高知-1.吉野川(その10)平成24年6月7日(木)晴れ一時曇り
朝5時過ぎ、昨夜作っておいてもらったおかずの無い大きなおにぎりを食べ、6時に宿を出て遡行を開始する。屈曲を繰り返すダム湖畔の道を歩き「上吉野川橋」に向かう。この橋は最大スパン250m強の吊橋で、本四橋の上部工の施工法検討の現地検討のモデルとして建設された橋で、早明浦ダム建設に伴う県道付け替えに伴い白羽の矢が立った。本四橋の設計、施工法の礎となった橋で、関係者としてここにお参りしない訳にはいかない。メインケーブル、ハンガーロープ、バンドなど規模は小さいが見慣れた構造が随所に見られる。
02.主ケーブル、バンド、ハンガーの構造は本四に引き継がれた
計画ではこのまま今日の折返し点である「井の川」バス停まで歩き、そこからバスを乗り継いで帰路につく予定であったが、朝6時過ぎに宿を出ても24km先のバス停のバス予定時刻の12時52分に着くのは難しいので、急遽、上吉野川橋から井ノ川まで直行するバスに乗り、川を下ってくることに変更する。途中の大川役場前での乗継の1時間がもったいないこともある。橋の北詰のバス停位置らしき所にはバス停も時刻表記も無い。
暫し待ち7時17分に目指す長沢行き嶺北観光自動車のバスがやって来る。バス停も時刻表も無いことを運転手さんに言うと、「誰も乗らないのでバス停はないままにしている」とのこと。井ノ川まででバス停表示が有ったのは数か所であった。乗客はもちろん無の貸切。
7時50分に井ノ川バス停に着き下車する。ここにはちゃんとバス停もあり、1日3往復の時刻表もある。
停留所近くには同姓の建設会社が有り、人口400人弱の大川村にも建設会社が有る。直前まで続いた早明浦ダム湖もここでは姿を消し、狭い急峻な谷間となっている。左岸側の県道17号の反対側には3本の導水管を持った「高萩発電所」が見える。大杉から本山、田井と続いた広い谷間は姿を消し、再び高い山に囲まれた急峻な地形が現れる。県道が沢に来るとその都度大規模な砂防堰堤が現れる。早明浦ダムに少しでも土砂の流入を防ごうと造られたのだろう。四国の中央部山地の砂防のため、国交省は専門の砂防事務所を設置している。はるか頭上高い位置まで階段状に堰堤が造られている。河川局砂防部の名にかけて造成されたようだ。
県道が本流を渡る「うの滝橋」の橋上からは層状岩盤が本流の上に迫り出している迫力ある風景が見える。岩盤の下にはかつてあった桟道道路と洞門が見え、こんな厳しい地形でも道を通していたことが良く分かる。
対岸に渡る「小金橋」を過ぎると直ぐに県道脇に滝が現れる。微妙な曲線をした滝で女性を連想させる滝である。県道から上流側にある小金滝橋を振り返って見ると、彼方に特異な形をした「とぎの山(H=1,167m)が橋の上に見える。
交通量の少ない県道をダンプカー10台ほどが行き来している。やがて北側の山腹の法面で法面保護、補強のための法枠工の工事が行われているのに出会う。鉄筋と金網の施工が終わり、コンクリート吹付の事前準備作業のようだ。県道脇の狭い平地に紫陽花の路傍花壇が有り、花が咲き始めており梅雨入り真近を感じる。
珍しい三角形断面をしたトラス橋が現れ、1車線だけの幅の狭い橋のため工費節約のためこの形にしたと考えられる三ツ石橋である。吉野川に架かる橋は径間長が長いため、アーチ橋、トラス橋、吊橋と他には見られない長大スパンの橋が数多くある。
沢毎に現れる砂防堰堤は何れも規模が大きく、デザインも多種多様である。緑の森の中の大きな構造物をなんとか景観と合うようにとの配慮であろうが、その巨大さは周囲を圧倒する。
やがて大川村の中心の小松地区に入る。猫の額ほどの狭い平地に役場、郵便局、農協、診療所、交番、旅館がひしめいている。離島部を除く日本一人口の少ない村で、地図で見ても此処以外には集落らしきものは見当たらない。かつては3千人ほどの人口であったようだが、鉱山の閉鎖、ダム建設による集落の水没のため激減した。異常渇水時によくテレビに現れた湖底の旧役場はこの村の物である。村役場はモダンな造りで、ダム建設の補償工事で新築されたようで、ガラス張りの中が良く見える構造である。役場と農協、診療所の職員だけで村の人口の多くを占めそうだ。役場の入口に村の観光案内図があったのでカシャ。
来る途中のバスの中で見つけた「村の駅」なる施設まで来ると、土日のみの営業とある。止む無く来た道を1kmほど戻り役場近くの食堂に入る。ここで暫し休憩し、再度同じ道を下流に向かって歩き始める。
西日本屈指の水量が貯められるダム湖の傍らの県道は、5から10mほどの高低差の上がり降りを何十回も繰り返しながら、地形に忠実に屈曲を繰り返している。海岸沿いの道を岬から岬へと進んでいる感覚に陥る。
再び上吉野川橋にたどり着き、橋の南詰で10分ほどバスの到着を待つ。余計な村の駅への往復の距離を加えると今日は25kmも歩いた。やがてバスがやって来、乗り込むと朝と同じ運転手さんで、客はやはりゼロ。橋の南側の「南越トンネル」を潜り土佐町の中心「田井」に向かう。狭い本流の谷間から支流の地蔵寺川の広い谷間が目に入る。町の最東端の田井は交通の要衝で、高知から大杉経由の県交通バスがここまで通じ、嶺北地方の各地に便数は少ないが嶺北交通のバスがここを起点に走っている。大杉駅経由高知行きの最終バスまで1時間ほどあるので、街の中を少し散策する。久しぶりに下水のマンホールと出合い、集落の大きさを実感する。デザインはズバリ早明浦ダムとダム湖である。
15時55分発の最終バスに乗り、30分ほどで大杉駅に着く。これで780円は高い。田井行きのバスと駅前で交換し、なんだか単線の駅で列車が交換しているように感じる。駅でも1時間待ちで17時8分発の阿波池田行きに乗り帰路につく。なんとも待ち時間の長い1日であった。
今日の歩行距離:25.0km。調査した橋の数:12。
累計歩行距離:1,750.1km。累計調査橋数:2,254。
使用した1/25,000地形図:「田井」(高知6号-4)、「本山」(高知6号-3)、「土佐小松」(高知10号-1)