高知-1.吉野川(その9)平成24年6月6日(水)晴れ

吉野川遡行を再開し、前回と同じ列車の乗継で大杉駅に9時46分着く。前回の折返し点の川口南まで国道439号を歩く。トンネルを潜り、大豊ICを越え最初の橋「大杉橋」を対岸(左岸)に渡る。1車線の狭い交通量の少ない県道263号を気持ちよく歩く。県道脇の岩が露頭しているのをよく見ると、固結した層状の水成岩が細かい間隔で重なっている。この層状の岩はこの後もずっと続いていた。道路工事の予告板もよく見ると間伐材を活用したもので、透明ビニールシートに工事概要を印刷しこれを材木に張り付けた物で、普通の味気ない看板とは一味違う。

image1  01.吉野川上流部は細い層状の岩が続く

 image2 02.間伐材を使用した工事予告板
途中1台の車も来ない県道から、上流にある早明浦ダムで発電した水の流量を調節するための山崎ダムの上の歩道を渡り、再び右岸の国道を歩く。
大きく蛇行を繰り返す川を見ながら、国道を外れ地形図に示された橋に向かうと潜水橋が現れる。下流部にあった潜水橋から較べれば短いが、橋を渡ると身近に早い流れが実感できる。
image3  03.久しぶりに潜水橋が現れる
蛇行する川に挟まれた盲腸のような地形の先ちょに公園と神社がある。野中兼山の銅像と兼山公の足跡の解説板もあり、土佐では有名な人物のようだ。
本山大橋を渡れば本山町の中心本山である。街中の役場でトイレ休憩をと向かうと、古い庁舎とプレハブの別館が質素に佇んでいる。豪勢な庁舎の多いご時世によく頑張っている。かつて仕事でお世話になった今は尾道市に編入された広島県瀬戸田町の役場はもっと古い庁舎を使っていたのを想い出す。和気町長に聞くと、役場に金を使うよりも町民と観光客に喜ばれる建物に使うと言われていた。

image4  04.土佐藩の礎を築いた野中兼山像

image5 05.質素な土佐町役場

再度国道に戻り、広い谷間に真っ直ぐに通る道を歩く。病院、郵便局、高校、警察署、県の出先と公共施設が続く。ここ本山町は「嶺北地方」の行政の要のようだ。嶺北地方とは、高知市の北側にある大分水嶺の山脈の北側の地域を指し、吉野川流域の大豊、本山、土佐、大川、本川の5町村が嶺北のようだ。
土佐本山橋で国道と分かれ支流の「汗見川」沿いに進むと吉野地区となる。ここが吉野川の名前の元になった地名である。
image6  06.ここが吉野川の名前のルーツ
本流と支流が首の皮一枚で背中合わせになっている丘を越えれば突然早明浦ダムが現れる。忽然と現れる。高さ100mのダムでは発電所も有り、発電を終えた豊かな水が流れている。とうとうやって来た早明浦ダムに。
image7  07.突然早明浦ダムが現れる
右岸側に渡り、土佐町に入る。山裾の道を登りダムの頂上に向かう。頂上から下を見れば広い谷間と市街地が広がっている。こんなに人里の近い所によくぞ巨大ダムが出来たものだ。ダム横の広場には吉野川の利水状況とダムの役割を示す解説板が多くある。吉野川の水は徳島と香川だけでなく、多くのダムとトンネルとを使って愛媛県東予、高知市に流されている。
image8   08.ダム頂から広い谷間を見る
image9  09.ダムの役割説明板
image10  10.吉野川の水は四国4県で利用
ダムから直ぐ近くの今宵の宿、さめうら荘に向かう。この宿は土佐町が運営する青少年の研修施設で、建物は古くなっているが貴重な遡行時の宿である。
今日の歩行距離:17.0km。調査した橋の数:14。
累計歩行距離:1,725.1km。累計調査橋数:2,242。
使用した1/25,000地形図:「杉」(高知6号-1)、「本山」(高知6号-3)、「田井」(高知6号-4)