここからの距離が無いので、通行可能時間帯にうまく辿り着けるかどうか分からない。地元の人にはこれで良いが、地域外の者には不親切な表示方法である。
3径間の天神橋は中央径間の長い桁の上に短く桁高の低い側径間の桁が乗っかっている。まるで親亀の上に子亀が載っている感じである。徳島県にはこのタイプの橋を数多く見かける。直ぐにくだんの工事個所に着き、あいにく通行止めに入って10分程度で30分程待たされることになった。法面防災工事の樹木伐採をクレーン車を使ってやっている。鳴く子と工事には勝てないのでここでぼさーっと待つことにする。
再開と同時に真っ先に進んで行く。左岸側の山に上がる道の入口に「天孫降臨の地、入口」の看板が現れる。高千穂の峰や高千穂渓谷ならまだしも、こんな徳島の地に天孫降臨は聞いたことが無い。孫だから沢山いても不思議ではないので、あちこちに別れて降臨したのかも知れない。更に南に向かうと、悩ましげなポーズの女性が描かれた民宿の看板が目につく。1泊2食、温泉付きで5,500円は安い!今日はこの先の「ブルーヴィラ穴吹」を予約済みなので、民宿は諦めることにして進む。
程よい水量の清流を左に見ながら歩いていると、右手に「筏下り大会出発地点」の大きな看板が立っており、対岸の右岸側の川の曲がり角近くには川に降りる階段状の雛壇が有る。ここから趣向を凝らした筏で川を下るのであろう。夏に清流を下るのは気持ちがいいだろうナ。
今夜泊まる予定の「ブルーヴィラ穴吹」なるやけにモダンな名前の施設が対岸の丘の上に見えてくる。そこに渡る橋の名前はなんと「ラッキー橋」。人を喰ったような名前の橋名であるが、親柱を見ると一方には完成時が1997、7、7と記され、7だけ太字になっている。なんじゃこれは、パチンコの7並びでラッキーか。帰宅して調べると穴吹の郵便番号が777のようで、これにこじつけて橋の完成時も7にこだわったようである。ここには日帰りの温泉施設が有り、これが決め手で今夜の宿とした。もっとも調べた段階ではこの辺りには此処しか無かったが。
ラッキー橋を過ぎると国道沿いに巨大な石柱が建っている。剣山にある神社に詣でる人のための道標のようで、先日の石鎚山とここ剣山は四国の山岳信仰の双璧のようである。
右岸側が少し開けた知野集落に渡る橋の近くでまさかのマンホールを見つける。知野のマンホールの蓋の図柄は、穴吹町の物とは異なるローカルなデザインである。直ぐの左岸側の更に広い谷間に広がる宮内地区にも同じ図柄の蓋があった。国道脇の民家の近くに昭和50年8月の台風襲来時に襲った洪水の水位が記念に書かれている。川から10m以上の高さのこの場所にまで水が溢れたとはビックリで、広島の太田川での遡行を想い出す。
宮内集落の入口付近には久しぶりの潜水橋が架かり、バックの山との対比が素晴らしい。洪水が無ければのどかな良い所なのだが。
この穴吹川の旧穴吹町内の一番大きな集落である宮内に入り、国道から旧道に入ると直ぐに真っ新なトイレが現れる。丁度幸いと利用すると、なんとウオシュレット付である。こんな山深い渓谷のトイレにウオシュレット付とはすごい!郵便局に立ち寄り、徳島の年賀はがきの図柄を見せてもらうと、なんと吉野川橋と眉山が描かれている。文句なくOKし購入する。丁度昼時なので近くの白人神社の石段で昼食とする。
南向きの斜面には狭いながらも茶畑が見え、初めてお茶の樹の可憐な白い花を見る。へーお茶の樹も花を咲かせるのだ。
いよいよ谷間が狭まり、両側には1,000m近い山が迫ってくる。位置的に大歩危、小歩危と同じ四国山地を横断する地点に差しかかる。その名も「剣峡」に入る。恋人峠なる案内板が現れ、ここはかつて落ち延びて来た平家の公達が更に奥に逃げ延びる時に仲良くなった地元の娘たちとここで別れたとのことで、今風の謂い方がそぐわない気がする。傍らには恋人にかこつけた幸福の鐘が置かれ、数多くの鍵が残っている。せっかくなので鐘を突きおこぼれを期待して歩き出す。
