高知-9. 物部川(その2)平成29年2月16日(木)快晴
2月とは思えない陽気に気分もウキウキと物部川の遡行に出かける。道の勾配がきびしくなるので今日からは逆遡行の繰り返しとする。今日の南風1号は何時もより乗客が多い。南風が客を土佐に呼び込んでいる。
9時26分土佐山田駅に到着。駅前のJR四国バス大栃線乗り場は吹きさらしの大きな屋根が在るだけだがその屋根の看板の賑やかなこと!沿線にアンパンミュージアムが有り、ここがアンパンマンの本家本元なのでバスもアンパンマンバスにお揃え。9時35分の発車まで暫しJRバスの話をする。JR四国バスの一般路線は2路線のみで、面河川(仁淀川)遡行時などに利用した松山~落出間は間もなく廃止するとの話で「多分こちらの土佐山田~大栃も無くなるだろう」と初老のドライバー氏は語る。かつては仁淀川沿いの高知~松山の特急バスの運転もしていたとのことである。さすがJRで時刻通りに発車!
国道195号を東に進み20分、今日最初の橋の近くの「橋川野」バス停で下車。足元のマンホール蓋を見ればアンパンマンだ。
河岸段丘のダム湖に架かる橋は「香麗橋」。なんとも優雅な名前の橋である。字は違うが同じ音の橋が大阪にも有るぞ。アンパンマン一族が4隅の親柱にテンコ盛りである。アンパンマンの大安売りである。
国道に歩道が無いのをバスから見ていたので橋を渡り対岸(右岸)の県道218号を下流側に向かう。真冬スタイルから早春スタイルに変えたお蔭で汗をかくことも無く狭い車の来ない道をのんびりと歩く。今は香美市となった旧香北町から旧土佐山田町に入る。川の南北に連なる山が寄り添って来た所の狭隘部に「杉田ダム」が有る。これで「すいた」とよむそうだ。それにしても絶好のロケーション地点にダムを建設したものだ。河岸段丘の窪地がダム湖になっている。ダム本体の左岸側(南側)にダム式発電所が有る。
ダム頂部の狭い橋を渡り左岸側に戻る。水門のゲートなどは綺麗に塗装が塗り替えられ軽やかな色調である。
暫し国道の歩道の無い区間を西に進む。直ぐに「かわせみ橋」に向かう道が北に向かっているので国道を離れる。道路は農道のようで橋の高欄にはこの橋の前に有った「釜ヶ淵橋」の建設の由来が紹介されている。今は橋が有るのは当たり前になっているが100年前までは貴重なインフラであった証しである。
橋の四隅の親柱は橋名通りのかわせみのレリーフである。こんな大きな川にもかわせみは居たのだ。橋の反対側から見ると、対岸の桁下にかつての吊橋のコンクリートタワーの残骸が残っている。敢えて残したのか、それとも工費削減でやめたのか分からない。
高い橋の上から下流側を見れば鮮やかな色をした水深の深い淵が見える。解説に有った釜ヶ淵なのだろうか?
国道に戻ると西に向かっていた道が少しずつ南に方向を変える。今まで無かった歩道が現れほっとする。
手元の平成13年度に修正測量された地形図に載っていない新しい橋が有るのを道路地図で見つけ交差点を右折する。100mほど西に在る橋の高欄がぐにゃりと曲がって見える。2車線の道路が国道に繋がる交差点の右折車線とそこへのテーパーを付けるために相当手前から拡幅しているのだ。たいした交通量も無いのに右折車線を長く取りすぎで、その影響が高価な橋にまで及んでいる。設計要領を鵜呑みにした結果だろう。2径間連続の橋の中間橋脚の上流側が広く残っている。橋の反対側を将来拡幅する予定なのだろうか?やっていることが良く分からない不可解な橋である。
再び国道に戻り進むと大きな案内看板が立っている。「夢の温泉」と書かれた日帰り温泉が川の崖の上にあるようだが、歩きの途中なので無視して進む。
やがて小高い丘の上に高層高級マンションのようなモダンな建物群が並ぶ「高知工科大学」が上半分だけ覗かせている。工学系大学で工業大学と称せず工科大とはアメリカ的である。工学部の無い高知県に当初は公設民営大学(上下分離)の私学として開学されたが、今は高知県営大学となっている。本四に在籍し国交省にも在職していたN教授がこの大学で研究、教鞭をとっているので身近に感じる。高知県出身で東大土木科卒、野球部の6大学歴代最多勝利数を誇る岡村さんは2代目学長をされている。かつて児島調査事務所でプレパックドコンクリートの調査実験をしていた頃、国分教授と一緒に来られていたのを想い出す。
大学の横を過ぎると川に大きな堰が有る。大規模な堰で2種類の魚道も整備されている。この堰の右岸側から分水された水は多くの水路に分けられ川の西側の香長平野を潤している。
堰を過ぎると「神母の木」地区に入る。この地名が読めたらたいしたものだが、神母を「いげ」と読むようでバス停にも振り仮名が振られている。
国道は川を渡る「香我美橋」の前後でS字状に屈曲して段丘を下ってくる。ここまで川は段丘の下を溝状に流れていたが、橋から下流は堤防の中を流れる下流の状態になる。こんなにその姿を激変させる川も珍しい。橋の手前にはこの場所にそぐわない「憲法9条を守ろう」なる立て看板が立ったままになっている。
国道を離れ旧街道(土佐中街道)に入り、直ぐに堤防の方に向かう。かつてこの付近に堰が設置されていたようで、その実施者はあの「野中兼山」である。遡行ではこれで3度目でその業績を知る。吉野川上流部と仁淀川下流部での出会いであった。彼の業績に嫉妬した土佐藩の重臣が藩主に讒言を行い失脚、家族は家が断絶するまで幽閉される仕打ちを受けたが、没後兼山は農民から神として敬われた。
川は狭い段丘の底から広々とした平野部で手足を伸ばしているように見える。堤防に最初のキロポストが現れる。暫く南に堤防の上を歩くと対岸の山がこちらに迫り、高水敷が極端に狭くなる。ここも川の急所となるので河床と堤防の補強、改良工事が始まっている。新しい堤防が前の堤防の後側に造られ、古い方は撤去が始まっている。これで川の断面が大きくなる。
今日最後の「町田」橋に来た所で駅前のタクシーに電話をして迎えを頼む。駅の有る町の中心は段丘の上に在り、歩き疲れた足と心肺に坂道が辛いので隠し玉を使った。
帰りの南風はいつもの倍の入りで、丸亀出発時には大入り満員となった。
本日の歩行距離:8.7km。調査した橋の数:6。
総歩行距離:9,358.4km。総調査橋数:11,327。
使用した1/25,000地形図:「美良布」(高知3号-3)、「土佐山田」(高知7号-1)