大阪1-4. 寝屋川(その2)平成30年9月2日(日)曇りのち晴れ

10月に東京開催のシンポジウムで話すパワーポイント制作の毎日であるが、強烈な台風21号がやって来そうなので鬼の来ぬ間に遡行に出かける。寝屋川の続きを始めるため大阪環状線鶴橋駅で下車。ホームの立ち食いうどんで昼を摂り、先日入った駅東口から外に出る。

川沿いの広くも無い府道を東に向かうと頭上の看板がおもろいやおまへんか!ちゃんこ鍋屋の屋号が「〇儲家」、振り仮名入りである。「儲かりまっか?」、「そりゃー、安い材料仕入れて高う食わせてるんやから丸儲けでっせ」、「そんならもっと安うせんかい」。

01.京橋駅を出て直ぐに発見!おもろい看板

都島区から城東区に入る。天満橋から京橋の間では匂わなかった戦後の汚い川のどぶ川の匂いがする。小学生の頃親戚が住む今里に行く時に匂った強烈な臭いが蘇る。あのころはどの川も大なり小なりどぶ川であった。寝屋川は水質ランクで全国ワースト3に入りそうな川である。大阪府中部の平野に住む280万人の生活排水と下水が流れ込む川である。岡山県全人口よりも多い人の排水が一つの中河川に流されているのだ。

今日最初の橋「鴫野橋」はピンク系の珍しい色で、橋名が3径間桁橋の中央に書かれている。これは助かりまっせ。川は何とも言えない色をしており、杭の上で羽を乾かせている鵜も思案顔である。鵜の目鷹の目でも水中が見えまへん。鴫と鴨の字は僅かな違いであるが、ホンマモンはどの程度の違いが有るのだろうか?

02.橋の中央に橋名が書かれたピンクの橋

03.臭く濁った川に鵜も困ったなー

三番目の橋はJR片町線と城東貨物線の複々線の真新しいトラス橋である。貨物線は現在複線旅客線化の最後の仕上げ中で既に開業している「おおさか東線」の放出駅で繋がり、新大阪駅から放出、久宝寺間全線が開業する。山陽新幹線から大阪府中部、奈良県中央部への足が良くなる。無塗装橋の大規模なトラスは騒音が周りの住宅に響かないように桁下をカバーで覆っている。死荷重が相当増えるがしょーがおまへんなー。

04.片町線と間もなく開業するおおさか東線の橋は一体に

05.トラス橋の床は騒音防止の床板付き

狭い歩道に自転車が入り歩きにくい。歩道は自転車も通行可の扱いなので、人が優先の道のはずなのだが自転車が我が物顔で駆け抜ける。

今里筋が寝屋川を越える「新喜多橋」は薄紫色でここも橋名が桁に書かれている。「しぎた」と読む地名である。今里筋は見事に一直線で南北に連なっている。まっ平らな平野なので道も真っ直ぐで北海道もビックリの道が連なる。

橋の上流側にかつて天満橋からここまで巡航船が就航していたとの解説板が有る。川の南側は「新喜多」、こちら側は「今福」である。梅新の市電停留所から東に向かう市電の行先が「今福」だったのを想い出す。そうかこの辺りが今福なのか。

06.「新喜多大橋」は薄紫色だ

07.かつては天満橋からここ今福まで巡航船が運航されていた

歩道の右側は高い殺風景なコンクリートの壁が続くので、ここをキャンバスにした「アートギャラリ」が始まる。子供の絵が多いが大人も参加しているようで、いい加減に見ながらこれは良いぞ!というのをカシャ。

途中の橋名が「極楽橋」。バス停名も極楽橋。四国の清流から見れば地獄のような川なので、せめて橋だけでも極楽にしたかったのだ。同じ名前の駅名が高野山にあるなー。

08.殺風景な防潮堤は絵の展示場だ

09.コンクリート壁にはこの絵が抜群

10.「極楽橋」!同じ名前の駅が高野山に有ったな

北から支流の「城北川」が合流する所にこれを越える橋と直ぐ横の水門に着く。水門にはその役割を分かり易く解説した看板も有る。城北川は「毛馬」で淀川本流の「大川」にも繋がっており、ここを合流点と言うのは間違いかも知れない。潮の干満を利用して寝屋川に大川の水を流す機能と大雨時に寝屋川の水を城北川から大川に流すバイパス機能も持たせているようだ。都市内河川の管理は大変だ。

合流点(分流点)の対岸には「平野川分水路」が合流している。あちらには水門が無い。これは合流で良いのだろうナ。

11.城北川が寝屋川に合流する所に水門が

12.水門の役割を分かり易く解説

13.対岸(南)にも「平野川分水路」が合流

府道168号は極楽橋で対岸に逃げ、右岸側は普通の市道となり道路北側の狭い歩道を東に進む。水門を過ぎると対岸の「放出」地区と「今福」地区を繋ぐ川と道路を跨ぐ歩道橋が架かっている。対岸の橋際には「放出小学校」が見える。極楽橋際には「今福小」が有ったので川の南北で学区が異なっているはずだが・・。道路地図を見ると小中学校の数の多いこと!人口密集地区なので学校も多いな。

