徳島-7.海部川(その1)平成26年11月3日(月)快晴
岡山、高松、徳島、牟岐と4回の乗継で阿波海南駅に11時17分到着。徳島からの特急「むろと」の終着牟岐駅は1ホーム、2番線だけの簡素な駅である。かつての牟岐線はここで行き止まりであったが、昭和48年に海部まで延長開通した。昭和50年代に国鉄乗りつぶしで牟岐線にも乗ったが、ここ阿波海南駅は途中駅なので通過した駅である。和歌山県の紀勢線に先輩の海南駅が有るため阿波が頭に付いている。
徳島海南と言えば、昭和39年春の選抜甲子園で初出場、初優勝の徳島海南高校とエース尾崎将司の名前、阪急の監督をした上田監督の名が直ぐに浮かぶ。その後同校は甲子園とは縁が無いため甲子園勝率100%の記録を保持していた。四国からは池田高、土佐中村高と辺地の県立無名校が甲子園で優勝したのを昨日のように覚えている。
駅前の国道55号を南に進み海部川の河口を目指す。海南町と川向こうの海部町、そして高知県境の宍喰町の3町が合併して海陽町となった。先日歩いた日和佐などが合併した美波町といい字面の良さと音の響きの良さと海を連想するなかなか良いネーミングである。
直ぐに今日歩く海部川に寄り添う国道193号が55号から分岐する。ここから四国東部中央の川と山々を縫いながら高松に向かう国道で、度々歩いた道である。途中の剣山の東側の山脈の南北で道は途切れており、地形図にはなんちゃ無い。
河口近くの橋を見るため国道から離れて東側の道路に入る。道の左側には旧海南町の役場が建ち、右側には海南町の観光案内地図が建っている。直ぐ隣の車庫には明日乗車予定の海陽町営バスが休んでいる。明日また会いましょうと挨拶をして川に向かう。
やがて海部川の土手に上がり海部川橋を渡り旧海部町に入る。河口は橋から500mほどで、仁淀川で見た太平洋が望める。徳島県の大きな川では、吉野川が横綱、那賀川が大関クラスならこの海部川は前頭上部と言う所である。橋を渡ると県道197号が南に向かっている。この先に行くなと言うので直ぐに右に曲がり国道55号の新海部川橋に向かう。
200mほど西の55号の橋を北に渡り、平行して架設されている牟岐線の橋を合わせて調べ、線路の下を潜り堤防の左岸側を上流に向かう。川は一昨日の雨も有ったので程よい流量でゆったりと流れている。上流は日本有数の降水量の多い地域なので、川幅は広く白い砂利が広がる広い河原を持っている。
堤防の下には最近完成したような真っ新な太陽光発電パネルが並んでいる。ここ1年で新築住宅だけでなく遊休地や自治体の造成した土地に広い敷地一杯にパネルが目立つようになって来た。不安定な高い太陽光発電電力を無理やり買わされる電力会社も根を上げている。このままどんどん増えていくと電気代がうなぎ上りとなるだろう。
北西方向に向かう土手の先に姿形の良い山が見える。地形図で確認すると「瀬戸山(H=554m)のようである。
土手が尽き一旦国道193号を歩く。清流橋を見るため国道から100mほど南の橋に向かう。親柱には子供がデザインしたような野菜の盛り合わせが描かれている。在りそうで無かった図柄である。
国道に戻り抜けるような青空の下歩道を歩く。吉野地区で国道は吉野橋で川の右岸側を北に向かう。気候が安定し最高気温も20度以下の今が遡行には最適の時期である。
2kmほど北に進むと大井大橋が現れ、川は西からの流れとなる。広い川幅一杯に低い多段階の堰が美しい。これなら自慢の鮎も難なく遡行できるだろう。堰で広がった水面に快晴の青空が濃い青色に強調されて反映されている。やっぱり日本はエエナー。
大きく右にカーブして川と道は再び北に向かう。道路に左側に「刀匠 阿州海部住氏吉」なる解説板が建っていたので立ち止まり説明を読む。こんな所に刀鍛冶が生まれ連綿と続いていたのだ。直ぐの笹無谷川に架かる橋を渡り川を見ると、笹では無く水が無い!これでは水無谷川である。
笹草の町営バスのバス停留所には「中国の花嫁さんお世話します」なるポスターが貼ってある。複雑な気分で文章を読む。
中野地区で西から最大の支流である「相川」が合流してくる。本流もこの支流も上流に大きな集落が無く、森が広がっているため見事な清流となっている。快晴の空の元では更に綺麗に見える。
若松地区を過ぎると川と国道は大きくカーブする。川は広い河原を従えゆったりと流れている。立派なトイレを備えた「清流の駅」が中野トンネルの北側に続いてある。上流の轟の滝を訪れるドライバーの為に設置されたトイレであるが、当方にとっては誠にありがたい駅である。
神野地区に入ると谷間が開け田圃の中を国道が見事な曲線を描いて彼方に向かっている。山と空とのバランスが良いので思わずカシャ。
三ケ尻地区を過ぎると渓谷は狭まり、国道は急峻な山裾を桟橋形式の橋で川の端を進む。中央高速道路の相模川の上流部の渓谷の橋梁を思い起こす。こうすることで地形改変が少なく山の急傾斜地を掘削することも無く、大雨時も法面崩壊の心配が無い。多雨地域の優れた作品である。
東から玉笠川が合流する地点に架かる古い「玉笠橋」の袂の民家の前には「全面通行止め」の規制板が裏返しにされて道端に置かれている。いつでもこれをひっくり返して通行止めが出来る仕組みである。年に何度もひっくり返しているのだろうか?
