徳島-4. 那賀川(その6) 平成26年2月4日(火)晴れのち曇り
昨夜は節分で夕食に恵方巻きが出され久しぶりに節分らしさを味わった。朝、1階の食堂に降りて来ると豆が至る所に撒かれ足の踏み場もない状態であった。豆まきは子供が小さい時にやったもので遥か遠くの出来事である。8時過ぎに宿を出て国道沿いの教えられた万屋に昼の食べ物をと立ち寄るが、店は閉まったままである。何時開くか分からないのでそのまま遡行を開始する。この先店が無ければ昼抜きになる。
ダム湖岸の道は厳しい地形に作られ、断崖絶壁の所がいたる所にある。絶壁の下には四電の発電所が設けられ、この先の小見野々ダムから送られた水がここに送られ、長安口貯水池に流れ落ちる。この貯水池を利用してこの発電所はミニ揚水発電所になっている。
国道が右岸から左岸に渡る橋から上流側を見れば、ダム湖が尽きかけ人工物の無い見事な渓谷が現れる。直ぐにダムに伴う国管理区間が終わり再び県管理区間となる。今日は昨日から一転、寒さが戻り空も透き通っている。
渓谷が少し広がると市宇地区となり、まとまった家々が山腹に展開している。南側の対岸の名前は蔭平。ここにも蔭の入った地名が有る。
道は少しずつ勾配がきつくなり、水面が徐々に下に離れていく。次のダムに備えての勾配である。国道195号は改良が進み、ここまで大半の区間が歩道は無いが2車線となっている。高知から徳島県の小松島、阿南に向かうにはこの道が最短距離となる。
ダムが見えないまま短いトンネルを越えると旧上那賀町から旧木頭村に入る。これで那賀町の4番目の旧町村である。出口の三叉路には木頭村の地名柱がそのまま残っている。せめてもの抵抗なのだろう。三叉路を左折してダムの背後に向かう。ダムは四国には珍しいアーチダムで四電が管理しており、ダムサイトにはフェンスが張られ近づけない。
再び湖岸沿いの道となり、タイムスリップした感覚になる。冷えるせいか今日も腹具合がよろしくない。湖岸沿いにはトイレは勿論人家もなんちゃ無い!長―い湖岸の道を脂汗をかきながら1時間ほどひたすら歩いていると、数軒の家が散在する所に「老人憩の家」なる建物が国道沿いに現れる。神は見放さなかった。改装工事中の建物に入りトイレを覗くとなんとウオシュレット付トイレである。十分憩わせてもらいすっきりする。ここの地名は「木頭助」である。助かった!
西からの流れが南からの流れとなるとダム湖も再び尽き渓谷となる。この先1kmほどは「歩危峡(ほききょう)」と言うらしい。歩くと危険と言われても困るよ。「南無妙法蓮華経」と法華経を唱えて難所を通過する。渓谷は急峻な谷間なのになぜか河原が曲がりくねった水面と対をなしている。河原ありの渓谷は非常に珍しい。
歩危峡が過ぎると渓谷が広がり、木頭村の中心出原地区に入る。集落を進んで行くとなんと小奇麗な建物が見え、食事と喫茶をやっている。これで2度助けられた。道路と渓谷の状況から食べ物屋は諦めていたが天佑である。カレーとコーヒーの遡行では贅沢な昼食を摂り更に先に向かう。
午後は風が強くなり時々砂嵐に襲われる。出原、和無田とまとまった集落を過ぎ白久バス停で丁度川口行きバスがやって来る時刻となり、バスに乗り今宵の宿のある出原に戻る。国道沿いの宿は木造2階建ての立派な佇まいの宿である。かつての道路状況の悪い、交通事情の悪い時代はこのような宿が数多く有り、宿泊者も多かったのだろう。昨日の宿とこの宿が有ったお蔭で那賀川の連続した遡行がリーズナブルに出来る。
本日の歩行距離:17.5km。調査した橋の数:10。
総歩行距離:6,832.4km。総調査橋数:10,480。
使用した1/25,000地形図:「長安口貯水池」(剣山10号-3)、「阿波出原」(剣山14号-1)
