大阪-1. 淀 川(その1)平成25年10月21日(火)晴

久しぶりに大阪の川に向かう。大本命の淀川本流の河口近くの阪神難波線の福駅に降り立つ。5月に安威川を一緒に歩いた竹馬の友と再会し、河口のゼロキロ地点を目指し西に向かう。国道43号を横断し大阪らしい文化アパートの建ち並ぶ道を進むと、市立福小学校の校庭が現れ今日は運動会の日のようである。縁起の良い地名の福に来た。

01.今日は福小学校の運動会

堤防にぶち当たった所で堤防の上の道を行くが、ゼロキロと思われる地点にはそれらしき物は見えない。丁度河川管理巡回委託の車が来たので所在を尋ねると、「この先の公園の中に有ると聞いています」とのたもう。予定していた地点よりも更に1kmほど先で本当の河口にあるのだろう。整備状態の悪い河川敷内の道を行くとそれらしき公園が突端に見える。矢倉緑地として整備された公園である。いくら探してもゼロキロポストは見当たらず、これぞゼロである。
突端は右から神崎川が合流し、左手の彼方には舞洲の埋め立て地とそこに建設された清掃工場のユニークな煙突が見える。この工場はオーストリアの有名な建築家がデザインした物で、同じ作品を舞洲が埋められる前にウイーンで見たことがあり、まさかこの大阪に同じ作品に巡り会うとは思わなかった。西の前面には海上を阪神高速の湾岸線が川を無視して横断している。これでは川と海との境界がはっきりとせんではないか!

02.淀川河口の矢倉緑地の解説

03.舞洲の清掃工場の煙突は目立つ

04.海上を走る阪神高速湾岸線

在るべき物が無い空しさを胸に折返し、ゼロから遡行を始める。左岸側には高層ビルが数多く見え、さすが日本第二の都市である。この西淀川区内の淀川の河川敷内には大きな川によく有る遊歩道が無い。関西一の川にしてはお粗末極まりない。今まで歩いて来た多くの一級河川には遊歩道とキロポストが在ったがここにはなんちゃ無い。区民よ怒れ!対岸(左岸)の此花区、福島区には有るのだろうか?河口部は昔から工場地帯で住民は二の次だったのだろう。川は洪水防止、水資源の活用そして近隣住民の癒しの場所である。
東に進んで来ると完成真近かの阿倍野ハルカスが遥か彼方に少し霞んで見える。上町台地だからこそ300mのビルが建てられたのだろう。

05.遥か彼方に霞むハルカス

最初の橋は国道43号(第二阪神国道)の新伝法大橋で、直ぐ上流に昔から有った伝法大橋が続く。旧橋ではネズミ取りの真っ最中で、新橋の下の空間に違反車の引き込みと調書作成をしていた。若者が大声で警官にわめき散らしている。警官は馬耳東風と黙々と調書を作成している。
旧橋の袂を横断すると直ぐに阪神難波線の伝法鉄橋となる。他の橋は堤防の上を通り過ぎるが、この伝法鉄橋と伝法大橋は昔のままの高さで、堤防の方が高いため防潮扉と土嚢が設置されている。この難波線はかつては西大阪線と称し、長らく千鳥橋が終点の盲腸線であった。その後西九条まで延伸され、近年難波まで通じ近鉄奈良線と直通運転をしている。小学校5年で習った大阪の交通地理に延伸計画が有ったのを想い出す。阪神電鉄は営業距離が短く、駅勢人口も頭打ちなので先ず山陽電鉄とそして今近鉄と手を組んだ。地下鉄を介さない3社の相互乗り入れは全国でここだけである。丁度近鉄電車がやって来たのでカシャ。阪神電車の普通車が4両に対し、近鉄奈良線は8両。これが答えだ。