再び谷間が少し広がると桑原地区で今宵の宿の民宿に向かう。快晴と清流と清流の駅のトイレと今日も気持ちの良い遡行であった。
本日の歩行距離:16.5km。調査した橋の数:12。
総歩行距離:7,590.2km。総調査橋数:11,233。
使用した1/25,000地形図:「奥浦」(剣山11号-3)、「小川口」(剣山10号-4)
徳島-7.海部川(その2) 平成26年11月3日(火)快晴
今朝は今秋最低の冷え込みである。南国四国の太平洋に近い海南であるが最低気温は7度。今日も快晴で気持ちが引き締まる思いである。鮎釣り人が訪れる民宿も今はひっそりとし、客は当方一人だけ。民宿の名前は「前川」で目の前に海部川と橋がある。遡行の為に在るような宿である。
昨日までの予定ではこのまま川を15kmほど遡行し、町営バスの終点の大比まで歩きバスで海南駅まで降りて来る予定であったが、国道の案内標識の何れにも轟の滝が載っているのでこれを逃す訳にはいかなくなった。急遽設計変更し大比バス停の大分手前の大餘魚谷川にある滝に照準を定めた。これで「かれいたにかわ」と読むのである。これを読める人は地元関係者以外にはいないだろう。今まで出会った最高の難読地名である。華麗なる変針である。
8時にお握り2個を携えて宿を出る。雲一つない真っ青な空の下快調に歩き始める。この気分は車では絶対に味わえない爽快感である。
2kmほどでつい最近完成したと思われる新道と旧道との分かれ道に来る。右岸から左岸側に向かう橋を渡って旧道を選択する。東からの県道37号が合致する小川口の自販機でお茶を購入する。すると当たりー!777が出てもう1回ボタンを押すことが出来る。初めての当たりである。これは朝から縁起がいいわい。
直ぐに出来たてホヤホヤの橋と新道がこちらと一緒になり、左岸側を北に進む。山影が渓谷にかかり明暗がはっきりとしている。
1時間ほどの歩きで皆ノ瀬に到着する。ここで国道は支流の皆ノ瀬川と一緒に北に向かい、本流は西からの流れと変針する。直ぐに当初予定していた町営バスがやって来て乗車する。
バスは狭くなった渓谷の県道148号を進み、7kmほどで轟口から支流を北に向かう。滝近くの轟神社でバスを降りる。バスは来た道を下り轟口で本流沿いに上流に向かう。滝は日本の滝100選に選ばれ、四国随一の滝と言われているようだ。滝の案内看板には赤目48滝も真っ青な99滝とある。多く有ることを九十九と言うことが良く有る類かな。長崎県の九十九湾(つくもわん)と類似しているのだろう。
帰りのバスの時刻も有るので急いで急坂を登り滝に向かう。橋を渡ると神社の鳥居が滝への道に在る。滑りやすい岩の上を進むと両側から垂直に迫った岩壁の狭い間からゴウゴウと轟音を轟かせた滝が見える。このロケーションは今まで見たことの無い特異なものである。直ぐ近くまで来ないと岩壁に邪魔されて見えない滝はまっこと珍しい。11月9日の祭りでは御輿がこの滝つぼに入る行事があるとのことで、当日は相当賑わうのであろう。滝とその周囲の姿と雰囲気は勇壮、幽玄で神性を感じる。那智の滝などもご神体になっているが、ここの方が目の前に滝が有りより神性を身近に感じる。
直ぐに元来た道に戻り川沿いの県道を南に下る。本流との合流点近くの橋を見終わって大比からの折返しのバスに乗り込む。途中の橋際でバスを停めてもらい橋を診て本来の橋を全て見たことになり、納得してバスに乗る。
途中から1名ずつ4名の80代の婆様が乗ってくる。ドライバーは最後の婆様に「今日は珍しく満員だよー」。全員海南の病院の方に向かうようである。滝の印象を心に刻んで帰路につく。一期一会の滝である。
本日の歩行距離:6.0km。調査した橋の数:6。
総歩行距離:7,596.2km。総調査橋数:11,239。
使用した1/25,000地形図:「小川口」(剣山10号-4)