徳島-4. 那賀川(その7)平成26年2月5日(水)曇り
質素な朝飯を済ませ三日目の遡行に出発!宿近くの出原バス停から昨日の折返し点まで南部バスに乗車。西宇下バス停から歩きを始める。一旦国道から外れ川沿いの道を下り最初の橋を診る。川はこの先これ以上考えられないぐらい超複雑な形で流れている。蛇がのたくったような姿である。その根元を長さ600m弱の西宇トンネルが短絡している。この先橋は無いので川沿いの歩きはまともな道路も無いことを理由に止めにして、国道に戻りトンネルに突入する。
トンネル西口からは最近完成した橋が川を二度渡り短縮している。二度目の橋を越えると元からの道に合流し、直角に曲がる。やがて道は1車線の狭い路となる。多分先ほどの合流点から西に向かって長いトンネルの計画が有り、トンネル完成までは1車線のままで様子を見るのであろう。
再び急峻な狭い渓谷に分け入る。栩(とち)谷川が北から合流する地点の角の小屋に幟とポスターが目につく。近づくと、今年からJリーグ1部に昇格した徳島ボルティスの幟と、春の選抜に27年ぶりに出場が決まった池田高校のポスターである。かつて鉄道の車内の隣り合わせの席でお話をした蔦監督さん、やりましたよ。高校野球の原点の高校の出場はうれしい。
1車線の区間と改良された2車線の区間が混在する国道を西にひたすら向かう。地形が厳しく腹付拡幅が無理な区間はトンネルで躱している。新しいトンネルの両端の旧道との分合流点では、見通し距離を確保した合流車線が設置され、なかなか良く出来ている。
やがて渓谷も広くなり遠くが見えるようになると、西の彼方に他を圧するような形の山が雪を被って聳えている。折宇地区に入った。それにしてもこの渓谷には「宇」の入った地名が多い。突然轟音と共に東から米軍の戦闘機が低空飛行で西に飛び去って行く。その凄まじい音は静かな渓谷に強烈なインパクトを与えていく。吉野川上流でのかつての墜落事故を知らせる案内板を想い出す。四国の山奥は米軍機の飛行訓練地域になっているのだ。
折宇バス停横に立派なトイレが有ったので利用させてもらう。なんと水洗トイレである。前にはゲートボール場が有り、この競技者のためのトイレなのであろう。過疎地域は交通不便、買い物・通院などに不便であるが、公民館やスポーツ施設などが多く有り、歳をとってからの生活に贅沢を言わなければ快適な所である。
広くなった国道を進むと右側に久しぶりの神社が現れる。見た目には質素な神社である。この川沿いは寺社が少なく地域差が大きい。
今朝、宿の部屋の温度は2度。外に出るとマイナス3度。現在の気温は3度と良く冷えている。先日に懲りて装着式のアイゼンを用意してきたが、道路、橋の凍結は無い。夜の湿度の大小が凍結の有無に係わっているようだ。
川を大きく超える木頭大橋の袂までやって来ると、件の山が谷間の先に雄大な姿を現している。橋際には「立石山 1,708m」と書かれた案内板が立っている。石鎚山、剣山に負けない凛々しい姿である。橋は本体の塗装塗替えを終え、今日は高欄の塗装をしている。作業中の若い作業員に最近の橋の塗装状況を聞く。なかなかしっかりした作業員である。橋を渡り下側から橋を見ると、珍しい鮮やかなオレンジ色である。ハハーン、木頭村の特産品の柚子の色だな。鮎喰川のすだち、勝浦川の蜜柑、そして那賀川の柚子と3種の柑橘類が出そろった。
谷間が一層広くなると最後の大きな集落のある北川である。左岸から右岸に渡り段丘の上に坂道を登る。国道沿いには郵便局もあり、向かい側が南部バスの折返し広場になっている。ここから県境の長い四つ足峠トンネルの東口の日和田までの区間のバスは予約制になっている。昨日電話で帰路のため峠手前の高の瀬峡入口からの乗車を予約しておいた。路線バスの予約制は珍しい。
