日本あちこち河川遡行記(第176回)
徳島-3. 勝浦川(その2)平成25年11月5日(火)晴
朝4時に起きいつものように味噌汁を作り出かける準備をする。徳島駅に8時14分到着。40分発の徳バス西横瀬行きに乗車。先日歩いた川沿いの県道をバスは登って行く。9時22分、折返し点のバス停から二つ先の「中角」バス停で下車する。この間に橋は無く景色も見通せる範囲なので少しズルをする。直ぐに県道から川に向かう道に入り土手の上を西に向かう。直ぐに目指す「星谷橋」が潜水橋で現れる。長い!なんと23径間もある。数えるのが難しい。少し近寄ると土手の傍らに石柱の道標が立っている。橋の彼方の北の山の中腹に弘法大師ゆかりの霊場である「星の岩屋」が有るようだ。四国88か所には岩屋が数多く有るが、ここも番外の準お遍路寺である。
このまま真っ直ぐ土手の上を西に向かっても良いのだが、直ぐ近くの県道に道の駅が有るので寄り道をする。この寄り道時間を稼ぐためズルをしたのだ。道の駅「ひなの里かつうら」は2年前に開業したホカホカの駅で、手元の道路地図、地形図にも載っていない。
トイレ、レストランと見回り物産販売の建物に入る。みかんとすだち、瓶詰の果汁類の並ぶ店内の一角に南四国名物の魚の酢が効いた姿ずしが並んでいる。徳島名物のぼうぜ、鯖、鯵、カマスに交じって勝浦特産の天然アユの姿寿司が当方を呼んでいる。500円をはりこんで買う。徳島駅前のコンビニでお握りを買っているが、彼女の呼びかけに答える。直ぐに店の外のベンチで姿寿司を食す。酢が効き過ぎて鮎がぼうぜ、鯵と同じ味になっている。この酸っぱい寿司が南四国の特徴なんや。ほなけん徳島県人はこれが好きなんよ。
今日は20kmほど歩くので先を急ぐ。道の駅の向かい側に町の花「コスモス」が咲いていたので道を渡る。西側には蜜柑の樹と姿形の良い山が見えカシャ。直ぐの交差点には20番札所「鶴林寺」への案内標識が立ち、角にはコンビニも有る。県道の二つの札所への交差点にはコンビニが道標になっている。
県道16号が川を渡る「横瀬橋」にやって来ると橋の親柱には可愛い恐竜の像が有る。平成6年にイグアノドンの歯の化石が見つかり、それが親柱にまで波及したようだ。川はここで南からの流れとなり狭い渓谷となる。正面からは支流の坂本川が合流している。彼方には遠くからもその姿が分かる正三角形の山が聳えている。本流と支流に挟まれた見事な山である。渓谷沿いの道は危なっかしいので諦め、坂本川沿いの県道のお供をすることにする。
橋を渡り旧横瀬町に入ると橋際に高瀬舟発着場跡なる石碑が立っている。ここから上流は高瀬舟も航行が難しかったのであろう。阿波の都、徳島は吉野川、鮎喰川、園瀬川、そしてこの勝浦川と多くの川が集まる所で、藩の中心として絶対的な存在であったのであろう。阿波は徳島が他の町を寄せ付けない強さで、今の東の横綱と大関以下と同じような存在である。
直ぐに旧生比奈村地区には見られなかったマンホールが現れる。図柄は当然みかんでしょう。町役場、高校などは旧町村の境界付近に有り、合併時は大変だったのだろう。
暫く街並みの続く県道を歩き外れまで来ると坂本川に架かる橋となる。本来は調査対象の川では無いが暫く峠まで川沿いを歩くので、ここからも調査対象に加え旧道を西に進む。1車線の道の山側に屋根付きのお地蔵さんならぬ不動明王の石像が立っておられる。普通は目をカット見開き憤怒の形相をして恐ろしい姿であるが、お地蔵さんの変わりなのでその姿は恐ろしくは無い。剣が無ければやや怖いお地蔵さんにも見える。
旧道と新道が一緒になる辺りから道は坂道となる。坂本川のここまでの4kmほどで14も橋が在る。本流側とは大違いである。歩道の無い新道を進むと、谷側に季節外れの桜が小さな花を咲かせている。帰宅して調べるとこの辺りから上勝町にかけては10月桜と言われている桜が多く有るようだ。100m以上も登ってくると長い新坂本トンネルが口を開けている。600m以上の長くうるさいトンネルを越え本流側の沢に入る。
曲がりくねった旧道が合する付近にこれも季節外れの朝顔が一面に咲いているでない。北三陸なら「じぇじぇえ」と言うところである。
沢を下って来ると勝浦町と上勝町との町境となる。直ぐ近くには上勝町営バスのその名もズバリ「町境」なるバス停がある。吉野川の支流の銅山川の徳島、愛媛県境の「県境」バス停以来で、今や村境は有りえないであろう。
上勝町は四国一人口の少ない町で、ここも人口減、少子高齢化が進んでいるが、「葉っぱビジネス」を成功させ一躍有名になった、老人が働き現金収入が有る元気な町である。葉っぱは紅葉、柿、椿、松などの葉を採取し、小奇麗に包装して大都会の料亭などに販売している。刺身や焼き物のあしらいとして料理の見栄えを良くし、季節感を醸しだす役割がある、日本料理に欠かせないわき役を町のビジネスにした。過疎を逆手に取った商売である。
短いトンネルを潜ると本流に再会する。福川地区に入り県道を進むと道端に「ここは福川、活気あふれる美人の里」なる立て看板が迎えてくれる。車とは出会うが人とは殆ど出会わないので真偽のほどは不明である。世の中看板に偽り有りで、最近はホテル、旅館、百貨店のメニューの偽りが多発している。ネーミングに騙されてはなりませんぞ。
大きく蛇行する川から県道は高い所を通っているので、川に架かる橋には行きは良い良い帰りは辛いである。本流は再び大きく曲がり、渓谷も急峻なので県道は再び登りとなりミニ峠を目指す。道路地図にも載ってはいない真っ新な正木トンネルを潜り正木地区に入る。今日は川歩きなのか山歩きなのかどっちだい!
