愛媛-11.僧都川 平成26年2月20日(木)晴れ
昨年5月以来の伊予の遡行を再開する。松山、宇和島と乗り継ぎ5分の待ち合わせで宿毛行き宇和島バスに乗車。宿毛駅から県界まで乗ったのと同じ大型の新しいバスである。宇和島と宿毛の間の複雑な海岸線を持つ区間は1時間に1本のこのバスが主役で地域の大切な足である。目指すのは愛媛県最南端の愛南町である。御荘町、城辺町などが合併した町でその場所が町名になっている。
僧都川河口近くの御荘公園で下車。6時間弱の長旅である。かつて通過した時に有った海の上を対岸に渡るロープウエイが無くなっている。直ぐに川の河口が現れ、橋から西を見ると河口の先に細長く御荘湾が続いている。御荘、僧都と高名な寺の荘園の地名の匂いがする。親柱にはカツオと花らしき絵が載っている。花は多分この町の町花なのであろう。カツオは直ぐに分かるが花は名前を入れておいてほしいな、花子さん。
リアス海岸が続き平地の少ない南予には珍しい平地が川沿いに続いている。右岸側の土手の上の細い路を東に進む。三つ目の橋「観栄橋」の橋際に、四国の道の標識と40番札所の「観自在寺」の説明板がある。北四国には数多くの札所があるが、南西四国は少なく次の41番は宇和島の北の三間に有り、40番との距離は50kmも有る。1日でこの距離を歩くのは大変だろう。
近くに旧御荘町の役場が有るので土手から街中の道路に降りる。支所で聞いても旧御荘町の町花が何なのか答えが出てこない。時間の経過は恐ろしい。仕方なく次の橋まで旧国道を進むと、左側の道路際に南宇和高校の校舎が至近距離で建っている。こんなに道路に近い位置の高校校舎も珍しい。南国らしく校舎の前にはソテツが並んでいる。
直ぐに旧御荘町から旧城辺町に入る。市街地の家の連なりの中に町の境界が有ったのだ。二町が一緒になるのは当然のような状況である。旧城辺町に入り直ぐの旧国道の橋を渡り左岸側の土手を歩く。今日は快晴で西風を背中に受けホイホイと足が進む。二町とも下水のマンホールが見当たらず、南四国は公共下水道の普及が進んでいない。やがて土手の上に四阿が建っているのに出会い暫し休憩する。この土手の道は39番と40番とを繋ぐ遍路道になっていたのだ。豊田で直ぐに遍路道は右に折れ、一本松から宿毛に向かっている。
東からの流れが少しずつ北に方向を変え、土手が無くなり川から少し離れた道を進む。道の両側には柑橘類の果樹園が展開し、花が咲きだした枝垂れ梅と色の競演を演じている。黄色とピンクと緑が鮮やかな早春である。
河岸段丘を進むとやがて渓谷の入口となり、川は上流の様相となる。右岸側から県道46号が橋を渡って合流してくる。これから先はこの県道1本である。完全に北からの流れとなり、北の彼方には「観音森(H=779m)」のどっしりとした山容がはっきりと見える。山名にも寺の影が有る。
狭い渓谷を北に黙々と進み、北東からの大久保川が合流する所から川は徐々に西に方向を変えていく。やや勾配がきつくなった県道を進むと今宵の宿である「山出(やまだし)憩いの里温泉」のバス停が見える。宇和島バス独特の高く大きなバス停柱であるが、今は愛南町のコミバスに変わっている。計画ではもっと上流のバスの終点である大僧都まで歩いてバスでここまで下ってくる予定であったが、足が頭の言うことを聞かず左の橋を渡って温泉に行こうと駄々をこねる。太陽は西の高い山に隠れ、寒さも増してきたので足の言うまま左に曲がる。あしからず!
橋の向こうの温泉の建物はお城のような形をしている。日帰り温泉客はいるが宿泊客は当方1名のみの貸切である。建物の脇に宇和島圏域観光地図が立っていたのでカシャ。南予の複雑怪奇な海岸地形が良く分かる。
本日の歩行距離:11.5km。調査した橋の数:16。
総歩行距離:6,873.3km。総調査橋数:10,532。
使用した1/25,000地形図:「城辺」(宇和島7号-3)、「柏」(宇和島6号-4)