香川―1.土器川(その1)平成23年5月24日(火)雨のち晴れ
(はじめに)
時間を遡り、岡山の全河川の遡行を終えた後の四国の遡行記を暫く続けることにする。先ずは全国最小の県、香川県の唯一の1級河川である「土器川」から始める。
時間を遡り、岡山の全河川の遡行を終えた後の四国の遡行記を暫く続けることにする。先ずは全国最小の県、香川県の唯一の1級河川である「土器川」から始める。
午前7時40分、予讃線宇多津駅に降り立つ。岡山河川遡行完了から10日、足が「早くどこかへ行こうよ」と俺を急かせる。新たな遡行は日本の主な川の主流のみを勝手気ままに巡ることにし、早速「丸善」に出かけ、地形図と道路地図を購入し、バス路線とダイヤを調べる。先ずは岡山県の向かいの香川県を対象とする。隣の県は一般的には「隣県」と云うが、岡山と香川は瀬戸内海を挟んで向かい合っているので、「向かいの県」がぴったりとする。瀬戸大橋の完成する前から両県はテレビ放送が共通のエリアになっており、広島、鳥取、兵庫よりも身近な隣県であった。瀬戸大橋の完成、特に鉄道の開業により、より身近なものとなった。香川県唯一の一級河川「土器川」を先ず歩くことにする。ミニ県らしくこの川はミニ河川で、延長公称33km(私の地図から算出した長さは36km)、流域面積140km2と岡山3大河川とは比較にならない規模であるが、香川県にも一級河川を認定しておかないと「負えりゃせん」のだろう。
20年ぶりに降り立った宇多津駅から土器川の河口に向かう。昨日からの雨が出かける時にようやく止み、こちらも止んだところである。右岸河口には土器川のマスコットキャラクター、ドジョウの「まこちゃん」のイラスト入りのゼロキロポストがある。今やマスコットキャラは花盛りであるが、川にまで波及し、ドジョウも出てきてこんにちは!となった。北東方向の海には灰色の空と瀬戸大橋とが見分けにくいが橋が見える。
01.土器川ゼロキロポスト
20年ぶりに降り立った宇多津駅から土器川の河口に向かう。昨日からの雨が出かける時にようやく止み、こちらも止んだところである。右岸河口には土器川のマスコットキャラクター、ドジョウの「まこちゃん」のイラスト入りのゼロキロポストがある。今やマスコットキャラは花盛りであるが、川にまで波及し、ドジョウも出てきてこんにちは!となった。北東方向の海には灰色の空と瀬戸大橋とが見分けにくいが橋が見える。
01.土器川ゼロキロポスト
河口から堤防の上の道路を歩くが、通勤時間帯で狭い道路を車が通り、ひやひやしながら歩く。川向こうには二層にうず高く積まれた丸亀城が見える。
香川県には土器川と同規模の川が他に3川あり、長さ、流域面積では他の川の方が大きいのがあるが、土器川が唯一の国が管理する一級河川になったのは、県庁が高松に設けられ、高松藩(松平家)が行政の中心となり丸亀藩(京極家)は格が落ちてしまった。この丸亀への配慮ではないかと思っている。土手沿いにこの川を管理している「国土交通省四国地方整備局、高松河川道路事務所、土器川出張所」があったので立ち寄る。入口に川の水中生物の水槽があり見ていると、女性職員がいろいろ説明してくれる。「上流には蛍が生息しており・・・」。マスコットキャラのことを言いだすと、よくぞ言ってくれましたとばかり、説明してくれる。このキャラは彼女が発案者ではないかナ。この川の長さの根拠を聞いていると、土器川の最上流は私の思っていた所ではなく、別の名前が地形図に記載されていない川で、旭川と同じ理由で本流が決められたようである。
丸亀橋の親柱の石灯籠には丸亀名物の「団扇」と干支の絵が描かれている。ここから左岸の堤防上の自歩道を歩く。自動車の来ない道を安心して歩ける。城東小学校の児童が河川敷内で体操をしていた。広い河川敷の一部を運動場として利用しており、見納めの鯉のぼりが川空を泳いでいる。 04.丸亀橋の親柱
丸亀橋の親柱の石灯籠には丸亀名物の「団扇」と干支の絵が描かれている。ここから左岸の堤防上の自歩道を歩く。自動車の来ない道を安心して歩ける。城東小学校の児童が河川敷内で体操をしていた。広い河川敷の一部を運動場として利用しており、見納めの鯉のぼりが川空を泳いでいる。 04.丸亀橋の親柱
土器川は雨が少ない香川県を流れる流域面積の小さい川であり、渓谷から平野部に流れ下ると川の水は地下に浸透してしまい、通常は川水の無い枯れ川になってしまう。今日は昨日から今朝までの50mm程度の雨のお蔭でなんとか水の有る川となっているが、約250mの広い河川敷に幅5mほどの細い流れで、先日歩いた岡山最後の川(明連川)よりも水量が少なく、こんなに広い河川敷が必要なのが信じられない。
香川県を代表する山、別名讃岐富士と言われる飯野山(標高422m)が河口から見え、徐々に大きく見えていた山が今度はだんだん遠く、小さくなっていく。土手の高さも少しずつ低くなり、上流に向かっているのを実感する。土手下の麦畑の麦は黄金色になり、空には雲雀がホバーリングしながら鳴いている。
やがて丸亀市からまんのう町に入る。この丸亀平野は道路が多く、特に県道は網の目のように張り巡らされ土器川にも多くの県道橋がある。昭和10年代から30年代に流行った(?)ゲルバー桁形式の橋が多い。交通量増大に伴い橋の拡幅を行ったようで、腹付拡幅に苦労の跡が見られる。やがて琴電鉄橋に達し、丁度電車が橋を渡っていたのでカシャ。府中時代に良く利用した京王電鉄のお古とここで再会し、当時は特急に使用されていた前面窓が側面にカーブした独特のスタイルに40年前を想い出す。四国は鉄道の少ない所であるが、ここ香川県の讃岐平野は、JRの予讃、土讃、高徳線と琴電の琴平線、長尾線、志度線が張り巡らされ、高徳線以外は電車が走っている。全国で電気で走る鉄道の無いのは徳島県と沖縄県であったが、那覇に新交通が空港と首里間に開通して徳島がその地位を保っている。
08.琴電土器川橋梁と旧京王電車
08.琴電土器川橋梁と旧京王電車
河口から13kmあまりの旧国道32号の大きな鳥居のある祓川橋で今日の遡行を打切り、旧国道を琴平駅に向かう。平成の合併以前の旧満濃町のマンホールの写真を撮る。蛍と満濃池がデザインされている。やがて琴平町に入るが、家が連続して並び町境は標識が無いと分からない。琴平町はわずか8km2の狭い町であるが金刀比羅宮のお蔭で観光業が盛んで、合併はしなかった。琴平町のマンホールも撮ったが、こちらは金刀比羅宮に向かう石段の駕篭がデザインされている。
本日の歩行距離:19.5km。調査した橋:15橋。