京都-1.宇治川(その1)平成26年5月22日(木)晴れ時々曇り
久しぶりに通い慣れた山陽本線の姫路行き初電に乗る。新快速に乗り換え大阪駅で下車。まったく変わってしまった駅内をウロウロして構内の配置を頭に入れておく。地下鉄に乗り淀屋橋下車。大阪市営地下鉄に乗ると「ごちそうさん」を想い出す。京阪淀屋橋駅の4番線の西端で同行者を待つ。今日は遡行開始以来初の大勢での歩きである。何人集まるかは分からない。10時30分発の特急に乗れるよう集合場所と時刻を決めた。やがてぼつぼつと集まり総計5名となり、特急に乗車し出発進行!11時8分、枚方市で乗り換え八幡市駅に降り立つ。小学生の時の正月の初もうで以来の駅である。
駅横の交番は八幡さんにちなんだ純和風の建物で、二階の窓に鉄格子が無ければ只の民家である。
直ぐ隣の観光案内所で八幡市のことを訪ねている間に同行者はトイレやコンビニで昼飯の仕入れをしている。今日は13番目の山城国を流れる宇治川とした。淀川は山城に入ると宇治川となり、更に上流の近江に入ると瀬田川と名前が変わる。下流側の国から見た上流の著名地の名前が川名になっている。今歩いている最中の仁淀川も土佐から伊予に入ると面河川と名前が変わる。
高校の同期生5名で11時20分出発する。木津川と名前が変わった淀川の支流の最初の橋である「御幸橋」に向かう。今日は八幡市駅から宇治の平等院まで17kmの歩きである。誰が参加するか分からないので途中でのトイレの有無、途中打切り者のことを考慮し数か所の収容駅を考え、川の右岸側の大回りコースとした。かつての国道1号線は、南側に廻り込んだ新1号線と第二京阪国道にその役割を譲っている。橋から下流側を見れば前回折り返した天王山が川の関門のように見える。
橋を渡れば直ぐに同名の宇治川の橋が待っている。違う川に同名の橋は超珍しい。橋は渡らずに宇治川の左岸(南側)の土手の道を東に向かう。直ぐに最近完成した京滋バイパスの橋が二階建てのように行く手を横断している。宇治川と桂川を越えた先の大山崎で名神高速と京都縦貫道と繋がっている。この付近の道路事情は全く変わってしまった。広い巨椋池とかつての湿地帯が有効に利用されたようだ。その先の京阪本線を雅な色の特急が通過して行く。宇治川のお馴染みの看板には英語と共にハングルまで入っている。観光地でもないのに何でハングル表記が要るんだろう。
八幡市から一旦京都市伏見区に入り直ぐに久御山町となる。かつて三川合流点の手前には巨大な巨椋池が有り、その周辺には湿地帯が広がっていた地域である。大阪の北河内地域も淀川、大和川が集まる巨大な湿地帯が広がっていたのだ。
淀大橋を渡り右岸側の淀地区にはいる。淀川の名前の元である。湿地帯の川は流れが柔く澱んでいたことから地名が淀となったようだ。橋の上の両側の歩道は、車線部との境界、外側に柵と透明な壁が設置され歩行者に優しい橋である。
淀の古い街道沿いの道を進み駅近くの与杼(よど)神社とその隣の淀城址に向かう。城址に茂るヒマラヤ杉(?)の幹が複雑に折れ曲がっていたのでカシャ。
境内の入口には見たことが無いパリのマロニエのような木が甘い香りを廻りに漂わせている。葉の先には花らしき物も見られる。本殿は横並びの三つの扉が開けられている。3祭神をお祀りしていると推察する。ここが第一の途中打切り点であるが、3.5km地点と短いので全員パスし城跡に入る。
神社の直ぐ隣の淀城址に入り昼休みとする。城址は予想以上の狭さと荒れた
状態で淀君のイメージが落ちてしまう。15分程の休憩後遡行を再開する。城の出入り口にある解説板見ると、かつての城は三河川の合流点に面し巨椋池からの水も加わり、まるで水面に浮かんだ城のように見える。
