兵庫-9.猪名川(その2) 平成24年12月17日(月)曇り一時雨
先日の折返し点の桑津橋に向かうべく3時間電車に揺られ伊丹駅に降り立つ。駅の東に鎮座するイオンを越え、橋から遡行に出発。直ぐに川西市に入り、左岸側の堤防の管理用道路を対岸の大阪国際空港を見ながら北に歩く。この辺りは川が府県境になっている。河川敷には尼崎、伊丹には無かったスポーツ施設の広場が見え、河川敷の整備が進んでいる。5段階評価の3というところで、尼と伊丹は1である。対岸の池田は4か?
今朝も比較的暖かく、彼方の管制塔は霞んでいる。着陸が続いた後、ジェット機のエンジンの音が響いてくると機体が目の前に現れ離陸していく。滑走路の延長上の真下にいると迫力がある。遡行を始めてからどういう訳か空港の傍を歩くことが多い。岡山、高松、広島、徳島、そしてこの大阪と。次は松山かな。
西国街道である国道171号の軍行橋、中国道と国道176号が仲良く並んだ猪名川大橋を調べ快調に進む。それにしても軍行橋とは戦前に戻ったような感覚になる。
対岸に現れた阪神高速11号線が川を縦断するかのように巨大な橋がこちらに渡って来る。橋脚上には橋桁を繋ぐ巨大な落橋防止装置が目につく。本当は斜張橋にしたかったのであろうが、空港に近いため高さ制限から塔が建てられず断念したのであろう。北の方向には大阪平野に突き出たようなさつき山が大きく見えてくる。
川の至る所にNPO法人の啓蒙看板が建ち、川の美化、清掃を謳っている。阪急宝塚線を潜り直ぐの呉服(くれは)橋に着き対岸の池田市に渡る。呉服橋の名前は、池田の古名「呉服里」から摂ったとの解説が橋際に有る。親柱には川西市の市花のリンドウの絵がケースに入れられている。このタイプに初めてお目に掛かる。
さつき山の西麓の国道173号を進むと、阪高のコンクリート斜張橋が再度川を斜めに横切る。今度は高さ制限が無いので晴れて斜張橋が造れたのだろう。呉服橋付近では平凡な図柄のマンホールであったが、さつき山を越えると花と鳥が描かれた名無しの蓋が現れる。「無礼者、名を名乗れ!」
阪高の終端のランプウエイに来るとコンビニまでの距離を示す看板が目につく。距離は711mと有り、なんとも厳格な表示である。直ぐの交差点の角にレストランが有ったので昼とする。遡行では珍しいレストランで豪勢なオムライスの大盛りを堪能する。
箕面の山奥から流れてくる「余野川」の最初の橋を渡り暫く国道を進むと、再び低い山が近づき、北に向かうこの山波が府県境になっている。坂道を登ると能勢電が大きなトラス橋でこちらに渡り、直ぐに国道の下のトンネルに入る。能勢電多田駅付近で川は北から西に方向を変え、当方も国道に別れを告げ、川沿いの狭い県道に入る。
高校のホームページ投稿でお世話になっているSさんはこの多田駅近くにお住いのはずである。川西市のマンホールが見え、市の花であるリンドウが描かれている。
道幅が複雑に変化する県道らしくない道を西に向かうとこんもりと森に覆われた多田神社が現れる。先ず東門が見え、100mほど進むと朱塗りの橋と南門への石段が見える。小高い丘に登る石段と神社名の入った石柱が高い社格を感じさせてくれる。子供の頃に阪急電車の車内の初もうで案内のビラに、八坂神社、湊川神社、清荒神などと並んで多田神社の名前が載っていたのを想い出す。ここに立ち寄らずんば先に進めないので石段を登る。広い敷地には多くの重要文化財の建物がある。神社は清和源氏発祥の地であるここ多田に清和源氏一族を祀った霊廟で、元々は多田院と称するお寺であったが明治の神仏分離で神社となったようである。正面の拝殿は檜皮葺の立派な建物で、徳川4代将軍が再建した。拝殿入口の上には清和源氏の紋である笹リンドウと徳川の紋である葵が交互にたなびき、両脇の提灯にも並列して描かれ、徳川は源氏の血統の武門の大将であるぞと正当性を謳っている。これで市の花がリンドウである理由が分かった。
西門を抜け遡行を再開し、多田大橋を渡り橋近くのバス停に着くと雨が降り出す。予定ではあと2kmほど先まで歩くつもりであったが、丁度川西池田駅行きの阪急バスが15分ほど待てば来るのでここを潮時にする。懐かしい目立つ車体色の阪急バスに乗り駅に向かう。それにしても阪急は「川西能勢口」、JRは「川西池田」と川西は他の名前とセットにしないと通用しないのかな?
本日の歩行距離:12.5km。調査した橋の数:17。
総歩行距離:5,386.5km。総調査橋数:8,795。
使用した1/25,000地形図:「伊丹」(京都及大阪12号-1)、「広根」(京都及大阪11号-2)