兵庫-6.加古川(その3) 平成24年4月15日(日)晴一時曇り

今日も晴天、桜に誘われ遡行に出発。先日の折返し点の加古川線の青野ヶ原駅に向かう途中、粟生駅で対向車を待っている間に隣に北条鉄道のパープル色の列車が中間改札の無いホームに停車していたのでカシャ。3線あった枝線の生き残りはここだけ。情勢は厳しいが頑張ってくれよ!

 01.粟生駅で加古川線電車を待つ北条鉄道

8時52分青野ヶ原駅に降りたち右岸側を上流に向かう。線路と道と川が接近した所で小野市から旧滝野町に入る。滝野町と対岸の社町は平成の合併で馴染みのない郡名を冠した加東市となった。加古川線の次の駅名は「社町」となっているが、所在地は旧滝野町で社町は東の川向に有る。誇大広告の典型例だ。せめて言うならば「社町口」に。同じ例は直ぐ近くに「篠山口」があるヨ。
直ぐに滝野町のマンホールを見つける。図柄に川面跳ねる魚と「アユッキー」なる魚のキャラクターが入っている。どうやら鮎のキャラのようだが、ナマズやムツゴロウのような顔で、清流の女王とは似ても似つかぬキャラで、印象が悪い。

 02.旧滝野町は鮎のキャラクター?

川沿いに大小二つの鳥居が並んだ住吉神社が目につき立ち寄る。石造りの鳥居は相当古い物のようだ。中国道の下を潜り西の彼方を見ると、播磨中央公園の丘の上の桜の塊が満開で、今日は日曜日なので多くの花見客が押し掛けているだろう。

 03.滝野町の住吉神社の鳥居は大小二連

 04.播磨中央公園の丘は桜が満開

滝野駅近くの街中に差しかかると、桜と春の草花に囲まれた阿弥陀堂があった。極楽西方浄土に導かれる阿弥陀さまも満足の雰囲気である。

 05.下滝野の阿弥陀堂は花に囲まれ

滝野大橋を渡った左岸側の道は通学路でもあることから車道と歩道がペイントではっきりと区分され、歩道の存在を明確にドライバーに知らせている。通る車もそろりそろりと通過して行く。
地形図に闘竜灘なる名勝が書かれていたので、これを見るべく近くの闘竜灘橋から再度右岸側に向かい橋上から下流を見ると、川一面に岩塊が広がり岩の間を水が流れている。直ぐ傍にはこの名勝を見ることの出来る旅館もあった。

 06.歩道がくっきりと、車よ心して通れよ

 07.闘竜灘と岩礁

再び右岸側の土手と県道を歩き、西脇市に入ると国と県との川の管理境の標識が目立たない所にひっそりと建っていた。西脇は播州平野の北端に位置し、揖保川の山崎、千種川の佐用と同じような地政上の位置にある。ここは東経135度、北緯35度が通り、ジャストの経緯度が通ることから日本のヘソと称している。マンホールにもこれが織り込まれていた。

 08.滝野町と西脇市境が管理境

 09.西脇市は日本のヘソをPR

板波橋でまたまた左岸に渡り河川改修で広くなった川と架け替えられた橋を見ながら北進する。本流と大きな支流の杉原川が合流するもっとも川幅が広い所を加古川線が斜めに横断している。集落が建て混んでいるとはいえなんとも贅沢な橋を架けたものだ。こちらも架け替えが終わった新品の「重春橋」を今日の折り返してとして西脇市駅に向かう。橋の親柱にも日本地図と経緯度線を描き日本のヘソの妥当性をPRしている。反対側にはここが織物の町であることを詳細な絵図でPRしていた。
西脇市駅は元の名前は「野村」駅であったが、鍛冶屋支線の廃止に伴い支線にあった西脇駅も廃止となり、西脇の名を残すためこちらに名前を引越しさせたものである。こちらも正確に言うならば「西脇口」となるが愚痴を言うのはやめよう。

 10.親柱にも日本のヘソを示す

 11.織物の町を忠実な図で示している

今日の歩行距離:13.4km。調査した橋の数:12。
累計歩行距離:1,467.7km。累計調査橋数:2,087。
使用した1/25,000地形図:「社」(姫路3号-2)、「西脇」(姫路3号-1)