高知-9. 物部川(第144回)平成29年2月28日(火)快晴
朝は冬の寒さであるが昼間は早春の気持の良い天候に足が土佐に行こうと言う。いつもの南風1号に乗り土佐山田駅で大栃行きJRバスに乗る。南風の車掌に「土佐山田駅での乗換え案内にどうして大栃行きJRバスの案内をしないの?バスは南風到着に合わせたダイヤだよ。同じJR四国同士なのに水臭いねー」と一言言っておいて下車する。もう何十回も乗っているのだからJR四国のためにも苦言を言っておく。かつて大歩危・小歩危の車内案内放送で「四国三郎と言われています吉野川は四国の最高峰《石鎚山》から流れ出し・・」と言っていたので、真面目そうな若い車掌に「吉野川は《瓶ケ森》から流れており、石鎚山は仁淀川だよ。石鎚を言いたいのなら石鎚山系の瓶ケ森から・・。天下のJRが嘘を言ってはいけんよ」とうんちくを言うと「分かりました内部で再検討します」と返事が有り、それ以来案内放送が無くなってしまった。
高知県での昨春からのバス会社の合併に伴い発行されだしたバスカードを購入する。これまで2度購入しようとしたが、どの運転手も「あいにく持ち合わせが有りません」と言われここまで現金払いをしていた。JRバスは四国の離れ小島のような位置にあるのでカード販売にやる気が無い。カード名は「DESUKA」という人を喰ったような名前である。先輩カードに良い名前を取られた結果と思う。これまでの山陽、近畿、四国の遡行でカードを購入してきたが、徳島と高知にだけ無く今回高知が参入し、残るは徳島だけになったぞ。阿波には無いでないでがだー。それぞれのカードを並べると写真-01.のようになる。
10時17分終点の大栃駅に到着。これで「おおどち」と読む。物部川沿いは難読、へそ曲がり読みの地名が多い。駅は壁一面が土派手なペイント絵で埋まっている。今日もここから逆遡行で歩くことにした。
目の前には永瀬ダムが造ったダム湖の青い色の湖面が広がる。ここ大栃には東から本流の物部川が、北北東からは支流の「上韮生川」が、南からはこれも支流の「舞川」が合流し、その合流点の西の両岸が最も狭まった所、ベストポジションに建設されている。
東側の湖岸の道を北に進むと「上韮生川」に架かる「韮生川橋」が見える。彼方には雪が残ったように見える山(源流の「白髭山(H=1,769m)」のようだ)が青空の彼方に見える。橋の手前に白い2本の線が湖面上を横断している。近づいて見ると水道管らしき管をケーブルに直接取り付けた構造物で、これを橋と言うのは控えておく。
県道217号の吊橋の韮生橋の床板はこれもオープングレーチィングで、片方の端っこ部分は縞鋼板の歩道にしている。下が丸見えの歩道を怖がる人がいるので車道とは違う床組にしたようだ。橋を渡り北側の右岸を進む。振り返ると本流と上韮生川の谷間が一緒になった地点に湖面が広がる。
車も人も殆ど通らない屈曲した道を進みダムに着く。高さ87mのダムの上の道を歩き対岸に向かう。ダムの上から谷底を覗くと全ての水が発電所に送られているため川は無くなっている。左岸側に県の管理事務所と解説板が有る。トイレも有るので拝借する。ダムは建設省が施行し、県がこれを管理している。発電と洪水調節を主目的にしたダムで下流に有った杉田ダム、吉野ダムはこの永瀬ダムの子分達であることが分かる。
左岸側の山中の道は大きく曲がり南に向かう。やがて対岸の県道との間の広い谷間を一跨ぎに越える「新神賀橋」に着く。この橋は農水省が資金補助した農道橋で谷底から高さは80mぐらいある。道路予算を投入しないこんなに大規模な橋を建設できる別のお金が有るのに驚く。橋際には大きな完成記念碑が鎮座し、その横には対岸の猪野々出身の「吉井勇」の句碑もある。
橋の四隅の親柱の橋軸方向には3段の滝が設置され、横面の一方には大蛇らしき生き物と剣を手にした人が、もう一方には公卿風の衣装をまとった幽霊のような男女がレリーフされている。はたしてこれは何を意味しているのだろうか?解説板が要るきに。
橋を渡り高欄から下を見れば思わず足がすくむ高さで、ダムに堰き止められた水が流れない岩ゴロゴロの河床が見える。瀬戸大橋などのもっと高い橋やケーブルの上を歩いたが、海面までの距離感が感じられないので足はOKだったが、水の無い川はOK牧場とは言い難い。
橋を渡り終わった所の三叉路の案内標識には右「轟の滝」、左「大荒の滝」の滝名が書かれている。帰宅して調べると、先ほどの3段の滝は轟の滝を模した物のようである。対岸から橋を見れば巨大な錆だらけのアーチ橋に見える。錆色の橋を見るとかつて見た放置された荒れた橋だらけのニューヨークを想い出す。
右岸側の谷底から80mほどの高さの木々の間の県道を南西に向かう。本流に注ぐ「日比原川」に架かる橋もアーチ橋で吊材にケーブルを使用しており、この水系の橋はアーチ橋のデパートである。本流との合流点を見るといつの間にか本流にも水が流れている。伏流水が顔を出したのだろう。
谷間は杉と桧の森で花粉症の人が見れば背筋が凍るような景色かも知れないが、当方は心肺はえらいが心配は無い。
やがて清爪地区の段丘の平地が現れる。地区の入口に今が盛りの白梅が青空に映えている。直ぐ近くの公民館の入口には良く手入れされた松が見事な姿で県道に迫り出している。あと竹が有れば目出度いのだが・・。
集落の外れ近くで県道と別れ谷底に降りて行く道に舵を切る。さあー行きは良い良い帰りは辛い、谷底への道だ。谷底が少し広がっているので橋は一般的な桁橋で済む。途中に古い吊橋が木々の間に見え隠れするが、誰も利用しているようには見えないので無視して坂道を下る。
水面が近いごく普通の橋を渡り左岸側の狭い平地を進む。対岸の北側を見ると先ほど歩いた県道217号が大きく崩壊し、斜面に有った木とガードレールが谷に落ちている。地山側の法面が崩れそのしわ寄せが貼り付け盛土にも及び崩壊したように見える。谷底に降りたのは正解であった。道路崩壊は淀川上流の瀬田川以来の光景である。
国道195号までの高低差80mをゆっくりと歩き登る。歩幅40cmほどでこまめに進み最後は30cmに落として進む。歳は取りたくないねー。車の行きかう国道に入ると直ぐに大きな送水管が2本国道の上から斜めに現れ、道の下を潜り川近くの発電所に延びている。永瀬ダムの水がここに送られて来たのだ。発電出力2万2千キロのなかなかの出力である。白石川に架かる国道の橋も深い谷間を一気に越えている。近くの谷底にも橋がもう一つあるが、止む無くパスする。直ぐに今日の折返し点の「府内」バス停に着く。バスまでの30分をバス停の小屋のベンチに座り休憩する。物部川のこの先の上流部は日帰りでは帰りが遅くなるので1泊を考える必要がある。その答えを見つけるのも遡行の楽しみである。
帰りの先日と同じ南風は4両で空いている。何と先頭車の運転席の後ろ右側の特等席が空いている。久しぶりのかぶりつきで振り子車輛のジェットコースターを楽しむ。
本日の歩行距離:7.5km。調査した橋の数:5。
総歩行距離:9,371.9km。総調査橋数:11,337。
使用した1/25,000地形図:「大栃」(高知2号-2)、「奈呂」(高知2号-4)