京都-1. 宇治川(その2)前半 平成27年11月7日(土)曇り

前日、大阪十三での高校の同期生同窓会に出席し、大津のビジネスホテルで一泊する。今日は一年半ぶりの竹馬の友との歩きで、前回の八幡市駅から宇治までの宇治川遡行の続きである。今回は交通の便と登り坂を避け上流側の大津石山側から宇治まで下ることにした。
ホテル近くの高層マンションの入口を見て驚く。まるで和風旅館の玄関の趣である。滋賀の都には優雅なマンションが建っている。

 01.この建物は高層マンションの玄関だ

大津市のマンホールの蓋の絵柄は琵琶湖の楽しみ満載の絵柄で、よくもこれだけの物を詰め込んだものだ。古い町並みの道を歩いていると全く違う絵柄の蓋を見つける。かつての旅人の護符として利用された大津絵が挿入されている。今昔二つの大津を象徴する絵柄である。

 02.大津市の絵柄は楽しさ満載

 03.こちらは大津絵の古き大津が

ホテルの前の国道を京阪電鉄京津線の電車が堂々の4両編成で道の主役顔でお通りなされる。国道161号の車道の中央の複線を500m余り大型車が通るのは日本ではここだけである。ドイツ、フランス、スイスなどでは市街地を郊外からの電車が通り抜ける都市が多く有るが日本では少なく、大型車4両編成は世界的にも珍しい。京都市営地下鉄に乗り入れる電車は明るい色調で、座席は線路と直角の座席で東京ではどだい無理な電車である。軌道部を走る車は一台も無く、電車は市民に完全に溶け込んでいる。地下乗り入れ前は京都三条から蹴上までの急坂の道路をステップ付の短い編成の電車がゴロゴロと走っていたのを想い出す。

 04.国道を4両編成の電車が通り抜ける

 05.この景色は此処だけの限定

大津の中心である浜大津の交差点の角に名物の「三井寺力餅」の店が開いていたので立ち寄る。お土産にと力餅を買うと、作り置きはせずに奥の作業場で餅を造ってくれる。石山駅での友との待ち合わせまで時間がたっぷりあるので大津市内線の乗り歩きをすることにして浜大津駅に向かう。交差点を坂本行きと石山寺行きの2両編成の中型車がすれちがっている。三条からの電車もこの交差点を右折してホームに進入する。三方向の電車が道路の真ん中に集まる。

 06.大津名物の力餅をお買い上げ

 07.大津のヘソの浜大津交差点を坂本行きと石山寺行きが

先ずは比叡山の東麓の坂本まで最前部のかぶりつきの席にありつく。全国鉄道乗り歩きで乗車したのは20年ほど前である。半径35mという信じられない急カーブも標準軌(1.435m)に狭い車体幅(約2.2m)の超安定性抜群の電車はスイスイと曲がって行く。狭軌(1.067m)で車体幅の広い(3.0m)のJRは絶対真似が出来ない。
終点の坂本駅舎が超モダンな姿に変身している。比叡山に向かうケーブルカーはここから直ぐの山裾に有る。直ぐに折返しの石山寺行きに乗り、来た道を浜大津に向かう。そのまま石山まで乗車しJRと接している石山で電車を降りる。大津市民はJRを利用する場合、坂道の上に在る大津駅よりも京阪大津市内線が繋ぐ石山、膳所、山科、大津京(湖西線)を利用するのが便利だ。山と湖に挟まれた細狭い大津市は交通に恵まれている。
石山駅前の二階の広場の奥には芭蕉像が駅を見つめている。場所をわきまえた所に像が有るぞ。

 08.京阪坂本駅の駅舎がモダンな姿に

 09.石山駅前の二階広場に芭蕉像が

11時15分着の新快速に乗って来た友と落あい、駅南口のバス乗り場で京阪バスの大石小学校行きに乗車。紅白の変わらぬ姿の京阪バスは瀬田川右岸を南に向かう。25分ほどで瀬田川を渡った終点に着き今度は同じ塗り分けであるが超小型のバスに乗り換える。このバスの時刻が今回の歩きのキーポイントとなった。二人だけの乗車で終点の「曽束」に向かう。一山越え20分ほどで曽束集落のバス停に着く。この路線は廃止されるおそれが十分ありそうだ。

 10.大石小バス停でこのミニバスに乗り換え

バス停から西に道を進むと北から流れてきた瀬田川に出会う。対岸(右岸)沿いにやって来た県道3号が一旦京都府道3号となり、「曽束」大橋でこちらにやって来て再度滋賀県道3号となり、川の左岸側を川沿いに南に向かう。
渓谷沿いの道に歩道は無く、二輪車や速度を落とさずにやって来る車に注意しながら慎重に歩く。2kmほど進むと大津市から京都府宇治田原町に入る。ここから川名は瀬田川から宇治川に変わる。瀬田、宇治、淀と川の出世川やー。