段丘の上から橋が架かる地点まで二度坂道の上がり降りを繰り返す。すっかり交通量の減った国道195号を西に向かう。剣山の南に聳える次郎ぎゅう(H=1,930m)の南面から流れてくる川は四国一の清流と言われている。高知までが70キロ余り、徳島までは120キロ余りの地点である。何度も顔を出す石立山が眼前に迫って来る。川は西からの流れが北からの流れに変わり、1600m級の山波の間の渓谷となる。
やがてこの先バスの無い高の瀬峡入口に到着する。国道はここからヘアピンカーブで高度を上げ日和田から県境に向かう。有名な剣山スーパー林道はここから始まる。林道と言いながらこの先の平までは2車線の道が伸びている。
四つ足峠とは珍妙な名前で気にかかっていたので北川までの国道で出会った薪割中の人に尋ねると、「昔からの峠道の国境にお堂が有り、その4本の柱が国境に跨っていたので四つ足堂と言われ、その名前が峠の名前になったのサ」。峠は標高1000mを越えるが、トンネルのお蔭で国道は標高670mの高さで土佐に抜けていく。
スーパー林道の入口には林道の案内地図、見慣れた那賀町の地図、それに熊に注意の看板まで各種揃っている。昨夜のNHKのニュースで、徳島、高知県境部でかねてから注目していた熊の親子が元気に生きているのが確認されたと報じていた。丁度この辺りではないのか?
予定しているバスの到着時刻まで1時間近くあり、歩いている時は寒さを感じなかったが、じっとバスを待つのは標高500mの真冬の山間部ではこたえるので来た道を北川に戻ることにする。バスは予約が無ければ北川折返しになるので、乗ってくれない客の為に登って来るのは忍びないので、バスの北川到着前に着くよう急ぎ足で国道を下る。
北川バス停が見えだした所でバスがこっちにやって来る。手を振りバスを停め北川から乗るのを伝えると、車内には日和田に向かう乗客が1名おり、急いだのが無駄足になった。
バス停前の郵便局前の座れそうな所で遅い昼を摂る。宿の前の万屋に有った唯一の食べ物であるお赤飯と沢庵の弁当である。寒いがなかなか上手い赤飯である。付けてもらった箸は手作りの杉箸で一流料亭が出しそうな高級品で、安い赤飯とのちぐはぐな組み合わせである。勿体ないので土産に持ち帰ることにする。
やがてバス停に6名ほどのかつての御嬢さん達が集まってくる。珍しく大勢がバスに乗るのだなと感心していると、小型トラックが広場に入り車体の横から多くの段ボール箱を降ろして並べていく。女性たちは並べられた箱を廻りながら思い思いに商品を袋に入れていく。移動販売車の到着を待っていたのだ。郵便局の裏には万屋があるが、野菜、魚、肉類は移動販売車の方が新鮮で種類が多いのでこちらの方が良いのだろう。5分ほどで方が尽き段ボール箱は再びトラックに格納され、次の訪問先に向かっていく。その手際の良さに感心する。疾風のように現れて、疾風のように去って行く、移動販売車は良い車だー。
やがて西から件のバスがやって来て乗車。行先表示は徳島になっている。川口乗換えで3時間半のバス旅である。これで7日かけた那賀川を終えた。
バスは途中高校生を大勢乗せ、バス停に止る度に大きく左に寄せるため合流に手間取り、予定よりも大幅に遅れそうである。これでは徳島からの特急に間に合わない恐れがあるため、南小松島駅近くのバス停で緊急下車する。直ぐの駅はここもJR四国独特の三角屋根の駅舎である。徳島の3分の乗換え時間で無事特急に間に合った。
本日の歩行距離:15.1km。調査した橋の数:19。
総歩行距離:6,847.5km。総調査橋数:10,499。
使用した1/25,000地形図:「阿波出原」(剣山14号-1)、「北川」(剣山14号-3)