こちら側には大阪市の「今福下水処理場」の塀が続く。淀川の水は上水道に利用されているので、淀川左岸以南の地域の下水はここで処理され寝屋川に。枚方、寝屋川、門真、守口各市も同じである。京都府の八幡市も寝屋川に放流しているのだ。子供のころに「よろがわの水飲んで腹らら下り」という戯言が有ったなー。

14.長い歩道橋の先には放出小学校が

15.大阪市今福下水処理場は塀の内側に

河内平野のど真ん中を一直線に分断する「内環状線」の橋の手前で城東区から鶴見区に入る。鶴見区は子供の頃無かった区である。1974年に城東区から分区した区で、平野区、住之江区も分区された。代りに淀川区、大淀区が無くなり、東区と南区が中央区に変わってしまった。スクラップアンドビルドの行政版である。

内環状線を越え「放出大橋」なる昔から在る道の大げさな名前の橋を過ぎる。道の北側に入口が並木で見えにくくなった市の「鶴見斎場」が奥に有る。斎場横には高層住宅が建っている。市街地の住宅地の中に斎場が有る!住宅の方が後から建ったのだろうが全国的に珍しい光景である。

16.鶴見区に入ると住宅地の中に斎場が

狭い歩道をひたすら東に向かう。川を挟んで名も知らぬ工場が点在している。工場の手前に美しい水管橋が川を越えている。水道管本体を上手く利用したランガーアーチ橋である。寝屋川には数多くの太い水道管を抱えた水管橋が有る。

17.今津水管橋は本体を上手く利用した優雅なアーチ橋

「徳庵」地区に来ると北側から支流の「古川」が水門付きで合流している。京阪の駅に「古川橋」が有ったなー。直ぐに多くの川、水路が合流する「徳庵橋」に着く。ここで寝屋川はこれまでの真っ直ぐな川が方向を変えS字状にくねっている。橋を越えると歩道橋の登り口に北を下にした川の状態が分かる地図が有るのでカシャ。ややこしおすな!

18.北から支流の「古川」が合流

19.「徳庵橋」付近は川が複雑に入り組んでいる

右岸側のますます高くなった塀沿いに進む。何ともつまらない遡行になってまったな。旧中央環状線であった府道2号の「万代橋」で対岸に渡る。こちらは東大阪市で旧河内市エリアである。

20.高い殺風景な塀が延々と続く

21.「万代橋」の向こうは東大阪市

川沿いに道が無いので南側の道を東に向かう。道路には東大阪市のマンホールが現れ、その図柄は全国どこにでも有る桜である。3市(布施、河内、枚岡)が一緒になった市なので桜でお茶を濁しているぞ。

22.東大阪市はよくある桜だ

やがて中央環状線とその内側を通過する近畿自動車が行く手を遮る。4車線の近畿道の両側に3車線の府道と歩道付きの2車線の側道がそれぞれ有り、合計14車線の大幹線道路である。大阪が早くから建設完成させた自慢の環状道路である。その橋を見るのは大変であった。30分かけて橋を何とか診て道を越え鴻池地区に入る。

予定では片町線「住道」まで歩くつもりであったが、多くの橋と中環に時間を取られたので「鴻池新田」駅に向かう。途中の文化住宅は全て3階建てで、1階は車庫や倉庫になっている。多少のデザインの違いは有るが全て同じ3階建ての家が並ぶのは壮観である。大雨時の浸水、洪水に対応した建て方で過去の経験を反映させたのだろう。他の地域、地方も参考にしてほしい考え方である。

23.寝屋川流域の住宅はみんなこの3階建て

駅前のミニ広場に駅名板に見たてた解説が有ったので読むと、大阪の歴史で習った「鴻池新田」の生みの親の鴻池氏はなんと「山中鹿之助」の子孫とある。江戸時代に大きな池と周囲の低湿地を新田に開発した鴻池で、片町線開通後もここに新駅を作るための費用を寄付したとある。良いことをすると地名に残るのだ。

駅のホームに上がり待合室で汗まみれの短い袖のスポーツウエアを長袖に変え、電車の長い時間のクーラー対策とする。今日も尼で新快速に乗り換え帰路につく。

24.山中鹿之助の子孫が鴻池を名乗り、池を新田に変えた

本日の歩行距離:7.3km。調査した橋の数:28。

総歩行距離:10,057.8km。総調査橋数:12,353。

使用した1/25,000地形図:「大阪東北部」(京都及大阪8号-4)