岡山-2. 高梁川 (その9) 平成27年1月4日(日)晴時々曇り
平成27年最初の遡行に出かける。いつもの6両編成の新見行きは正月の日曜日とあってガラガラ。倉敷で減り、総社で減り、備中高梁を出ると乗っている車輛には当方一人だけとなる。これでは四国の土讃線の1両のワンマンカーと同じやないか。
9時前に新見駅到着。駅前には新見名物の大名行列の祭り(土下座祭り)の行列の並び方と役名が描かれた絵図の案内板が立ち、広場には石柱も有る。大名はこれだけの家臣を養わなければならないので大変だな。
正月に降った雪が町を覆いすっかり雪化粧をしている。想定内なのでやはりという感じである。今日は新見から12kmほど上流の千屋ダムの真下までの予定であるが、雪道の上り道は心臓に堪えそうなのとバスの便が良くないので、ダム下の千原までタクシーをはりこむことにする。
上流に向かうほど雪の厚さは大きくなっていく。車内で秘密兵器の靴底に装着するアイゼンを付ける。JR東日本の通販で見つけた優れものである。15分ほどで勝手知ったる千原に到着し、来た国道180号を南に向かう。倉敷にやって来た当時は未だ計画段階のダムであったが平成10年に完成した。岡山3大河川の上流部には「湯原ダム」、「千屋ダム」、「苫田ダム」と大きなダムが川の同じような位置にある。
千原の国道の西側の広場には何時でも出動可能な臨戦態勢の除雪グレーダーとトラックの2台が待機している。国道は歩道部を除き黒色が確保されている。ドライバーの目の前に待機していると頼もしい兄貴に見えるだろう。
国道180号の千石橋は前回は○としたが、5年経つと錆が出始めており△とする。フタル酸塗料は今の新しい塗料と比べると耐候性に劣る塗装系でやむを得ない。下流側の張り出し床版の下には蜂の巣が見える。蜂にとっては橋のこの部分は絶好の住処にどこでもなっている。
高梁川の上流部は谷間が比較的広く、人家も連なっており道も国道以外にもあるため国道に歩道が無い区間もある。歩道の無い雪道は危険なので、5年目に歩いた同じ旧道を南に向かうことにする。旧道の千原大橋は岡山県には珍しいアーチ部に大きな空間の有るコンクリート開腹アーチ橋である。5~15cmほどの厚さの雪道も凍った路面も難なく歩いて行ける。さすがスパイクタイヤである。
左岸側に渡り1車線の市道を進むと二つ目の橋の際に「天恵の銘水」なる水場に着く。前回は数名の人が多くのポリ容器を持参して水を入れていたが、今日も軽トラで来た人が沢山のポリ容器を用意しわき目も振らず水を採取している。
更に下ると見晴らしの良い所に阿弥陀堂が建っている。絵になる景色なのでカシャ。
川に架かる市道の橋が5年前に△と×にした物が最近塗り替えられたようで、自慢げに光り輝いている。分かったヨ◎にするよ。最新のフッ素樹脂塗装を採用している。この先全面通行止めの看板が有ったので止むを得ず国道に向かう。歩道が有るので助かった。
歩道の直ぐ際に「ゆずりは城本丸跡」の解説板が立っていた。この新見地区は毛利がやって来るまでは新見氏が治めていたのを知る。勉強になるなー。
やがて西の方から中国道と国道182号が仲良くこの本流の谷間に合流して来る。両者は西の峠をトンネルで越え、高梁川の支流の「西川」とそのまた支流の「神代川」を南西に進み広島県東城に向かっている。
国道から離れ川に近い中国道の側道を南に向かう。道に雪が無くなり、アイゼンの金属音がうるさいのでアイゼンを外してスタッドレスタイヤで道を進む。中国道が高梁川を越える橋は全面が覆われて異様な姿をしている。前回△にしたので塗替え塗装工事中かと思ったが、御大層な姿なので近づいて見ると「床版の補修」工事中であった。鋼橋の床版補修をPC業者がやっている!
再び国道に戻り市街地を東に向かう。インター近くに「新見新歌舞喜座」なる建物が目を引く。歌舞伎では無いのだ。面白いのでカシャ。
2時間に1本の貴重な各停発車の10分前に新見駅に着き乗車。直ぐに米子からの各停が着き大きな荷物を持ったUターン帰省客がどっと乗ってきて2両のワンマンカーの座席はたちまち埋まる。朝とは大違いで出発進行。
本日の歩行距離:12.8km。再調査した橋の数:21。
総歩行距離:7,757.0km。総再調査橋数:188。
使用した1/25,000地形図:「新見」(高梁11号-1)、「足立」(高梁10号-2)