横瀬から上勝町の月の谷温泉までは急峻で曲がりくねった渓谷の連続である。横瀬の直ぐ上流部にダムが無いのが不思議なくらいである。
トンネルを潜って直ぐに県道とは別れ、支流の「藤川谷川」の左岸側を合流点に向かう。合流点の直ぐ下流の潜水橋を目指し谷間を下る。今日は上り下りの激しいジェットコースターのような遡行である。
人家の全く無い魔物が出て来そうな深山幽谷の谷に降りて来ると、こんな所に橋がと思う場所に潜水橋が有る。魑魅魍魎が現れそうな谷底を急ぎ足で横断し、直ぐの登り坂に向かう。橋から下流には道は無く、ミニ祖谷渓谷の様相を帯びている。
再び急な坂道を登り正木ダム湖に向かう。途中の木々の間から県営の正木ダムが見える。これだけの渓谷にダムは当然でしょう。ここで貯められた水は長いトンネルで途中パスした本流の渓谷の発電所に送られる。ダム、発電所とも県営である。
100mほど登りダムの裏側のダム湖の右岸に着く。ここで昼としてお握り休憩とする。
15分の休憩を取り湖岸沿いの道を上流に向かう。湖畔沿いの道はほぼフラットな道と思っていたが、道はどんどん登って行く。こりゃーおえりゃーせんぞな。100m余り登り湖面ははるか下となる。道の両側には木が生い茂り湖面は見づらい。木々の間から見る静かなダム湖は秋が物悲しく見え似合っている。
道は地形に忠実に曲がりくねりアップダウンを繰り返す。これなら対岸の県道の方がよかったかなと後悔の念が起こる。
1時間ほど歩くとダム湖に架かる日浦橋が現れる。橋はリニューアルの最中で高欄はガードレール兼用の最新の物になり、舗装も打ち替えられ橋げたは塗替え作業中である。橋際の工事中の看板には「社会資本整備総合交付金事業」と書かれ、最近国交省が、地方自治体の橋の長寿命化工事にも交付金を出すようになった事例が此処に有った。総合の字にその意味が隠されている。川の遡行と橋の診断から市町村道の橋の行く末を案じ、講演会などで報告してきた身としてはうれしい限りである。
08.橋の長寿命化工事も「社会資本整備総合交付金」事業になった
橋を一往復し再び右岸側の湖南道路を南に向かう。対岸の県道がガードレールもろとも崩れた所が有り、途中で止ってしまったガードレールが見える。徳島と高知の山々は日本有数の多雨地帯で、道路、鉄道の大雨への対応と事後処理は大変だろう。
月ケ谷の沢を大きく回り込むとやがて今宵の宿のある月ケ谷温泉に到着。宿の玄関に道を下り進むと入口の傍らの歓迎看板に当方の名前が燦然と輝いている。いささか気恥ずかしい気持ちで暖簾を潜り館内に入る。ここは日帰り温泉施設と旅館が一緒になった町が運営する宿である。館内の3階には葉っぱビジネスの会社も入っており、けったいな宿である。
久しぶりの温泉に山歩きの疲れをほぐす。この温泉も弘法大師様が発見された温泉と解説板に有り、四国はどこへ行ってもお大師さんが登場する。水戸黄門の紋所のような効き目がある。
本日の歩行距離:19.2km。調査した橋の数:18。
総歩行距離:6,458.3km。総調査橋数:10,219。
使用した1/25,000地形図:「立江」(剣山5号-3)、「阿波三渓」(剣山9号-1)、「阿井」(剣山9号-2)