岡山2-1. 小田川(その4)平成27年6月6日(土)晴
晴天と雨天が交互に現れ今日は晴天白日で土曜日。出かけるのならお得なパスの使える今日でしょう!
9時過ぎに井原駅に着き、駅舎の西側にある「小さなお店」でレンタサイクルを借りる。5年前にはレンタサイクルの有るのを知らずにいたが、三谷駅や小田駅に貸自転車が有るのを見かけここ井原には当然有るでしょうとなった。なんと電動アシストも有り、1日500円とお得である。
駅前の案内絵地図を見ると井原市は平成の合併で北西部の芳井町と北東部の美星町を加えて三ツ星の形になっている。今日は左の角の根元の部分の広島県境まで行く予定である。
時間に縛られないので駅近くのO君の店に向かう。かつて坂出での瀬戸大橋下部工工事で施工管理に従事し、局に提出する書類作成に手腕を発揮してくれた同じ釜の飯を食った仲間である。今は郷里の井原で畳屋などを開業し、井原鉄道を住民の立場でアシストしている。店内には畳の縁に付ける帯状の織物のサンプルとこれを利用したバックが並んでいる。井原のキャラクターである「でんちゅう君」を織り込んだ帯もある。このでんちゅう君は平櫛田中の代表作である「鏡獅子」を元に創作されたユルキャラで、次のユルキャラ選手権では上位に入賞するだろう。
30分ほどお邪魔して小田川に向かう。前回の折返し点の「日芳橋」の次の橋である国道486号の「井原大橋」から開始する。
右岸側の土手の細い道は「井原堤の桜」の並木が続く。桜の樹は大きくは無く両側に隙間なく植えられ若葉のトンネルの中を北西に向かう。「大正橋」、「桜橋」、「新橋」、「昭和橋」とよく有るパターンの名前の橋が続き、国道313号の昭和橋で桜堤は終わる。
昭和橋を渡り国道の広い歩道部を進む。直ぐに橋が数多く有る旧道に入る。旧道の「梶江橋」の下流側の桁の塗装が大きく剝がれたままになっている。瘡蓋のようになっておりどんどん剝がれていきそうだ。
「佐原」地区の道の両側には人家が連なり、料理旅館までも有る。直ぐ北には長い二次支流の「宇戸川」が合流するので物資が集まり集落が発展したのであろう。国道が右岸側から「金比羅橋」で小田川を越え、宇戸川の渓谷に入っていく。当方はこの橋を渡り直ぐに右折し県道9号を北西に向かう。交差点の西側には旧芳井町の役場も有る。
山が迫る渓谷を進むと「天神峡」の入口の県道が大きく曲がる地点でトンネルの工事が行われている。V字型に突き出た形の道の根元を900m余りのトンネルでショートカットするようだ。坑口近くの道の線形が昔のままでせっかく広い所が有るのだから緩やかな線形にして右に曲がるようにしたら良いのにと思いながら天神峡に入る。直ぐに天神峡の観光絵地図が有るが、あちらこちらの渓谷を見て来ているのでここは十両級という所かな。
渓谷の名前の元になった天神さんの前には擬宝珠と赤い欄干を備えた「紅葉橋」が架かっている。旧芳井町地区のマンホールの絵柄にはこの橋と紅葉が入っており、本物と蓋を並べて見よう。
電動自転車の電池の残量が極端に減ってきたので帰りに少し残したくスイッチを切って漕ぐと重い。タイヤを調べると空気圧が低く、スタート時の確認がなされていなかったようだ。この重さでは県境までの往復はとても無理なのでキリの良い「新落合橋」で切り上げ残り少ない電気を少しずつ使用しながら空気入れの有りそうな所を探しながら帰路につく。
岡山県の県境はほぼ全てが分水嶺になっているが、県西部の3か所(河川)だけは隣県(広島県)から流れて来た川が岡山県に入る。4日間かかった小田川はその一つである。
2kmほどやって来た旧芳井町役場の前にJAの車修理所が有るのを見つけ事情を話すと、「空気入れは無いが何とかできるじゃろ」とコンプレッサと器具を繋いで空気を入れてくれた。ここに拾う神有である。これで芳井とする。
帰路は軽くなったペダルを漕ぎ井原市街地を走る。途中のでんちゅう美術館に立ち寄り、玄関とその脇に有る岡倉天心像と中国地方の子守唄の由来をカシャ。でんちゅうは天心を深く尊敬しこの像を創作したのだ。レプリカは福山駅前にも有ったが今はどうなったかな?
本日の走行距離:11.3km×2。再調査した橋の数:16。
総歩行距離:8,140.6km。総再調査橋数:652。
使用した1/25,000地形図:「井原」(岡山及丸亀9号-1)