06.阪神難波線淀川鉄橋の防潮扉

07.難波線を走る近鉄電車

河川敷に遊歩道が無いので車がひっきりなしに通る1車線の堤防の上の道を進む。福町から姫島地区に入ると河川敷が少し広くなり、お粗末ながら道も有るので土手から河川敷内に入る。阪神高速神戸線を過ぎると直ぐに阪神本線が続く。阪神本線は嵩上され昔の面影は無い。丁度タイガースファンには悪評のライバルのシンボルカラーを纏ったオレンジ胴車がやって来たのでカシャ。

08.阪神本線淀川鉄橋を走る巨人カラーの電車

かつて小学生の時に自転車で何度も梅新から尼崎まで配達に通った国道2号線の淀川大橋にやって来る。橋は昔のままであるが、野田阪神から東神戸まで走っていた阪神国道線は今や遠い昔の思い出である。冬の北西の季節風が吹く時は長いこの橋を越えるのは大変であった。ここを越えた所からの市街地方向の写真は評判が良いと竹馬が言うので写真を撮っておく、カシャ。それにしても高層ビルが増えたナー。我が故郷は高層ビルの走りで今はビルに埋もれてしまった。

09.大阪も超高層ビルが増えたナー

姫里から花川と来ると河川敷内はやっと他の川並みの状態になってきた。工場地帯と住宅地帯との差が歴然としている。土手の下に少しずつ色を変えた住宅が並んでいる。なかなか面白いので写真に撮っておく。それにしても土手下の方が右側の水面よりも低く見える。土手の上は3階建ての家の屋根の高さに有る。

10.漫画チックな佇まいの家にカシャ

3本目の阪神高速池田線を越えると今度は東海道線の下淀川橋梁である。冬の季節風の強い時は、福知山線の汽車が橋を通過する時は大きなゴーと言う音が東に500m余り離れた高校まで聞こえてきた。今は軽い電車なので音は軽減されただろう。

11.JR東海道線下淀川鉄橋は複々線

やっと1級河川らしくなった河川敷を歩いているとポツンと小さな石柱が立っている。近づいて見てみるとなんと6.0kmのキロポストである。やっと6キロも離れた所に1本だけ鎮座している。6キロ下流はあの公園である。
やがて母校の近くに来たのと昼を摂るため川を離れ、新十三大橋を診てから土手を降りる。昼食後母校に寄り3月に予定している講演の事前資料を同窓会館の事務局に持って行く。丁度事務長で1期上の柔道部の先輩が在席されていたので館内を案内してもらう。森重久弥、手塚治虫氏などそうそうたるメンバーの記念の品を見て土手に戻る。途中校舎を見ると昔の建物とは180度違う、まるで幼稚園のような建物にこれが高校かと情けなくなってくる。建築屋は好き勝手なことが出来るようだ。

12.やっと見つけたキロポストは6.0キロ

13.母校は堤防から離れて校舎が建つ

かつての姿を留める十三大橋を潜り、直ぐの阪急の3複線の橋も潜る。東風が強いとこちらの電車の音が良く聞こえてきたものである。土手の下に「淀川サポート制度」の立て看板がひっそりと建っている。淀川は遅れてるー。ここまで来ないと無いのだ。吉野川は河口から直ぐに500mほどの距離間隔で異なるサポータの名が入った看板が立っていた。

14.阪急は堂々の3複線

15.淀川にもサポート制度が有ったが小さい

川幅一杯に水面が広がっていた川が、水面と河川敷が同じ広さとなると新御堂筋と出会う。北行き道路の橋と地下鉄を挟んだ南行きの橋の構造が異なる。同じ時に上下線とも開通したはずなのに橋のタイプが異なる理由を竹馬と議論し、本日の遡行はここまでとして阪急京都線南方駅に向かう。十三、三ノ宮、姫路、相生と乗り継ぎ帰路につく。

本日の歩行距離:12.8km。調査した橋の数:13。
総歩行距離:6,412.7km。総調査橋数:10,169。
使用した1/25,000地形図:「大阪北西部」(京都及大阪12号-2)