岡山-2. 高梁川 (その5)平成26年12月14日(日)晴時々曇り

前回の折返し点の伯備線木野山駅に降り立つ。ラッシュの時間を過ぎ、日曜日でもあることもあり、倉敷まではほどほどの乗客が乗っていたが6両編成の車内はガラガラである。新見までの回送も兼ねた状態である。

国道180号を北西に向かうと直ぐに肉谷橋に着く。手前に2車線の新橋、上流側に今や歩道となった旧橋が一段下に並んでいる。5年前にはその状態から×を付けた旧橋はその姿が良くなっている。歩道の無い新橋を補完するためにもう暫くは歩道橋として延命を図ったのかも知れない。

少し勾配を感じる歩道を進み、川がS字に曲がる地点で伯備線は初めて高梁川を渡る。倉敷を出て左岸側を遡行してきた線路が初めて右岸側に向かう。ここから伯備線は本流で13回、一次支流の西川で23回、二次支流の和忠川で7回、同じ一つの流れを計43回も横断する日本一横断架橋の多い線路である。細長い日本を川沿いに横断する代表的な線路である。

image1  01.肉谷橋の旧橋(奥)は歩道橋として補修か

image2 02.伯備線最初の第一高梁川橋梁

線路と平行する国道の橋を渡り、道路からでは橋の状態が分からないので河原に降りる道を下り、両方の橋を診る。国道に戻り、狭い歩道を歩き直ぐに二つ目の鉄道橋となり、再度河原に向かう。第二高梁川橋梁は塗替え塗装が終えたところで、真新しい塗装履歴が桁端部に誇らしげに書かれている。前回が1990年に塗り替えられ、今の2014年に塗替えと25年サイクルでの塗替えである。丁度エエ具合のサイクルじゃのー。

image3  03.第二高梁川橋梁は塗替えお化粧が終わったところ

image4 04.補修塗装履歴も自慢げに

直ぐ上流の秋町橋を対岸の川面町に渡る。川面地区の集落の続く中を通過する道が旧道で、国道はこの集落では拡幅困難なので右岸側の厳しい地形の崖下を通過している。鉄道は屈曲する地形をトンネルで通過して行くが、国道は川に忠実に付き合っている。橋を渡り踏切の手前に川面の北側に連なる小山がかつての山城である地図付きの解説板が建っている。5年前には見かけなかった案内板である。「縄張り」はヤクザの専売特許では無かったのだ。

image5  05.国道は落石覆いの洞門が連続

image6 06.この解説板は前には無かったぞ

旧道を進み川面駅前にやって来ると駅前のタクシー会社の名前が「ピオーネ交通」と変わっている。ピオーネはこの先の新見市の名産ブドウで、市の野球場の名前にもなっている。大きな社名と電話番号が際立つ。直ぐ脇には「山田方谷」の幟もはためき、何かが変わってきている。駅横のトイレも新しくなっている。

image7  07.備中川面駅前のタクシーも社名が変わっている

image8 08.方谷の幟が立っている

押野集落を過ぎると道は踏切を渡る。川はこれまでの大きな曲がりから小さな屈曲の連続となる。川幅が狭くなった所に「田井橋」が「私が高梁川の女王よ!」と言って眼前に迫る。戦前に襲った室戸台風で高梁川の橋はことごとく流され、一連のユニークで長径間の橋が架設された。この橋は県の土木遺産であるのは勿論、土木学会の遺産にもなっている。それにしても高梁川には土木遺産の橋が多い。

image9  09.押野踏切でエンストしたら押すのだ

image10 10.高梁川の女王「田井橋」はランガートラス橋

道路は橋の直前で直角に曲がり橋に入る。路面から見上げると見事な幾何学模様が整然と並んで見える。橋の形式は「ランガートラス」で下路橋であるポニートラスを補強する形でアーチから垂直材がトラスに繋がっている。今では設計も架設も困難では無いが、戦前にこれだけの橋が架設できたのはたいしたものである。対岸は旧高倉町の田井地区で橋際には地元が建てた橋の解説板も有る。これも前回には無かった物である。

image11  11.この橋は当然土木学会遺産だ

image12 12.幾何学模様が整然と並ぶ

image13 13.地元も称える橋は珍しい

民家の連なる道を進むと大きな民家の隅に郵便ポストが有り、建物を良く見ると「備中高倉簡易郵便局」と書かれた薄くなった文字の看板が掲げられている。へー郵便局だったんだ!今まで数多く郵便局を見て来たがこのミニ局はユニークである。今日は日曜日で残念ながら中を見られない。

