大阪-01. 神崎川(その2)平成25年4月9日(火)晴れ一時曇り
一昨日に続き神崎川を目指す。折返し点の阪急神崎川駅から左岸の河川敷内のなにわ自転車道を歩く。歩き出して直ぐに国道176号の新三国橋と阪急宝塚線の橋に出会う。かつての宝塚線は川の手前に極端な急カーブが有り、三国駅を通過する電車もそろりそろりと20km程度の速度で橋を渡っていたが、今は線形が改良され橋もPC橋に架け替えられている。河口部から歩き始めて最初のコンクリート橋である。直ぐ上流の三国橋は、かつては並んでいた宝塚線の橋が遠のき寂しげにしている。橋の袂には渡し場跡の記念碑と解説板が建っている。三国橋は明治になってこの川に最初に架けられた本格的な橋で、大阪から池田、能勢に向かう能勢街道の一部であった。阪急宝塚線はこの街道に忠実に沿ってレールが引かれたのであろう。線形の悪さはこのせいかも知れない。
西淀川区から淀川区に入ってくると、これまでの工場群が高層住宅を含む住居地域に変わってくる。自転車道も遊歩道の趣に変わり、平日にもかかわらず多くの老人が歩いている。狭い河川敷の道の傍らには個人が好き勝手に草花を育てている。育てている人はミクロに見れば美しいと感じているのだろうが、数多くの区画にそれぞれが勝手に好きな花々を育てているので、色も形も高さも全く異なるバラバラの混沌とした姿になり、醜悪ですらある。
低くなった堤防の下にはこの川の清掃・美化に川沿いの工場、企業も参加しているPR板が立派な姿をした看板で立っている。さすが大都市は四国の田舎とは違うナー。それにしてもかっこを付けた「大阪アダプト・リバー」なる名称は意味が分からない。
大阪市が大きく北に張り出した十八条地区に来ると、伊能忠敬が当地の測量をし、作成した地図が道の傍らに掲げてある。地図大好き人間としては嬉しい地図である。ここ十八条村を始め、吹田村、上新庄村、加島村などの村名が見える。川は今とは幾分違い、淀川は無い。
対岸が豊中市から吹田市に変わり、榎木橋を過ぎると新御堂筋と北大阪急行線が一緒に川を越える十八条大橋を潜る。市境は大半の地域はこの川を境にしているが、この橋の付近は大阪市が対岸に食い込み、逆に豊中市がこちらに食い込んでいる所もあり、この先の吹田市も大きく食い込んでいる所が有る。かつての川の流れが境界線になっているのだろうが、水道、下水、ゴミ収集、郵便配達など川を挟んでわずかなエリアが存在するのは厄介なことである。お互いにトレードし、交換すればいいのにと第三者は思う。
続いてJR東海道線、梅田貨物線、北方貨物線と4複線が並ぶ上神崎川橋梁を潜る。下神崎川橋梁では△を付けた橋の状態は〇。この橋には様々な種類の電車、列車が通過する見飽きない橋である。北陸特急、関空・紀勢特急、スーパー白兎など色とりどりの列車が通過して行く。
橋を越えると淀川区から東淀川区に入る。それにしても大阪市の区は狭い。新大吹橋なる橋を越えるが、先日の歩きでは大豊橋なる橋が有り、大阪と対岸の市名を一字ずつ採った名前の橋が続く。この辺りまで来ると歩く人の姿も無くなる。
城東貨物線は橋脚は複線分有るが、線路は単線のみで、戦時中に1本が撤去された橋である。この貨物線は東海道線吹田操車場と関西線竜華操車場を繋ぎ、両線を繋ぐ役割を持っていたが、貨物列車縮減で必要が無くなり、南半分の片町線から関西線の間は三セク路線として電車が走る大阪東線に生まれ変わった。北半分も新大阪駅に繋げる予定で間もなくこの橋の付近も工事に懸かるだろう。対岸には見慣れたラッパのマークの製薬工場が建っている。それにしてもこの川は製薬工場のオンパレードである。
阪急千里線の橋を越えると吹田市に入る。国道479号の吹田大橋の交差点付近でマンホールを探すと有る有る。市域が対岸に食い込むのも有り難い。絵柄の中心には万博公園にある太陽の塔が鎮座している。これで吹田市と直ぐ分かる。
斜張橋の高浜橋の先で神崎川に安威川が合流している。左側から合流する親の三倍も川幅のある川が安威川で、親は用水路のように肩身が狭い川である。神崎川と名付けるよりも安威川と付けるべき川のようだ。橋の袂には資生堂の工場らしからぬ姿の建物が建っている。さすが化粧品の工場である。製薬、化粧品と付加価値の高い製品を作る工場が続き、この川はなかなかの物である。
大阪市は神崎川を越え安威川までその区域を広げている。相川、井高野、江口地域である。高校の校区内なので聞き覚えのある町名である。合流部から淀川までの間は無理やり繋げたと推定する。地下鉄今里筋線が下を潜る西江口橋を過ぎると東海道新幹線が斜めに川を渡っている。岡山、広島、兵庫と山陽新幹線を多く潜ってきたが、とうとう東海道新幹線にまでやって来た。
江口橋を越えると対岸は摂津市に変わる。上流には巨大な清掃工場が聳えている。その姿は余計なアクセサリーの無い端正な好ましい姿である。自分もウイーンで見たが満艦飾のウイーンの清掃工場を真似た工場が大阪の臨海部に建てられたが、この姿の方が清掃工場にふさわしい。今まで見て来た多くの清掃工場ではぴか一である。
直ぐに神崎川は終わりとなり、淀川から水を引き込む水門には暇な人が釣り糸を垂れている。堤防の反対側に廻れば見過ごしてしまうほどの水門で、まるで農業用水の取水口のように見える。
淀川が見える公園の散り始めた桜の下で昼のお握りを5分で食べ、今年の名残の桜を見て帰路につく。今度は右岸の道を歩き、江口橋の大阪市営バスの停留所に向かう。摂津市のマンホールの図柄はつまらないのでパスしてバスに乗り、上新庄駅で降り阪急京都線に乗り変える。今回は神崎川の左岸だけを遡行したのだが、サガンがお好きなようで。
阪急淡路駅は立体化工事が始まっている。X状に交差し、相互に乗り入れる駅の立体化は大変であろう。近鉄布施駅のような姿になるのだろう。
本日の歩行距離:14.7km。調査した橋の数:27。
総歩行距離:5,814.0km。総調査橋数:9,370。
使用した1/25,000地形図:「大阪西北部」(京都及大阪12号-2)、「大阪東北部」(京都及大阪8号-4)、「吹田」(京都及大阪8号-3)