岡山-2. 高梁川 (その6)平成26年12月19日(金)晴
12月には珍しい発達した爆弾低気圧のお蔭で瀬戸大橋線は運休が長く続き、昨日からの予定の高知行きは万一のことを考えて中止にした。今日は風も収まり近場の高梁川の遡行の続きに出かける。先日の折返し点の方谷駅に降り立ち川向こうの国道180号に向かう。車道より一段高い広い歩道にはうっすらと雪が覆っている。誰も歩いていないので気持ちが良い。先日購入したおニューの靴は底に深いトレッドが有るので滑りにくくなっていて歩きやすい。一応アイゼンも用意しておいたが必要無さそうだ。
直ぐに川の両岸に狭い谷間から川が合流する地点に差しかかる。右岸側の川は短い川で地形図には川名が記載されていない。対岸の川は方谷の生まれた中井町西方の方から流れてくる中井川で、こちらは5年前に歩いた川である。短い橋を渡れば高梁市から新見市に入る。倉敷、総社、高梁と来て最後の市である。平成の大合併で通過町村は全て市に吸収されてしまった。この川のゴール予定の千屋温泉まで50kmとなった。既に半分強の区間を通ったことになる。
やがて歩道も無くなり路肩を北に進む。法面の防災工事で片側通行の箇所に差しかかる。ガードマンに歩行者が通るか尋ねると、「だーれも来ません。オタクが初めてじゃ」。こんな寒い冬の朝に人家の途切れた国道を歩いている奴はおらんじゃろなー。
右岸側で出臍のように川に飛び出した岩山を国道は大きく曲がり、対岸の伯備線はこちらに橋で渡りトンネルで抜けて行く。今度は両岸の位置を交換して両者は北西に向かう。国道の広石橋の直ぐ横の旧道の橋は通行禁止になっている。5年前に×を付けた橋である。
広石集落を過ぎると狭い渓谷が延々と続き、対岸の伯備線には広石信号所の複線が見える。方谷~井倉間は8kmほど有り、1時間に1本の特急の走る単線ではダイヤ作成が苦しいので中間に列車すれ違いが出来る信号所が設置されている。かつては数多くの信号所が各地に有ったが、列車本数の削減、汽車廃止に伴う速度向上で信号所は減ってしまった。
視距の短い山側を避け川側を進むと正面に石灰岩の大きな岩山が迫ってくる。ここからは中国山地の石灰岩地帯を横断する。この地帯は延々と西に続き、秋吉台や北九州の平尾台へと至る。
岩山の直前の左岸側の少し奥まった所に国道180号の名勝「絹掛けの滝」が有る。細い絹糸のような繊細な水が落下する滝で、瀑布という言葉の響きには馴染まない滝である。那智、華厳、神庭の滝などのような豪快な滝も良いが今にも流れが途切れそうな女性的なこの滝も良いものだ。今冬は良く雨が降っているので渇水期にしては絹が途切れることは無く落下している。対岸の伯備線からも一瞬見える滝で、いつも通過する時はその姿を拝している。
滝の近くのかつての茶店のミニコンビニで100円コーヒーを飲み身体を温める。10分ほどの休憩で遡行を開始する。今度は左岸側の山が大きく川に迫り出し、伯備線が再び川を越えてこちらにやって来て直ぐのトンネルに突入する。国道は地形に忠実に大きく曲がって川に沿っていく。大きな出べその麓で伯備線と再会し一緒に左岸側を上流に向かって行く。正面にまたまた石灰岩の岩山が現れ、丁度特急やくもが通過して行く。この景色が岡山側の伯備線の特徴のある景色である。
対岸に渡る道路橋が久しぶりに現れる。県道50号の白谷橋で、こちらも橋脚の耐震補強工事が始まっている。橋を越えると高梁川の対岸に石灰岩の絶壁が続いている。
直ぐに国道も伯備線も高梁川を越える。今度は国道が窮屈な井倉の集落を避けてトンネルでバイパスして行く。町は何となく白っぽく感じる。石灰岩は製鉄に不可欠な材料で、ここで採取された石灰岩は水島の製鉄所に運ばれているのだろう。今度は下りのやくもがやって来たのでカシャ。
井倉の街中に向かう県道に折れて進むと井倉橋を渡ることになる。前回はアーチの主部材に蔦類が張り付き、みっとも無かったので×を付けたが、殆ど蔦が見られないので今回は△としておく。
県道を離れ川沿いの道を上流に進むと「井倉洞」に向かう橋と絶壁にポッカリ穴の空いた入口が見える。多くの鍾乳洞の入口を見て来たがここは凄いロケーションである。今日は入館者が居ないのか切符売り場の女性が当方に入館を進めてくれる。JRの駅から直ぐの所に大規模な鍾乳洞が有るのは此処だけであろう。
川に沿って多くの土産物店や食堂が有るが何れも開店休業状態である。駐車場脇には伯備線を走っていたデコイチが保存されている。前部のデフにはお召を示す鳳凰が描かれている。日本中の幹線や亜幹線を走っていた名機である。特に電化前の伯備線の新見~米子間の急勾配では3重連が走り、布原信号所付近は撮り鉄の憧れのメッカであった。
白っぽい古い町並みの県道を進み日鉄鉱業の広い採掘場に向かう道に入り、伯備線の下を潜り敷地の入口に着く。場内では各種大型トラックが走り、調整された石灰石がサイズ別に山盛りになって保管されている。採掘場の姿は殆ど変っておらず、多分大きな山の中を縦横にトンネルが掘られ中を掘ってベルコンでこちらに運んできているのであろう。かつて瀬戸大橋の海中プレパックドコンクリートの粗骨材として、大量に安定して数量が確保出来るこの石を検討したことがある。石灰岩は表面に微粉末が付き、これがモルタルと粗骨材との間の付着を妨げ、コンクリート強度低下の原因となるため見送った経緯があるのを想い出す。
場内には対岸に渡る橋が三つあるのが地形図で分かるが工場内なので調査は諦め駅に向かう。駅は一段高い位置にホームが有り、2面のホームと3線が配置された立派な駅である。かつてはここから採掘場まで線路が引かれ石灰岩が専用の貨車で運ばれていた。その名残の広い構内である。
ホームのベンチでお昼のお握りを食べ暫し待つと先日乗ったのと同じかつてのマリンライナー用の2両編成のワンマンカーがやって来て乗り込む。国鉄最後のJRへの遺産とした電車で大きな窓とオールクロスシートの明るい電車で好きな奴である。
本日の歩行距離:10.5km。再調査した橋の数:10。
総歩行距離:7,730.2km。総再調査橋数:145。
使用した1/25,000地形図:「川面市場」(高梁7号-4)、「井倉」(高梁7号-3)