兵庫-6.加古川(その4) 平成24年4月28日(土)快晴

黄金週間に入りジパング倶楽部の切符は利用できないので、再び日帰りの加古川遡行を再開する。いつもの電車で出かけ西脇市駅で谷川行きの単行電車に乗り換える。

 01.西脇市駅から単行の谷上行きに乗り換え

西脇市までは概ね1時間に1本の電車があるが、これから先日中は3時間に1本と極端に少なくなる超閑散路線である。帰りの適当な電車が無いため今日は船町口から川を下り、前回の折返し点の西脇まで歩くことにした。超閑散路線に最新の電車というアンバランスな線路を進む。
5つ目の船町口駅は民家の玄関横に隣接している。こんなに民家に近い駅は初めてである。駅前で早速マンホールを見つけカシャ。大輪の菊が咲いている。ここも平成の合併で西脇市に吸収されてしまったが、庄の付いた珍しい町である。

 02.船町口駅は民家の玄関横に

 03.黒田庄町は大輪の菊

駅から対岸(右岸)の船町に渡る船町橋の袂には渡し舟があったことを示す木製の碑が建っている。ここから北に1kmも行けば本流と篠山川との合流点が有り、そこから先は丹波国となり、行って見たい気持ちが起こるが時間が無いので次回に持ち越すことにする。

 04.船町の渡し跡に船町橋が

今日は先日の吉野川での靴の選択を間違えたので、夏バージョンのドクターサンダルにしたので足元も軽く、靴と足の一体感が強まる。右岸の堤防の上は石ころの多い細い道で、サンダルでは石が隙間に入るため下の国道175号を歩くことにする。時折歩道が無くなるがおおむね歩道があり安心して歩ける。京都での歩行者がはねられる事故から事故が続いており他人事では無い。通学時間帯に狭い道に車を入れさせる交通政策がおかしく、警察にも事故責任の一端がある。交通事故に対する刑罰が軽すぎ、今回の事故は起こるべくして起こったもので未必の殺意もありうる。
畑瀬橋から先は歩道が無さそうなので橋を渡り対岸に行くと、土手の上にかつての橋の写真と何度も洪水で橋が流された解説板が有り、興味深く読み、見る。写真と同じ景色が見える位置まで橋に戻って写真を撮る。

 05.大正11年の畑瀬木橋の復旧工事の写真

 06.現在の畑瀬橋から上流を見る

左岸の土手下の県道を南下する。この辺りの川と加古川線、南北の道路は東経135度の線付近を通っており、この線で地形図が分かれるため二枚の地図を交互に見ながらの歩きとなる。線路は真っ直ぐ南下しているが道路は丘を大きく迂回し大回りをさせられ、なんとか「日本のヘソ公園駅」に着く。昔は無かった駅であるがJRでは珍しいユニークな名前の駅なので立ち寄った。直ぐ近くにここが東経135度、北緯35度地点の日本のヘソであることを示す碑と解説板がある。戦前の陸軍測量部が設けた碑で、陸軍も味なことをやるものだ。

 07.加古川線日本のへそ公園駅

 08.日本のヘソ地説明板と碑

北緯35度線上に有るその名も「緯度橋」を渡り再度右岸を歩く。遠回りと寄り道をしたので歩く速度を上げ、西脇市駅を目指す。周りの山々は広葉樹の濃い緑と落葉樹の若草色のコントラストが明確で春真っ盛り。

 09.濃淡の緑の区別が鮮明な山

やがて前回折り返した重春橋の右岸側を通り過ぎ街中に入る。町を縦貫する支流の杉原川に架かる西脇大橋を渡ると、橋際に平成16年の台風23号による大雨被害の詳しい状況と復旧の様子を表した記念碑があった。このような形の災害記念碑も珍しい。

 10.平成16年の台風被害の状況と復旧の誓い

駅に15分前に無事到着し、待合室でお握りを食べ電車に乗り込み帰路につく。

 11.加古川線の今は亡き駅達の入場券

(全て昭和59年2月11日)
今日の歩行距離:14.5km。調査した橋の数:9。
累計歩行距離:1,542.2km。累計調査橋数:2,127。
使用した1/25,000地形図:「西脇」(姫路3号-1)、「中村町」(姫路2号-2)、「比延」(京都及大阪15号-3)、「谷川」(京都及大阪14号-4)