渓谷は更に狭く深くなり、坂の続く道の遥か下を清流は流れている。これぞ遡行の極致である。よくぞこの先に先人は進んで行ったものである。とてもこの先に人が住める所は無いような厳しい地形である。
狭い渓谷の左岸側を南に進むと「閑定の滝」の看板が現れ、矢印の方向を見れば直ぐ近くに滝が有る。滝は見事な三段の滝で、これまでの遡行で見て来た多くの滝のベスト5に入る端正かつ直ぐ近くの滝である。ここまでの道のりは遠いが一見の価値が有る。
洪水で流失した橋の残骸が遥か下の渓谷の底に無残に横たわっている。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。何度か目についていた川をきれいに保つ告知板を最もふさわしい所でカシャ。「四国一きれいんでよ」とは徳島弁丸出しでないでがだー。
国道は一部区間を除きほぼ全線が1車線の細い道が続く。細々と国道の改築が進められ、やり易い所から2車線化、線形改良、防災工事が進められている。この辺鄙な山奥は林業が廃れ、就職可能な職業はこの国道改築、河川砂防工事などの土木事業だけである。ここまでで既に2社の小規模な土建会社が道路脇に有った。年間わずかな予算で多くの工事に分割されたものを地元の小さな会社が受注して、あちこちで工事が行われている。分割施工された真新しい橋脚がポツンと立ち、桁が架かるのは未だ数年先になるのだろうか?本四のように一気呵成に工事を進めてきた人間から見れば異次元の世界である。
鍵掛地区に来ると川は南北から東西に大きく向きを変える。曲がり角はまさにこれが曲がり角だ、と言わんばかりの流れ方をしている。北から流れてきた川の合流点の国道沿いの集落は見事に全て廃屋となり、これも無残な姿をさらしている。谷底に近い道路付近は土地が無く、洪水の恐れもあるため生活手段が無い。山の中腹は狭いながらも畑があり、自給生活がなんとかできるので人が住んでいる。昔の人が谷底に住まず山の中腹で生活していたのに納得する。
半平山(H=1,015m)の南斜面に点在する家々に通じる道に繋ぐため国道が2回川を渡っている。山の名前も南側に人が住めるだけの緩い山腹が有ることを示している。一つの橋だけで十分なのに二つも架けるのには疑問を感じる。
東西に流れる川の中間点付近から旧木屋平村に入る。狭い1車線の道が長く続き待避所の無い区間の出入り口には大型車接近燈が設置され、丁度赤いランプが点滅し、やがて大型ダンプがやってくる。これでなんとか細い道を上手く使っている。
対岸に渡る狭い橋の国道側の袂では、橋への出入りがし易いように三角形状の拡幅工事をしている。丁度作業員の人が顔を出していたのでしばし話をする。白人神社の近くでも同じ拡幅工事をしていたので、今年はこれが重点工事なのであろう。
更に東に向かい今や実体の無い「三ツ木学校前」バス停で丁度夕方の下り便が通過する時刻なのでバスを待つ。ここまで○○前というバス停が何か所か有ったが、実物は全て無くなり昔の名前がそのままバス停に残っている。やがてやってきた市バスに乗り込む。見た目はコミバスであるが、これでも市営路線バスですぞ。今日宿泊するヴィラまで川を下り、ヴィラの風呂を楽しみに川を下る。
本日の歩行距離:22.2km。調査した橋の数:16。
総歩行距離:5,288.6km。総調査橋数:8,662。
使用した1/25,000地形図:「脇町」(徳島16号-2)、「阿波川井」(徳島13号-1)