愛媛8-1.銅山川(その3)平成25年5月23日(木)快晴
今日も快晴。梅雨と真夏の鬼の来ぬ間に遡行を伸ばしておく。今朝も伊予三島駅からタクシーを飛ばし平野橋に向かう。先日は橋の先で下車したが今日は嶺南支所前で降り、タクシー代が少し安くつく。支所と駐在所を過ぎると橋となり、今日は右側の県道6号に折れ右岸側を進む。
先日は家が全く無かったが平野橋から上流側には集落も有る。金砂湖が尽き谷間もやや広くなっていることが家のある理由であろう。やがて旧金砂村から旧富郷村に入る。金から富に変わる。直ぐに橋が現れ左岸側の上長瀬の集落の中を歩く。次の橋が現れ再び右岸側に向かうと遠くに鎮守の森を従えた神社が見える。
県道に戻ると本局の郵便局も現れ、国道沿いよりも県道沿いの方が格上である。瀬戸内とこの銅山川との間には1,000m級の高い法皇山脈が東西に連なり、更に南には四国山地が重畳と続いている。この辺りはこの法皇山脈の南に有るので「嶺南」と言われ雨の多い地域である。瀬戸内側は嶺北と言われ雨が少ない。福井県の嶺南、嶺北は若狭と越前をさしているが、こちらは高い山脈の南北から名づけられたようだ。
県道では地元の人が草刈り機で路肩の草を刈っている。道守の人で、「有難う」と言って通り過ぎる。ダム湖が尽きると川の管理者が国から県に変わる。南側の路側の石垣にびっしりと生えた苔に黄色い花が咲いている。へー苔も花を咲かせるのだ。サボテンの花と一脈通じている。あちらは乾燥に、こちらは湿気に富んだ環境の元に生きている。
県道6号から県道126号が分岐する所で右岸から左岸に変わると谷間は狭まり富郷渓谷に入る。126号は支流の猿田川を遡り、峠の900mまで曲がりくねった道が続き吉野川本流沿いの高知県本山町に降りて行く。川は東西方向から少しずつ南北方向に向きが変わってくる。2車線の立派な県道から渓谷を堪能するため旧道を南に進む。車の通行が少ない道の川側には木製の防護柵が設置され、木々と渓谷の景観によく似合っている。地産地消のこのガードボックスはグッド。この木製防護柵を突き破るような速度の車までガードする必要は無い。
やがて対岸に見事な岩壁が聳え、岩肌に木がしがみついているのが見える。これぞ富郷渓谷の白眉「戻り嶽」の絶景である。今まで見て来た数多くの渓谷のベストの景観である。旧道を歩いてきて良かった!
渓谷に音が聞こえるので廻りを見渡すと対岸とこちらにケーブルが張り渡され、対岸の伐採された木材をケーブルを利用してこちらに運んでいる。大規模伐採の作業中である。終点の荷卸し場では重機が木材の枝打ち、切断、集積作業中である。重機のアームの先にはこの作業のためのアタッチメントが取り付けられ、これ一つで木材を掴み、枝打ち、切断、集積、積み込みの作業をやっている。その見事な仕事ぶりにしばし見とれてしまう。
次の沢で旧道から県道に戻り、坂道を登る。この先に100m以上の高さがある「富郷ダム」が聳えているため、県道は上り坂が続く。ダム建設に伴い付け替えられた新しい「藤原大橋」は無骨な色の無塗装橋のアーチ橋である。橋長197mとあと3m長ければ長大橋倶楽部に入れてやるのに残念。遥か下には旧橋が小さく見える。
県道の長い坂道を登ってくると前方に富郷ダムが現れる。高さは100m以上有り、銅山川にある4つのダムでは一番でかい。平成12年に完成した新しいダムでこれで吉野川流域の総合開発は終了し、吉野川とその支流の水は四国4県に分配された。ダム湖は洪水時の非常湛水分を残してほぼ満水状態である。こちらは独立法人の水資源が管理運営しているが、やはり建物はでかく立派である。湖は山脈名から「法皇湖」と名付けられ、湖面も広い。法皇湖を見ながら岡山駅で買ったおにぎり弁当を食す。ここのところ快晴、高温の天気が続いているが湖面から吹いてくる風は涼しく爽やかである。今日もお握りが美味い!
このままずーっといたいが先が長いので20分ほどで切り上げ歩行を再開する。湖岸沿いの道の川側が斜面に張り出した区間では、片側が桟橋構造となり土工側との境に継ぎ目が入っている。ダム建設に伴い県道は完全2車線化されている。入り組んだ湖岸には阪神高速がご自慢のバスケットハンドル型のニールセンアーチ橋が架かっている。ダム建設に伴う大規模道路付替えでは最新の橋のオンパレードとなる。ダム建設者の原因者負担で日頃できなかった新形式の橋が陽の目を見ることになる。
湖岸のやや広くなった所には湖底に沈む古民家がこちらに移設され公開されている。細川家住宅は大きな茅葺屋根を持ち、移設にあたってはあちらこちらから茅を集めてきたとある。古民家や神社仏閣の維持に必要な茅、桧皮、木材の育成を官側で組織的に行っていく必要を感じる。
道は再び南北から東西方向に変わる。小さな沢にツツジの群落のように見える茶畑が有ったのでカシャ。道の両側にはあじさいが植えられているが1月ほど先にならないと花は見えない。ダム湖が尽きる所では対岸に渡る橋がトラス橋になっており、有終は一般的な橋であった。
再び坂道を上り、渓谷が狭まった所で四国中央市から新居浜市の旧別子山村に入る。
川面がどんどん県道側に近づいてきて古い別子橋にたどり着く。インターネットで何度もバス便を探したときによく目にした橋名である。ここが別子山村の東の端で橋がバスの転回場になっている。丁度午後の新居浜行き旧村営バスが出発直前であったので明日の乗車を予約しておく。明日はこの便を村の西外れで拾うのである。橋の際に再び河川管理境界の標識が現れる。この川は管理者がコロコロと何度も変わる珍しい川である。
狭まった渓谷を午後の強い日差しを受け汗をかきながら徐々に高度をあげながら歩く。どこまで歩いても自販機は現れず喉の渇きが強まる。今日の泊まりの宿に電話で迎えに来てもらう場所の予定時刻を3時に早めたことを伝える。谷間の北側を赤石山系と法皇山脈が、南側を四国山地の主脈が平行している窪地を西に向かう。
3時前に会合点の橋の手前に自販機が現れ、急いでお金を入れて飲み物をごくごくと一気飲みをしていると、橋を渡ってこちらにやって来た軽トラが停車する。まさかこれでお迎え?今宵はなんとこんな辺鄙な所なのにオーベルジュが有り、フランス料理を食べ泊まるのである。そのオーベルジュの迎えが軽トラでその段差に驚く。電話で予約した時の声の主が当方の名前を聞き、軽トラに載せてもらい川向こうの山の中腹まで200m以上の高度差を登って行く。この宿が有ることでこの銅山川の最上流部までの遡行が可能になった。建物の前には巨大な藤に覆われたドーム状の施設が迎えてくれる。
本日の歩行距離:17.2km。調査した橋の数:12。
総歩行距離:5,956.3km。総調査橋数:9,549。
使用した1/25,000地形図:「伊予三島」(高知5号-3)、「佐々連尾山」(高知5号-4)、「弟地」(高知9号-2)