 11.滋賀県から京都府宇治田原町に入る

渓谷の上空に送電線が多く集まってくると喜撰山揚水発電所が対岸の山の地下に有る。川名の無い小さな川の奥に喜撰山ダムを造り、ここに貯めた水を230m下の宇治川本流の天ヶ瀬ダムが作ったダム湖(鳳凰湖)に流し発電する。夜間の余剰電力を使用して鳳凰湖の水を上池にポンプアップする。電気の大消費地に近い揚水発電所である。その取水、排水の口が対岸に並んでいる。直ぐ下流にはランガーアーチの喜撰山大橋がダムと発電所への入口で、関電の専用橋でゲートが有り何人も対岸には渡れない。

 12.喜撰山揚水発電所の取水・排水口が

 13.喜撰山ダムへはこの橋を渡って北に

 14.滋賀県では瀬田川が、京都府からは宇治川に

これまで四国の吉野川、四万十川、仁淀川、那賀川と有名な川の渓谷を歩いて来たが宇治川の渓谷は全く人家が無く、無人の府道をただ歩くのみで、今回の二人歩きは話をしながらの歩きで気が紛れる。四国では渓谷の上の山の斜面に人家が点在していたがここはなんちゃ無いでー。

 15.阿波の那賀川で見たダム湖と同じ景色だ

 16.家も人も犬もいない渓谷が延々と続く

曽束大橋の袂で見た災害復旧工事の予告では月曜日からこの渓谷の府道は全面通行止めと書かれていた。その現場らしき所が二か所あり、一カ所は谷側の路肩が崩壊し、片側1車線の通行となっている。今日計画して良かったなー。
車は通れそうもない吊橋が現れ、地形図で見ると対岸には狭い徒歩道の線が天ヶ瀬ダムまで引かれているが、こういう所の道は妖しいのだ。

 17.崩落した路肩の復旧工事が2日後から始まる

 18.この吊橋の先はヤバイぞ

やがて南から支流の「田原川」が合流し、宇治川はU字型に湾曲し北西に方向を変える。車道の無い狭い道の交通量が俄然増えますます歩きにくくなる。対岸の山腹が山崩れを起こして無残な姿をさらしている。やっぱり予感は当たったようだ。

 19.右岸側が山崩れを起こしていた

大型車が来るたびに道端に立ち止まりやり過ごすことを繰り返す。四国ではこの程度の渓谷でも歩道を付けているが、近畿では配慮が足りないぞー。
やがて淀川本流唯一のダムである「天ヶ瀬ダム」が現れる。ダム背後では大掛かりな湖底の堆積土砂を取り除く工事が始まっている。仮設備がものものしく、これなら工費も高いだろうな。危険を知らせる看板が面白いと友が盛んに言うのでカシャ。漢字の振り仮名がそのままでは無く子供でも分かる言葉で言い換えている。

 20.天ヶ瀬ダム湖(鳳凰湖)の湖底の土砂浚渫工事が始まる

 21.この看板の漢字の振り仮名は間違っていますが、親切やなー

ダムはドームドアーチダムで三次元曲線の複雑な姿をしている。左岸側のダムの下には関電の発電所も有る。

 22.天ヶ瀬ダムはアーチダムだ

 23.このアーチダムはドーム状に湾曲している

ダムの根元の解説施設で暫し資料を見る。府道を離れダム下に降りる歩道を下る。これを嫌って今回は川を下って来たのだ。新しい放水路を造る工事中で塀に囲まれた急な道から外は見えない。今回最後の橋となる「白虹橋」の直ぐ下流で新しい橋が工事中である。先ほどの新放水路建設に伴い、旧橋が支障するため代替の橋を計画したのだ。橋は徳島の吉野川の支流である銅山川に架かっていたあの「自碇式吊床板PC複合橋」だ。こちらは更に長く幅員荷重とも大きい橋である。橋が見られる広場には橋の解説板が掲げられているが、肝心の橋の形式の説明が無いでないが!橋の簡単な図面、施工順序図、工程表は有るが、この橋の形式の原理の分かりやすい解説が無いと一般の人には理解されないだろう。

 24.白虹橋の代替橋はなんと「自碇式吊床板PC複合橋」だ

 25.ピーエス三菱さん、橋の形式紹介が抜けてるよ

府道と一緒になる所に「東海自然歩道」の絵地図が有ったのでカシャ。この渓谷は自然歩道にするには危険なのか除外されている。
やがて前回の折返し点の平等院の横にやって来る。源氏物語の宇治十帖の「宿木」の古跡の記念石と高札が川を背に有る。

 26.ダムを過ぎると人と車がいーぱい

 27.宇治まで下って来た

 28.宇治十帖の「宿木」の古跡記念石

料理旅館街を抜け駅に向かう。JR宇治駅前広場には茶壺をそっくりの郵便ポストが立っている。「いやーやわー、このポスト本当に入れれるわー」などと馬鹿なことを言っているおばさんがいる。安心してください!投函できます。

 29.JR宇治駅前の茶壺ポスト、安心してください!投函できます

本日の歩行距離:12.2km。調査した橋の数:6。
総歩行距離:8,616.9km。総調査橋数:11,287。
使用した1/25,000地形図:「朝宮」(京都及大阪3号-2)、「宇治」(京都及大阪3号-4)