愛媛-7. 蒼社川 平成25年1月16日(火)曇り一時晴れ

 

久しぶりに降りたった福山駅前は、芦田川遡行時の1年半前とは様相が大きく変わり、バス乗り場が見事に完成している。今日はしまなみ海道をバスで通り今治から「蒼社川」を歩くことにした。1800円の「岡山・尾道お出かけ切符」とバスの往復切符を利用すれば、岡山から特急しおかぜを利用するよりも時間は多少かかるが往復4千円以上も安くなる。

7時50分発の今治行きバスは鞆鉄バスがやって来た。16往復もあるバスは広島、愛媛のバス会社4社が受け持ち、それぞれ中国バス4、鞆鉄バス2、瀬戸内バス4、しまなみバス6往復である。

しまなみバスはしまなみ海道(西瀬戸自動車道)完成に伴う旅客船、フェリーの航路廃止に伴い発足したバス会社で、他に来島海峡SAでのレストラン経営、しまなみ海道での料金徴収などの事業も行っている。他よりも便数が多くなっているのも航路廃止への見返りが反映されているようである。10名程度が乗車し出発する。

 01.福山駅前から今治行きに乗車

 

福山市赤坂から松永に向かう2車線の2号線バイパスは渋滞がひどく、早期の4車線化が必要である。福山西インター入口からは4車線になり、スムースに走れるようになる。多くの検討をした尾道の高須インターからしまなみに入り、久しぶりに古巣に帰って来た気分になる。途中のバス停からも乗車が有り、20名弱の乗客でまずまずと言うところカナ。

10分ほど遅れて9時半過ぎに終点今治桟橋に着く。かつては多くの船が出入りし、大きなターミナルビルも賑わっていたが今は閑散としている。かつての待合室が名産品の展示販売所になっていたので、早速名産のタオル製品であるネックスポーツタオルとバリィーさんタオルをお土産にお買い上げ。ビル2階の全日海今治支部は何度か訪れた所で、海賊の末裔との折衝、説明の過ぎ去った昔を思い出す。

河口に向かって歩き出すと早速マンホールが出迎えてくれる。絵柄は来島海峡を進む村上水軍の一派である来島水軍の軍船である。これは良い特徴のある絵柄である。愛媛第二の都市である今治名物は、来島海峡に水軍、今では造船、タオル、てっぱん焼き鳥、焼き豚どんぶりにバリィーさんである。

 02.今治市は村上水軍船

 

直ぐに今治城が現れ、現役時代に何度か見た城は大きく変わり、四隅の櫓、大手門も復元され、堂々とした城が完成している。この城は藤堂孝虎が手掛けた珍しい海の水を掘りに引き入れた海城である。

 

 03.今治城の復元が完了

 04.海水を引き入れたお堀

 

河口部に架かる港大橋から遡行を開始する。蒼社川は高縄半島の中心部から流れ出し、今治で響灘に注ぐ25kmあまりの川で、今治市の貴重な水源である。右岸側を上流に向かうと、枝ぶりの見事な松が堤防上に並んでいる。この川は天井川になっており普段は水の流れが見えないが、今日は一昨日の夜から昨日の昼までまとまった雨が降ったので綺麗な水が流れている。東京では大雪になり都市がマヒしてしまったようだ。堤防の脇にはサポータ制度の看板が有るが、堤防上の道と川の間はゴミが散乱し、この制度の効果は無さそうでお手上げの状況である。一度ゴミが散乱し放置すると、どんどんエスカレートしていく。

 

 05.枝ぶりの良い松が続く

 06.ここでもサポータ制度が有るが今一だ

今治市街地の近くには54番から58番まで5つもの札所が有り古くから開けた地域で、四国の西の玄関口の地位を保持してきている。右岸から国道196号の蒼社川大橋を渡り左岸を進む。やがて国道317号が現れ国道の歩道を歩く。この国道は尾道から芸予諸島の島々を通り今治から高縄半島を横断し道後から松山に通じる国道である。道路改築が進み、半島最奥部は長いトンネルで抜け大幅な時間短縮が可能になった。西瀬戸自動車道はこの国道の海峡部の有料バイパス道路として建設された道路である。直ぐに今は今治市となった旧玉川町に入る。愛媛県は歩道を設置してくれているので安心して歩ける。ありがとさん。

 07.旧玉川町に入る

 

旧玉川町に入ると直ぐに真新しいマンホールが現れる。図柄には満開の桜が溢れている。地名は「九和」と有り、これはどこぞなもし?しばらく進むと道端に婦人がおられたので尋ねると、この辺りは昔は九和(くわ)村と言い、3村が合併して玉川町になったとおっしゃる。昔の名前でマンホールに出ていますと言うところか。帰宅して調べると、九和とは9つの村が合併して仲良くして行くように名づけられた村名とある。それにしてもトントン拍子に合併が重ねられたものである。更に進むと同じ絵柄ながら玉川と書かれたマンホールも現れる。九和の方が真新しいマンホールであるところから、これは今治市に吸収される時に昔の村名を忘れないために、玉川とせずに九和と名乗ったものと推察する。

 

 08.九和?とは

 09.玉川町は九和と同じ絵柄

 

平地から山間に入り川は段丘の底を溝状に流れるようになる。西南西から南からの流れに変わり、国道は緩い坂道となる。玉川町長谷に来ると、国道はこの先の玉川ダムの上に出るためここから山の方に登っていく。当方は未だこの先に橋が在るので鈍川温泉に向かう県道154号線の方に方向を変える。

道は直ぐに二手に分かれ、真っ直ぐ進めば鈍川温泉であるが、右側の川沿いの道に入り橋を調べる。この先の鈍川温泉には2,3度来たことがある。

直ぐに急坂のきつい道を汗をかきかき登り国道に復帰する。80mほど登り進むと眼下に玉川ダムが見え、玉川湖も満水状態でキラキラと湖面が輝いている。

 

 10.左の鈍川の方に向かう

 11.玉川ダムと玉川湖

ダム湖に沿って西に向かっていた国道が湖が尽きる辺りから南に転じ、渓谷の間を良好な線形で登っていく。遡行の終了地点と計画していた龍岡上地区の中村バス停に到着すると直ぐに今治行きのせとうちバスがやって来た。滑り込みセーフで帰路につく。それにしても今日も良く歩いたぞなもし。今治駅前からの帰りのバスは青色が鮮やかなしまなみバスである。こちらも15名ほどが乗り込み出発。

 12.帰りはしまなみバス

 

幸い最前列に座れたのでしまなみの橋を車窓から撮ることにした。

 

 13.来島海峡大橋(4車線の外側に自歩道と原付道がある)

 14.来島海峡の急流(この時は北流の引き潮)

 15.大島大橋(東側の2車線で西側に自歩道と原付道がある)

 16.大三島橋(こちらも同じ)

 17.大三島バス停から見た多々羅大橋

 18.多々羅大橋(4車線の外側に自歩道と原付道)

 19.生口橋(中央部に2車線で両側に自歩道と原付道)

 20.因島大橋(4車線で自歩道等は車道の下のトラス内にある)

 21.尾道橋(橋の上で向島での2車線から4車線に移行する。歩行者、自転車、原付は右隣の旧橋利用)

 

本日の歩行距離:19.6km。調査した橋の数:21。

総歩行距離:5,483.5km。総調査橋数:8,954。

使用した1/25,000地形図:「今治東部」(岡山及丸亀16号-4)、「今治西部」(広島4号-2)、「鈍川」(松山1号-1)