新しい淀駅のガードを潜り京都競馬場の方に向かう。東京競馬、阪神競馬、園田競馬、京都競馬の共通点は大きな川の直ぐ近くに在ることである。多摩川、武庫川、猪名川、そしてここ宇治川と広大な敷地を要する競馬場は川の近くでないと立地できないのだ。ここで4頭の老年馬がゲートインしたのでカシャ。
競馬場の周りは京都市の巨大な清掃工場や何の工場か分からない建物、公園が展開し、京都の吹き溜まりのような場所である。ここからが悪戦苦闘、右往左往の連続で川沿いの道を探す。想定の範囲内ではあるが4名は不安になっていただろう。なんとか京阪線と並行した道に出る。
国道1号線の宇治川大橋を診るため当方は一行と分かれ橋に上がり土手を上流に向かう。続く第二京阪国道と阪神高速京都線の巨椋橋を診て一行に合流すべく短縮路を探すが京阪線が邪魔して踏切が無い。京大の防災研究所の構内をうろうろして出口を探すが無いので土手に戻る。宇治川に合流する新高瀬川の土手で何とか一行と出合い、伏見の古い町並みを中書島に向かう。ここで一人が離れ後刻宇治の温泉で再会することにして土手に向かう。
やがて巨大な近鉄京都線のトラス橋が周囲を圧倒している。これぞ鉄橋だ!正式名称は澱川橋梁である。ヨドには色々な字があるものだ!昭和3年完成、1スパンで宇治川を渡るのは当時の軍部の注文から生じたもので、スパン162mは未だに日本一の鉄道トラス橋で、その高さは24m、将来の車輛の大型化を見越した設計、鋼材のアメリカからの輸入、工期短縮のための工場仮組の省略と、当時としては全てにわたっての難工事の橋である。今は当然、国の登録有形文化財となっている。ここでも橋をバックにカシャ。橋を越えた後に近鉄お馴染みの特急が通過したのでこちらもカシャ。この近鉄京都線は元々は奈良電鉄と称した線で京阪の系列会社であった。その当時の名残が丹波橋駅で、ここで奈良電と京阪が交差し、それぞれの駅は至近距離にあり乗換えが楽に出来る。京都の南部はこれにJR奈良線も加わり、誠に交通に恵まれた地域である。
直ぐの国道24号の観月橋を渡り左岸側の土手に方向を変える。渡月橋に観月橋と京の橋名は優雅どすな。土手の上の道は狭く交通量も多く、しばし冷や冷やの歩きとなる。河川敷の整備状態も悪くこれでは源氏の君も嘆いておられるだろう。川は東からの流れが南からの流れとなり、ひたすら宇治の平等院を目指し歩いて行く。「隠元橋」の袂で黄檗駅近くなので打切りの是非を尋ねるが「ノン」。
再度の京滋バイパスの下を潜ると、川は南東方向からの流れとなる。やがて対岸に京阪宇治線の宇治駅が見え出し、JRの踏切を越えると宇治橋である。早速マンホールが現れカシャ。絵柄には目の前の宇治橋が入っている。橋を越えた小広場には紫式部の大きな像が橋をバックに巻物を読んでいる。世界遺産登録と平等院の改修終了で夕方ではあるが多くの人に溢れている。
お茶屋が並ぶ参道を通り平等院に向かう。中は遠足と修学旅行の小中高生で溢れている。「10円玉の・・・」というバスガイドの声があちこちから聞こえてくる。もう少しましな説明が出来んのかな。
サッサと見回って京阪宇治駅に向かう。今日のもう一つの目的地である日帰り温泉の源氏の湯にワゴン車のタクシーに乗り向かう。再度全員集合して真新しい多くの浴槽のある湯に入り、食事処で美味い冷えたビールで打ち上げとする。
歩いた後の風呂とビールはたまらんナー。
本日の歩行距離:19.2km。調査した橋の数:16。
総歩行距離:7,186.1km。総調査橋数:10,853。
使用した1/25,000地形図:「淀」(京都及大阪7号-2)、「京都東南部」(京都及大阪3号-3)、「宇治」(京都及大阪3号-4)