image14 14.これでも郵便局ですぞ

三番目の鉄橋に来ると上り普通電車がやって来たのでカシャ。乗って来た3両×2の6両編成の電車を新見で解結した3両編成の電車のようだ。

image15 01.第4高梁川橋梁を各停が走る

緩い坂道を登ると道は国道と一緒になる。ここからは狭い渓谷が連続する。左岸側は伯備線、右岸側は国道と棲み分けで上流に向かっている。大きく道がカーブする途中で県道85号と「河戸川」が合流してくる。この県道を登って行けばベンガラと八墓村のロケ地で有名な吹屋に着く。河戸川に架かる橋の手前にはこの川の上流地区の観光案内図が建っている。橋を渡ったところには横長の今は高梁市となった旧高倉村の案内図も建っている。南北が逆になっているので理解するには頭の中で翻訳してやる必要がある。

image16  02.ここを左折すればベンガラの吹屋に行ける

image17 03.広い高梁市の中央部の観光案内図

image18 04.高梁市の旧高倉村の案内図

山裾を廻り込んだ先に国道の直ぐ横に道と並行に参道がある御峰神社が有る。普通は道から直角に参道が山に延びているのだが、ここはその余地が無いので形上参道らしきものを拵えている。

image19 05.御峰神社は国道と平行に参道が

大型車が頻繁に通る国道の山側の歩道を寒さに負けずに歩いていると少しずつ身体が温かくなってくる。入江の国道とミニ集落を結ぶ入江橋とその先の線路と家々は鉄道模型のジオラマに似合う組み合わせである。

image20 06.入江橋と入江集落は模型に合う

もう一度山裾を廻り込むと方谷駅に向かう県道197号と中井橋が見えてくる。橋は2径間の下路ポニートラスである。こちらは川の真ん中に橋脚を建て、短い径間で無理をしていない。国道から橋を越えて駅まで200mほどであるがこれでもれっきとした県道で「方谷停車場線」である。旧国鉄の大概の駅前と国道、県道との間の道は県道と認定され、距離に係わらずである。行くな県道であるが、今日はここまでなので橋を越えて行くぞ。

image21  07.中井橋は2径間のポニートラス

image22 08.わずか200mの長さの道でも県道だぞ

橋を渡った正面の景色が変わっている。郷土の誉、「山田方谷」の旧宅跡の碑と解説板が有るでは無いか。5年前には無かった物を今日は色々と見せてくれる。

image23 09.5年前には無かった方谷の碑と解説

橋際の三叉路を右に曲がると直ぐに方谷駅である。全国の旧国鉄駅名で唯一実在の人物の名前を冠した駅である。公共性の高い国鉄駅には個人名を冠するのはご法度であったが、その人徳が駅名採用になったのであろう。駅舎は美袋駅と同様に文化財となっている。隣のトイレも新しい建物に変わり水洗トイレになっている。1日の乗降客数が20人に満たない駅なのにである。

image24  10.方谷駅は全国唯一の人名の駅

image25 11.駅名などの謂われの解説

列車まで20分ほど有るので部屋で待つことにする。駅舎の扉は木製の吊り下げ式で、今は無い高校の校舎の教室の扉と同じ形式で懐かしい。昭和の初めごろにこの方式が流行ったのだろう。

綺麗な白猫が待合室に入って来てしばしとどまっている。和歌山電鉄のタマ駅長は全国的に有名になったが、こちらは非常勤のようである。猫の上方にはNHKの大河ドラマに山田方谷を取り上げる運動のポスターが貼ってある。吉田松陰の妹が主人公になれるのならこちらも脈が有るかも知れない。

image26  12.白猫と一緒に電車を待つ

image27 14.山田方谷を大河ドラマに取り上げよう

image28 13.高校の教室と同じ釣り下げ式扉

電車接近時刻になりホームに上がると山側に名残の柿の木が2本たわわに実を付けている。寒風吹く今となればこのまま干し柿になってしまいそうだ。だれか早く食べてやってくれー。やって来た電車は2両編成のワンマンカーで、2名の乗車である。

image29 15.このまま干し柿になってまうよー

本日の歩行距離:11.2km。再調査した橋の数:12。

総歩行距離:7,719.7km。総再調査橋数135。

使用した1/25,000地形図:「高梁」(高梁8号-3)、「川面市場」(高梁7号-4)